「引込線」と一致するもの

vol.56 多摩湖おとぎ列車終着駅跡・その4

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

(前回の続き)
vol.53 多摩湖自転車道を行く・その1
vol.54 多摩湖の取水塔・その2
vol.55 多摩湖もう一つの取水塔・その3

56_map.jpg

だいだら法師の丘の周辺には寺社が多く点在する。小高い丘は案外と面積が広く、狭山湖こと山口貯水池へ抜けるにはこの丘を大きく迂回しなければならない。山口千手観音と書かれた駐車場に出るが、ここだけ妙に広い空き地のようになっている。
56_01.jpg 廃墟も窺え、なにやら置き去りにされた土地の様相を呈している。
56_02.jpg 実はこの駐車場こそ、消えた西武山口線の終着駅跡で、道路から駐車場へ入る線形が引込線のような形になっている。
56_03.jpg 現在もレオライナーで知られる西武山口線は遊園地前駅と西武球場前駅を結ぶ私鉄が保有する唯一の新交通システム(案内軌条式鉄道)だ。西武ドームへの足として用いられているが、本数の少なさで所沢から西武狭山線の利用客が多く、あまり馴染がないかもしれない。
新交通システムというとモノレールを連想するが、レオライナーは地上を走行する。ほぼ車幅の溝のようなところをタイヤの着いた車両が行き来している。
昭和25年に多摩湖ホテル前駅とユネスコ村駅を結ぶおとぎ線を走る軽便鉄道、おとぎ列車からスタート。その2年後に西武山口線として地方鉄道に転換された。しかし、おとぎ列車の愛称は引き継がれ、昭和47年には蓄電池機関車と併用して冬場以外の土休日限定で蒸気機関車が運行されたりもした。
昭和59年の大改修に伴い新交通システムへと切り替わると共に、遊園地駅(旧多摩湖ホテル前)から西武球場前駅までの区間に変更、それによって遊園地前~ユネスコ村間が廃止された、というわけ。

で、この駐車場の辺りがユネスコ村駅だったという。
車止め代わりにはなってないと思うが、駐車場の縁に沿って廃レールが放置されている。
56_04.jpg 駐車場の裏手が崖になっているからこういうものも必要と思ったのだろか、意味ないと思うがお陰で20年以上経った今でも名残を感じることが出来ている。
56_05.jpg それに加え、廃駅の名残ではないかもしれないが、木の電柱のようなものにライトが取り付けられていた。
56_06.jpg 駐車場の常夜灯なのだろう。
(続く)

田奈弾薬庫専用線跡 その5

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:
これまでの記事:その1その2その3その4 住吉神社からいよいよこどもの国へ向かう。
神社脇道路
先述の通り、廃線跡は神社東側からこどもの国の駐車場へ向かうそうだが、西側もなにか痕跡はないかと疑ってみるも、風雲たけし城でお馴染みとなった緑山スタジオへ続く整備された道路が続くばかりだった。
水道架橋
それでもやや荒漠とした田園風景は廃景探索に相応しく、水路の架橋に惹かれ、東急こどもの国線脇へと導かれた。
線路脇生コン工場路地
ここで、今回の連載の冒頭で紹介した【該当記事】、小規模生コン工場に出くわす。
生コン工場景
工場脇電車通過
工場のすぐ脇を電車が通り、目の前のこどもの国駅へ入線する様が間近に伺える。さて、自分もやっとこ、1年ぶりの入場と行こう。 ●一年前の記事:前連載第33回「弾薬庫ばかりの"子供のくに"」 昨年同様、巨大鏡餅がお出迎え。
こどもの国鏡餅
相変わらず正月早々家族連れで賑わっているが、今回は前回見落としてしまった一部の戦跡と、イサム・ノグチのオブジェを目撃するのが目的だ。 プールを冬期だけリンクに変えたスケート場の脇を進む。こどもの国自体はすり鉢状になっており、入口から放射状に広がるように坂が伸びている。つまり、奥へ行けば行くほど、すり鉢のヘリに向かって坂が急勾配となる。 スケート場脇から坂がはじまる。まず第一のキツい坂を登り終えると、石積みのトンネルが突如として現れる。
石積みトンネル
斜面に埋没するように作られた遊具で、打ちっぱなしのコンクリート煤けた風合いといい、知らなければ旧日本軍時代の遺構と見紛う存在感。
コンクリ突出遊具頭頂部
コンクリ遊具広場
この先、石垣の切通しに、格納庫のような青緑の鉄扉がこれまた遺構のようだが、こちらも後付の単なる設備らしい。
石垣切通
切通鉄扉
切通トンネル
しかしこの先のトンネルといい、軍施設内の引込線跡の気がしてならないのだが、勘ぐり過ぎだろうか。 切通の上には、格納庫の換気口のような、半端に切られた阿部定的なコンクリの物体が整列していた。
換気口整列
よくみると昨年みた旧日本軍のそれとは趣が異なり、ややガンダムチックというか、機能美を超えたものを感じる。
換気口イサムノグチ
これがイサム・ノグチの作品で、言われてみれば先程の切通のトンネルも、形状的にはデザインされた風が感じられなくもない。1965年の開園の翌年、イサム・ノグチ61歳の時の作だそうだが【参照サイト:稲城と田奈の弾薬庫跡】、園内にそれを示す案内板のたぐいが存在しないのは残念でならない。 切通しを抜けると少しの間、閑散とした冬の枯れた山林風景が続く。一部崖か崩れたような山肌を覗かせる箇所があったが、下の方に穴を埋めたような、明らかに土の質の異なる半円状の痕跡を発見した。
弾薬庫跡容疑山肌
やはりこの通り道自体が米軍接収以前より存在していたのではないだろうか。 この先、熱帯植物園手前にイサム・ノグチによる遊具があり、こちらは明らかに後付けされた恣意的なデザインとすぐに見て取れる。
イサムノグチ遊具
高度経済成長期に近未来的とされたような幾何学的な形態ながら、コンクリートをなにかでコーティングすることなく、素材感を全面に出すラインの感じは、一般的な児童向け遊具とは一線を隠していると思う。 そしてここからはさらに先、園内のヘリ、最高位地点を目指す。 (続く)

田奈弾薬庫専用線跡 その4

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:
(その1はコチラ) (その2はコチラ) (その3はコチラ) 道を阻むように聳える神社。 住吉神社.jpg とりあえず急な石段を登りお参りを済ませ、脇の旧道のようなスロープ状の緩やかな坂を下ってみる。 女坂的.jpg かなり切り立った崖であることが、こうして上から見下ろすとよくわかる。 住吉神社上から交差点見下ろす.jpg 崖肌は荒れ、削られてこの勾配ができたようだ。 崖肌.jpg 坂を下り終えると、再びこどもの国通りの神社前交差点に出る。 山側の交差点角には郊外らしく、車検屋や産業廃棄物処理業者の看板が並んでいる。 看板群その1.jpg すると、看板の後ろに穴が開いている空濠を発見した。 看板裏.jpg 周囲を注意してみると、他にいくつかあるようだ。 看板裏UP.jpg 穴の中を覗いても案外奥が深いようで目視に限界があった。 穴.jpg これが一体なんのか、確かめる術は今のところ持ち合わせていないが、旧陸軍の痕跡が現在のこどもの国の敷地内だけではなく、この周辺の山にあったとしてもなんらおかしくはない。しかも、その弾薬庫への引き込み線跡沿いとあっては尚の事。 あるサイトによると【B級スポット&動物園】、収容しきれなかった物資を貯蔵する目的と、不意の空襲時の待避場所だったとのこと。 看板群脇に記念碑がたっている。 記念碑.jpg 関東大震災で住吉神社が倒壊してしまい、その再建の記念を示したもののようだが、この碑は嘗ての鳥居を用いているそうだ。 この裏にも、穴を埋めたような跡を発見した。 記念碑裏.jpg よく見れば、周囲は朽ちたコンクリの土台のようなものがいくつも露出していた。 看板群その2.jpg この交差点から、山に沿って東側が廃線跡でずっと行くとこどもの国の駐車場へぶち当たるが、西側(現・こどもの国通り)はこどもの国駅の脇を通って、こどもの国正面ゲートへとたどり着く。こっちにも引込線が分かれていた可能性もなくもない。多くの廃線跡レポートでは東側に進路をとって駐車場にぶち当たって探索を終えているが、この神社の弾薬庫跡らしき穴を見つけた以上、進路を西にとってみたい。 (続く)

田奈弾薬庫専用線跡 その2

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

(その1はコチラ)

はっきりと引込線が見て取れた。

1.廃線跡.jpg

この線路の先を目で追うと、奈良川がほぼ直角に折れ曲がっているのだが、こどもの国線の線路が川を跨ぐのに並行して、引込線のガーター橋が架かっていた。

2.並行する2線.jpg

リベットが沢山打ち込まれる様が時代を感じさせる。

3.軍用線UP.jpg

レールが2本、さらに並行して川を跨いでいるが、桁に渡していたものなのか、そもそも剥き出しだったのだろうか!?

4.レールむき出し.jpg

こどもの国線は軍用線跡を利用してはいるが、これを見る限り、全く上書きしたのではなく、並行して敷設されたのではないか。
これが全区間か一部区間かはわからないが、とにかく、長津田4号踏切の箇所では、並走していた痕跡がはっきりと見て取れた。

再びこどもの国線に沿って歩く。
こどもの国線とほぼ並走するように蛇行した奈良川はまた大きく右手に折れ、川幅を広く、ほぼ直線に流れだす。

5.蛇行する奈良川.jpg

この大きく折れるところでこどもの国線は川を跨ぐのだが、先の4号踏切からここまでの区間だけ、川が整備されていないというか、農業用水としての原風景に近い姿をみせている。ここから先は護岸整備されている。

奈良川MAP.jpg

航空写真を見ると、4号踏切の辺りから真っ直ぐ干上がった川のような筋が見える。真っ直ぐながれを変える予定があるのだろうか。多くは農地になっているようだが、氾濫したらと思うと心配でならない。

5.奈良川を跨ぐコンクリート橋.jpg

奈良川を跨ぐ橋梁は一見新しそうに見えるが、支柱をみると補強のアームがみてとれ、古いコンクリートとわかる。

5.コンクリート橋UP.jpg

ここまで並走してきたであろうこどもの国線と引込線だが、この先で分岐する。なんでわかるのかというと、この先にその痕跡が残っているからだ。

(続く)

田奈弾薬庫専用線跡 その1

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

今回から数回に分けて散策レポートをお届けしたい。前回記事から間があいてしまい、エラいフリが長くなってしまったが、そんなに期待せず、お楽しみあれ。

前連載の第33回「弾薬庫ばかりの"子供のくに"」にて、横浜にあるレクリエーション施設「こどもの国」は、旧日本軍~米軍施設の跡地であり、未だ数多くの弾薬庫跡が現存している様子を紹介させてもらった。
こどもの国への主たる交通手段となる、東急こどもの国線は、弾薬庫へと伸びる貨物の引込線と触れるに留まったが、その廃線跡が一部現存すると知り、前回から1年、再び正月に長津田駅へ向かう。

長津田駅はJR横浜線と東急田園都市線を繋ぐターミナル駅なので、正月でも駅前のめし屋くらいやってるだろうと気軽な気持ちで降り立ったが、JR側は旧街道の宿場町として嘗ては栄えたって感じに、鄙びた雰囲気。ロータリーも狭く、木造の日本家屋も多い。
1.JR長津田駅前風景.jpg
これなら逆に駅前食堂か喫茶店を期待してしまうが、見事に正月休み。

2.長津田駅東急側田園風景.jpg
田園都市線側はすぐに住宅街だし、こどもの国線に沿って少し歩いてみるが、畑が広がるほどなにもない。
3.長津田1号踏切.jpg
踏切から線路脇を望むも、住宅が密集し、遺構らしきものは見当たらない。

4.長津田こどもの国線線路脇風景.jpg

3つしか駅がないこどもの国線、仕方なく1駅だけ乗って恩田で降りる。
その間の車窓も田畑が広がり、親子が凧揚げをしているというほのぼのとした風景がただ眺望できるだけだった。
ただ、電車が走るのは小高い丘状の上で、貨物の引込線のために作られたと思われる形状だ。
恩田駅は近代的な、逆に言えば素っ気ない無機質な駅だが、車両基地があり、ホームから東急車輛に保線車も望める。
5.恩田駅車庫.jpg
簡易自動改札機が並ぶだけの味気ない改札を抜け、葱畑脇を歩く。
6.葱畑.jpg
線路は恩田川の支流にあたる奈良川と時折交わりながら並走する。この、何回か川を跨ぐ橋のひとつに、貨物線跡があるらしい。
7.川と並走.jpg
500m以上歩いただろうか、長津田4号踏切と記された脇、矢剣橋の袂に、明らかに不自然な柵がある。
8.矢剣橋.jpg
そこから先を見やると、なにやら水路を跨ぐこどもの国線に並ぶ橋梁のようなものが見えるぞ。

9.矢剣橋の先.jpg

恐る恐る近づくと、線路脇の枯れ草の隙間から、錆びついた線路が2本、ハッキリと見て取れた!
10.線路跡2本.jpg
(続く)