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とりあえず急な石段を登りお参りを済ませ、脇の旧道のようなスロープ状の緩やかな坂を下ってみる。
かなり切り立った崖であることが、こうして上から見下ろすとよくわかる。
崖肌は荒れ、削られてこの勾配ができたようだ。
坂を下り終えると、再びこどもの国通りの神社前交差点に出る。
山側の交差点角には郊外らしく、車検屋や産業廃棄物処理業者の看板が並んでいる。
すると、看板の後ろに穴が開いている空濠を発見した。
周囲を注意してみると、他にいくつかあるようだ。
穴の中を覗いても案外奥が深いようで目視に限界があった。
これが一体なんのか、確かめる術は今のところ持ち合わせていないが、旧陸軍の痕跡が現在のこどもの国の敷地内だけではなく、この周辺の山にあったとしてもなんらおかしくはない。しかも、その弾薬庫への引き込み線跡沿いとあっては尚の事。
あるサイトによると【B級スポット&動物園】、収容しきれなかった物資を貯蔵する目的と、不意の空襲時の待避場所だったとのこと。
看板群脇に記念碑がたっている。
関東大震災で住吉神社が倒壊してしまい、その再建の記念を示したもののようだが、この碑は嘗ての鳥居を用いているそうだ。
この裏にも、穴を埋めたような跡を発見した。
よく見れば、周囲は朽ちたコンクリの土台のようなものがいくつも露出していた。
この交差点から、山に沿って東側が廃線跡でずっと行くとこどもの国の駐車場へぶち当たるが、西側(現・こどもの国通り)はこどもの国駅の脇を通って、こどもの国正面ゲートへとたどり着く。こっちにも引込線が分かれていた可能性もなくもない。多くの廃線跡レポートでは東側に進路をとって駐車場にぶち当たって探索を終えているが、この神社の弾薬庫跡らしき穴を見つけた以上、進路を西にとってみたい。
(続く)
ここから県道139号こどもの国通りと東急こどもの国線がほぼピッタリ並走する区間に入るのだが、こどもの国通りにある奈良橋というその名の通りのバス停に向かって、やや曲がりつつも一直線に伸びる錆びたレールが、砂利敷きの駐車場に残っている。
この線形からするに、ここから東急こどもの国線と分かれ、奈良川とこどもの国通りの中間ぐらいを北上していたと思われる。
道路と川の隙間、20m足らず。
ここに民家が点在しているのだが、枯れた雑草と置き去りにされたような農耕具意外なにもないような土地を眺めるも、廃線跡と思しき痕跡は見受けられなかった。
奈良川のこの区間は比較的整備され、ちょっとした遊歩道になっている。
奈良川に架かる橋も小体で古く可愛らしい。柱に竣工年が書かれていたので見ると、昭和51年とあった。
思ったより古くはなかったが、自分とほぼ同年代か。周囲の家を眺めると、自分が子供時分によくみかけた木造平屋建ての民家が結構残っていた。
もう30年以上経ったとはにわかに信じ難いが、周囲の家々と比べるとその歳月を感じずにはいられない。
川沿いに歩くこと200m程で住吉神社前という交差点にぶつかる。
交差点脇に、喫茶王国愛知発祥のコメダ珈琲の関東進出店がある。ここでひと休みすることに。シロノワールというドデカいスイーツ(?)で有名で、詳細は手前のB級グルメブログに書いたので、そちらを参照されたい。
デウスエクスマキな食卓:コメダ珈琲@こどもの国~白のロワイヤル、その先にあるもの
閑話休題。
この交差点、名前の通り住吉神社があるのだが、山一つが御神体であるかのように、交差点の一角にコンモリとそびえ立っている。参道であろう階段が急で、この山自体、周囲に道路を通すんで削ったんじゃないかと思わる程。
で、この山、不思議に思ってみているうちに、ある疑念が沸き上がってきた。
(続く)
はっきりと引込線が見て取れた。

この線路の先を目で追うと、奈良川がほぼ直角に折れ曲がっているのだが、こどもの国線の線路が川を跨ぐのに並行して、引込線のガーター橋が架かっていた。

リベットが沢山打ち込まれる様が時代を感じさせる。

レールが2本、さらに並行して川を跨いでいるが、桁に渡していたものなのか、そもそも剥き出しだったのだろうか!?

こどもの国線は軍用線跡を利用してはいるが、これを見る限り、全く上書きしたのではなく、並行して敷設されたのではないか。
これが全区間か一部区間かはわからないが、とにかく、長津田4号踏切の箇所では、並走していた痕跡がはっきりと見て取れた。
再びこどもの国線に沿って歩く。
こどもの国線とほぼ並走するように蛇行した奈良川はまた大きく右手に折れ、川幅を広く、ほぼ直線に流れだす。

この大きく折れるところでこどもの国線は川を跨ぐのだが、先の4号踏切からここまでの区間だけ、川が整備されていないというか、農業用水としての原風景に近い姿をみせている。ここから先は護岸整備されている。

航空写真を見ると、4号踏切の辺りから真っ直ぐ干上がった川のような筋が見える。真っ直ぐながれを変える予定があるのだろうか。多くは農地になっているようだが、氾濫したらと思うと心配でならない。

奈良川を跨ぐ橋梁は一見新しそうに見えるが、支柱をみると補強のアームがみてとれ、古いコンクリートとわかる。

ここまで並走してきたであろうこどもの国線と引込線だが、この先で分岐する。なんでわかるのかというと、この先にその痕跡が残っているからだ。
今回から数回に分けて散策レポートをお届けしたい。前回記事から間があいてしまい、エラいフリが長くなってしまったが、そんなに期待せず、お楽しみあれ。
前連載の第33回「弾薬庫ばかりの"子供のくに"」にて、横浜にあるレクリエーション施設「こどもの国」は、旧日本軍~米軍施設の跡地であり、未だ数多くの弾薬庫跡が現存している様子を紹介させてもらった。
こどもの国への主たる交通手段となる、東急こどもの国線は、弾薬庫へと伸びる貨物の引込線と触れるに留まったが、その廃線跡が一部現存すると知り、前回から1年、再び正月に長津田駅へ向かう。
長津田駅はJR横浜線と東急田園都市線を繋ぐターミナル駅なので、正月でも駅前のめし屋くらいやってるだろうと気軽な気持ちで降り立ったが、JR側は旧街道の宿場町として嘗ては栄えたって感じに、鄙びた雰囲気。ロータリーも狭く、木造の日本家屋も多い。

これなら逆に駅前食堂か喫茶店を期待してしまうが、見事に正月休み。

田園都市線側はすぐに住宅街だし、こどもの国線に沿って少し歩いてみるが、畑が広がるほどなにもない。

踏切から線路脇を望むも、住宅が密集し、遺構らしきものは見当たらない。

3つしか駅がないこどもの国線、仕方なく1駅だけ乗って恩田で降りる。
その間の車窓も田畑が広がり、親子が凧揚げをしているというほのぼのとした風景がただ眺望できるだけだった。
ただ、電車が走るのは小高い丘状の上で、貨物の引込線のために作られたと思われる形状だ。
恩田駅は近代的な、逆に言えば素っ気ない無機質な駅だが、車両基地があり、ホームから東急車輛に保線車も望める。

簡易自動改札機が並ぶだけの味気ない改札を抜け、葱畑脇を歩く。

線路は恩田川の支流にあたる奈良川と時折交わりながら並走する。この、何回か川を跨ぐ橋のひとつに、貨物線跡があるらしい。

500m以上歩いただろうか、長津田4号踏切と記された脇、矢剣橋の袂に、明らかに不自然な柵がある。

そこから先を見やると、なにやら水路を跨ぐこどもの国線に並ぶ橋梁のようなものが見えるぞ。

恐る恐る近づくと、線路脇の枯れ草の隙間から、錆びついた線路が2本、ハッキリと見て取れた!

(続く)
前回予告した、田奈弾薬庫専用線跡を追ったシリーズを始める前に、
東急こどもの国線、こどもの国駅脇で見かけた、生コン工場の写真を。

【神奈川県横浜市青葉区奈良1丁目】2011年1月撮影
正月で休業中だったので、近づいて撮影できた。もう生コン工場好きなんッスよ~ 普段は仕事の休みが平日なので、稼働中の工場しかみえず、こんな近くで鑑賞できて、つい寄り道が長引いてしまった。
生コンをここで練って、ミキサー車でビルなどの建設現場へ運ぶ。生というだけあって、練った後は硬化が始まるので、小さなエリアに生コン工場が点在する必要があるらしい。
新宿駅近く、高島屋タイムズスクエアの脇という、都心のど真ん中に小さな生コン工場があったのだが、昨年夏、知らぬ間に廃業していたらしい【参考記事:日本経済新聞「新宿から消えた生コン工場」】。
信号待ちをしている間、この工場を眺めるのが好きだった。暗雲立ち込めるだだっ広い空の下そびえる八潮なんかにある大規模な生コン工場もいいが、街角で渋く佇む小さな生コン工場が愛おしくてならない。ココ、こどもの国駅脇の工場も小規模でモロにドツボ。グッときた。もっと写真があるが、それは機を改めて。