「スナック」と一致するもの

vol.40 悲しき熱海~赤線跡徘徊・後

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【前編はこちら】

中央町の路地を抜け熱海街道の車通りの向こう、西洋風の明らかに周囲から浮いた異様な外壁を纏った建築が鎮座していた。
40_01.jpg 現在は熱海第一交通というタクシー会社が入っているようで、1F部分はぶち抜かれてタクシーが洗車などをするスペースになっているが、丸窓跡なんかが残っていて、そういうところにホースをかけたりしているのがなんとも可笑しい(人が生活してたので写真がなく申し訳ない)。
40_02.jpg 2F部は事務所として使われているのかわからないが、外から見ると形状は殆ど残されている。窓ごとの上部半円と屋根の看板部分の模様がリンクしている。ここも半円の中に意匠があったりはしないから、やはりそこがこの土地の特徴なのだろうか。
40_03.jpg 2Fへと上がる入口上部ガラスにロゴのようなものと電話番号が吹きつけてあるが、熱海第一交通の前のものだろうか。
40_04.jpg 建物裏手からみると躯体は昔ながらの木造家屋というのがわかる。木製の手すりが黒光りしている風合いがいい。

熱海第一交通の裏側から路地に入る。
古くからの床屋が残っていたり、湾曲して飛び出た窓部分に強引に青いトタンで隠したものがあったりと路地歩きとして飽きない。
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海側に抜けると国道135号。渡った先が渚町となる。
こちらにもスナック街が広がっているのだが、一昔前の、というよりリアルタイムでカタギでない空気が漂っている。北上した先に風俗店が点在しているからだろう。
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40_08.jpg こっちまで来ると、古そうなスナックが並ぶ町並みに出会える。まさしく昔からの水商売の街角といった雰囲気。
その中の一つにTHE私娼跡ともいうべきインパクトありすぎの物件が浮きまくっていた。
40_09.jpg もう写真の通り、何の説明も要らないだろうが、2Fのバルコニーの松にくり貫かれた感じに、手摺部分が波打っているのがすごくいい。きっとこんな建物が連なっていたんだろうなぁ。

これだけの物件が発見できれば大収穫だろうと、帰途につこうとしたら、あらら、目の前にホテル?アパート?中途半端な高さの廃墟がドカンと鎮座していた。
40_10.jpg 錆び具合や植物の繁茂の仕方が廃的にキているが、ダクトの走りっぷりが余計それを助長している。なかなかの圧迫感がある。つい見入ってしまった。

もう十分だろうとデジカメの残量もこの先を考えると心配になってきたので切り上げることにした。再び国道135号に戻り銀座に入ると、ふと足元が気になった。
踏んでいるマンホールを見ると、なんと温泉マークが!
40_11.jpg 今日の路上観察を招いてくれたようで嬉しくなった。いい感じで〆ることができ、足取りも軽く熱海駅へ向かった。

【終】

vol.39 悲しき熱海~赤線跡徘徊・前

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ファイルを整理していたら秘蔵写真が出てきた。かなり前だが、07年正月の熱海旅行記を留めておこう。
熱海は2度目で実に10年ぶり。前回は秘宝館やら鄙びた温泉観光を満喫したわけだが、今回は赤線跡に残っている物件を現存している内にこの目に焼き付けておきたかった。

駅から歩くこと十数分、熱海銀座に出る【熱海銀座商店街振興組合】。◯◯銀座といういわゆる商店街なのだが、どこか寂しく、旧時代の温泉街である雰囲気が漂う。元々はこの辺が中心地だったような風格を感じる。
赤線跡を歩く―消えゆく夢の街を訪ねて (ちくま文庫)町中には糸川が流れ、ここから海まで200mほどの距離になる。糸川を挟んで向こう岸が中央町。川の先の海側が渚町となっている【周辺地図表示】
この糸川縁中央町のエリアに赤線があり、黙認された公娼だったわけだが、昭和32年いっぱいで営業停止になった後は、渚町に青線、つまり私娼として移った。渚町の青線がいつ頃まで続いたかわからないが、糸川の赤線は当時相当名を馳せていたらしい【参考文献:木村聡『赤線跡を歩く』ちくま文庫】

39_01.jpg 39_02.jpg 熱海銀座から糸川へ十数mの距離だがこのエリアはさすがに赤線の名残は感じられないものの、現在はスナックの類が犇いており、独特のトーンで彩られている。
39_03.jpg 39_04.jpg 糸川を渡り中央町に入ると、なにやらドヨンとしたカタギでない空気がなんとなく辻辻から漏れている。
39_05.jpg 39_06.jpg ラーメン屋など飲食店の姿をしているが、2F部分の手摺の木型に意匠が施されていたり、タイル張りの壁に電灯のガラスボール、丸窓もあった。
39_07.jpg 39_08.jpg 39_09.jpg だんだんテンションも上がって来ると感がさえるのか、路地へ路地へと入っていくと、湾曲して模られた正面2F部を持つ不動産屋を発見。
39_10.jpg 39_11.jpg さらにはかなりの大店だったと思われる、紋章も立派な物件。屋号は「つたや」だろうか。コーナーの湾曲とトップの波の入り方がキレイだ。

思った以上の現存率でつい浮き足立ってしまうが、イマヒトツ、本当に娼館だったのかという煮え切らないものがあった。歴史的背景から見てもそうである可能性のほうが高いのだが、もう少し年代の新しい単なる旅館だったんじゃないか、なんても思ってしまう。
というのは、意匠がイマイチ凝ってないのだ。あの不動産屋は確定までも、タイルならもっと彩があってもいいし、柱の飾りなど木部ももっとクネクネしててもいいんじゃないか。
まぁこの界隈の当時の建築流行がそっちに向かなかっただけなんだろうが、そんなことを考えているうちに熱海街道という車通りに出た。さてどうしたものか、このまま海に出ようかなぁと辺りを見回すと、突如、目の前に厳つい物件が現れた!
(続く)

vol.37 新馬場の路地迷宮(夏コミ明け報告付き)

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拙著、B級グルメ町歩きミニコミ誌の新刊を先日無事、初売を遂げた。来て下さった方、多謝!
委託先へは今月末~来月初旬の納品予定。詳しくは右メニューを参照くだされ。

で、毎回コミケ明けは疲れと垢を流すべく、帰りに温泉によるのだが、今年もお台場の有明東京ビッグサイトからアクセスできるエリアにどこか適当なところはないかとアテをつけると、りんかい線で天王洲アイルから京急線沿線に出れるのがわかった。京急沿線は旧東海道沿いに昭和の町並みが残り、真っ黒な温泉が多く湧き出るエリアでもある。
前日からやってそうな温泉銭湯に目星をつけ、地図をプリントアウトしておいた。その地図を持って山手通りから京急新馬場駅周辺の商店街へ入る。

マップ上にマーキングされた場所を目指し路地へ入るも、そこに銭湯はなかった。この銭湯は先ごろリニューアルされたばかりで、HPもツイッターもあり、営業を確認済みだ。廃業したわけない。目の前には煤けた赤茶色の煉瓦で囲まれた寺の壁が続くばかり。異様な光景だ。
37_01.jpg 地図と記した銭湯の住所を改めて照らし合わせると、適切な住所にマーキングされていないことに気づいた。どうも当該住所が番地まで絞りきれず、丁目の中心にマークされていたようだ。アタター。
ということは、ここは北品川2丁目10番地。目指す銭湯は23番地。急ぐ旅ではない、23番地まで順を追って巡るとしよう。

そう頭を切り替えて改めて周囲を見渡すと、ここが異様な空間であることに気づく。住んでいる方には申し訳ないが、表通りの商店街から一本路地を入るだけで複雑に入り組んだ路地裏迷宮が始まる。
37_02.jpg 旅館があるかと思えば、その前の路地の突き当たりに、先の煉瓦塀が延々と続いている。それが寺社のものというのだから驚きだ。
37_03.jpg 37_04.jpg 歩を進めるとなるほど寺が多い。ここは寺町だったのか。それにしても他の寺でも壁の一部が煉瓦造りだったりする。
37_05.jpg 37_06.jpg 帰宅後調べて発覚するのだが、ここら一帯は空襲を免れたそうで、ここからは手前の憶測ながら、関東大震災後、防火対策に煉瓦壁が多く採用されたのが今に残っているのではないだろうか。

路地の住宅と旅館と寺。そしてその隙間に思い出したかのようにポツンとスナックが数件現れる。
寺町が三業地というのは別段珍しい話でもなく、飲食街になるケースも多い。四谷もそうだし、赤線の洲崎パラダイスの前身は根津権現にあった遊廓だった。神社の真向かいに、嘗ては飲食店だったろう看板部分だけ日焼け方が違うモルタル物件や、その棟続きのトタン家。
37_07.jpg そしてその参道と思しき路地の両サイドを固めるのが、丸型ランプや一部タイル貼りのスナックや、今様のカフェバーになっているが淡紅色のモルタルで2Fバルコニーの神殿のような意匠との調和がとれていない往時のカフェーのような物件が軒を連ねる。
37_08.jpg 37_09.jpg さらに路地をクネクネ、嘗ての井戸のポンプのみ残したようなものとすれ違ったりしながら彷徨うと、再び表通りの商店街に出た。
37_10.jpg 続きの住所表記を探していると、この商店街にもモルタル造4連や銅葺きの立派な看板建築が現存していた。
37_11.jpg 37_12.jpg 続きの住所を見つけ先とは反対側の路地に入り、やっと銭湯に行き着くことができた。

銭湯の詳細は上記、私のB級グルメブログの方に掲載しているので参照いただきたいが、まさかこの銭湯に行き着くだけで未知の路地空間を旅行できたとは。なにものかのイタズラに翻弄されたかのような不思議な時間だった。
すっかり北品川の路地に魅せられてしまった。今回はざっと巡っただけだが、これは腰を据えてじっくり歩き、調べていきたい。
ちなみに、この超近代的な銭湯、リニューアル前はどうだったのかと気になってネット上で調べてみたら、かなり渋い町場の看板建築状の物件だったのだが、この外壁というのが、なんと煉瓦造りだったのだ【参照:ぜいりしブログ】。これは実に惜しく、この目で見てみたかった。他にも銭湯が沢山あったようだが、こうした煉瓦壁は探せばまだあるかもしれない。う~ん、この土地とはこの先長い付き合いになりそうだ。