中央町の路地を抜け熱海街道の車通りの向こう、西洋風の明らかに周囲から浮いた異様な外壁を纏った建築が鎮座していた。
現在は熱海第一交通というタクシー会社が入っているようで、1F部分はぶち抜かれてタクシーが洗車などをするスペースになっているが、丸窓跡なんかが残っていて、そういうところにホースをかけたりしているのがなんとも可笑しい(人が生活してたので写真がなく申し訳ない)。
2F部は事務所として使われているのかわからないが、外から見ると形状は殆ど残されている。窓ごとの上部半円と屋根の看板部分の模様がリンクしている。ここも半円の中に意匠があったりはしないから、やはりそこがこの土地の特徴なのだろうか。
2Fへと上がる入口上部ガラスにロゴのようなものと電話番号が吹きつけてあるが、熱海第一交通の前のものだろうか。
建物裏手からみると躯体は昔ながらの木造家屋というのがわかる。木製の手すりが黒光りしている風合いがいい。
熱海第一交通の裏側から路地に入る。
古くからの床屋が残っていたり、湾曲して飛び出た窓部分に強引に青いトタンで隠したものがあったりと路地歩きとして飽きない。


海側に抜けると国道135号。渡った先が渚町となる。
こちらにもスナック街が広がっているのだが、一昔前の、というよりリアルタイムでカタギでない空気が漂っている。北上した先に風俗店が点在しているからだろう。

こっちまで来ると、古そうなスナックが並ぶ町並みに出会える。まさしく昔からの水商売の街角といった雰囲気。
その中の一つにTHE私娼跡ともいうべきインパクトありすぎの物件が浮きまくっていた。
もう写真の通り、何の説明も要らないだろうが、2Fのバルコニーの松にくり貫かれた感じに、手摺部分が波打っているのがすごくいい。きっとこんな建物が連なっていたんだろうなぁ。
これだけの物件が発見できれば大収穫だろうと、帰途につこうとしたら、あらら、目の前にホテル?アパート?中途半端な高さの廃墟がドカンと鎮座していた。
錆び具合や植物の繁茂の仕方が廃的にキているが、ダクトの走りっぷりが余計それを助長している。なかなかの圧迫感がある。つい見入ってしまった。
もう十分だろうとデジカメの残量もこの先を考えると心配になってきたので切り上げることにした。再び国道135号に戻り銀座に入ると、ふと足元が気になった。
踏んでいるマンホールを見ると、なんと温泉マークが!
今日の路上観察を招いてくれたようで嬉しくなった。いい感じで〆ることができ、足取りも軽く熱海駅へ向かった。
【終】

熱海銀座から糸川へ十数mの距離だがこのエリアはさすがに赤線の名残は感じられないものの、現在はスナックの類が犇いており、独特のトーンで彩られている。
糸川を渡り中央町に入ると、なにやらドヨンとしたカタギでない空気がなんとなく辻辻から漏れている。
ラーメン屋など飲食店の姿をしているが、2F部分の手摺の木型に意匠が施されていたり、タイル張りの壁に電灯のガラスボール、丸窓もあった。
だんだんテンションも上がって来ると感がさえるのか、路地へ路地へと入っていくと、湾曲して模られた正面2F部を持つ不動産屋を発見。
さらにはかなりの大店だったと思われる、紋章も立派な物件。屋号は「つたや」だろうか。コーナーの湾曲とトップの波の入り方がキレイだ。
地図と記した銭湯の住所を改めて照らし合わせると、適切な住所にマーキングされていないことに気づいた。どうも当該住所が番地まで絞りきれず、丁目の中心にマークされていたようだ。アタター。
旅館があるかと思えば、その前の路地の突き当たりに、先の煉瓦塀が延々と続いている。それが寺社のものというのだから驚きだ。
歩を進めるとなるほど寺が多い。ここは寺町だったのか。それにしても他の寺でも壁の一部が煉瓦造りだったりする。
帰宅後調べて発覚するのだが、ここら一帯は空襲を免れたそうで、ここからは手前の憶測ながら、関東大震災後、防火対策に煉瓦壁が多く採用されたのが今に残っているのではないだろうか。
そしてその参道と思しき路地の両サイドを固めるのが、丸型ランプや一部タイル貼りのスナックや、今様のカフェバーになっているが淡紅色のモルタルで2Fバルコニーの神殿のような意匠との調和がとれていない往時のカフェーのような物件が軒を連ねる。
さらに路地をクネクネ、嘗ての井戸のポンプのみ残したようなものとすれ違ったりしながら彷徨うと、再び表通りの商店街に出た。
続きの住所表記を探していると、この商店街にもモルタル造4連や銅葺きの立派な看板建築が現存していた。
続きの住所を見つけ先とは反対側の路地に入り、やっと銭湯に行き着くことができた。