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vol.55 多摩湖もう一つの取水塔・その3

(前回の続き)
vol.53 多摩湖自転車道を行く・その1
vol.54 多摩湖の取水塔・その2
55_map.jpg 桜吹雪越しの赤い鉄橋、鹿島橋下の谷間を抜ける。
この先堤体(上貯水池と下貯水池を分ける上堰堤で通称中堤と呼ばれる)に差し掛かると左手に貯水池管理事務所が見える。
ここから中堤が始まるのだが、親柱のデザインもなかなか迫力のあるものになっている。
55_01.jpg ここは多摩湖を南北に縦断する唯一の道路で車の交通量が異常に多い。その割りに道幅が狭く、そのためか柱に信号がつけられている。
徒歩で渡る幅はなく(いやこれマジ死んじゃう!)、堤の下の広場を行くことになる。

中堤上からは上貯水池が見られないので、貯水池管理事務所越しに眺めると・・・おおっ、なんとかかんとかだが、上池取水塔が確認できた。
55_02.jpg 塔自体は大正12年の完成ながら上の操作室は平成3年に改築されている。
55_03.jpg だから下部は欄干と同様にいい感じに歴史を重ねた風合いを漂わせている。
55_04.jpg 横の丸い取水塔は内側が花崗岩でできているそうで、外側はレンガ覆われてている。

下貯水池側の広場に降りるとしよう。
階段脇になにやら城跡に見られるような四角く囲われた石造りの物体が目を引く。
55_05.jpg これは中堤のたわみを測るためにつくられた基準点で、中堤の両岸に4ヶ所づつあるという。
55_06.jpg 現在の工事で他は窺い知ることが出来なかったが、この南4番基準点には基準点となる印がハッキリとみることができた。

中堤の北端に来ると、中島鋭治博士というオッサンの頌徳碑がデンと立っているのが見える。
(写真がどうしても見つからなかったので、リンク先を参照して下され【前掲サイト:多摩湖のページ|多摩湖の歴史1-5 真ん中辺り】スンマセン^^;)
このオッサンこそが、山口・村山貯水池をつくるための調査設計した人なのだ。明治42年に招聘され、最初は大久野貯水池案(現日の出町)という第1計画があったが頓挫し、第2計画である村山貯水池案が通過、大正元年に工事顧問として具体的に着手することになった。
ここでとられた方法は、近くの丘や高台を切り崩し、その土で堤を作るやり方で「アースフィル式ダム」と呼ばれるそうだ。
当時は当然すべて人力で工事が行われたが、資材運搬には軽便鉄道が用いられた。村山貯水池の上流にあたる多摩川の羽村取水堰からの導水路を掘るためにトロッコ軌道が敷設された。導水道の完成に伴い軌道は撤去されたが、軌道跡は現在も残っているらしい!?
そりゃ当然ソソられるわけで、この築堤北端から狭山湖にかけての間にトロッコ軌道の終着駅があったという。いざ参らん!

・・・とその前に。
廃駅へと向かおうとする前に小高い丘が立ちはだかった。
なにやら古寺の門のようなものが出迎えてくれたが、慶性院山門といって村山上貯水池の工事により芋窪にあった寺である慶性院の山門が移転されたものだという。
門をくぐって丘を登ると、上野大仏をコメディタッチにしたような顔だけの石仏が現れた。
55_07.jpg なんとも間抜けな顔ながら、イキナリ現れるとビビる。
ここはだいだら法師の丘と呼ばれているようで、ならばコヤツはだいだら法師なのだろうが、調べてみると昔話のだいだらぼっちのことらしい。だいだらぼっちとは日本の各地見られる巨人伝説で、地方によってその起源は諸説紛々しているようだ。この巨人が一発で村山貯水池つくってくれたら楽だったろうに。でもこの顔のサイズからするとあまりデカくないね(笑)。

(続く)

vol.54 多摩湖の取水塔・その2

(前回の続き)
vol.53 多摩湖自転車道を行く・その1

54_map.jpg

あ、圧倒的じゃマイカ!!?
54_01.jpg 改めて見なくても圧巻のフォルムとディティール、そして経時変化具合。
花見の時期、桜ともよく映える。
54_02.jpg 見とれてばかりもいられないので少々蘊蓄を。
隣り合う二基の村山下貯水池取水塔の第一取水塔は大正14年の完成で、貯水池の取水塔第1号となるらしい。塔は水面の上に出ている部分だけでも12m以上あり、二つの取水塔の中間には朝霞・東村山線から水を引き込む導水路口が潜んでいるという。
円柱型のシルエットにネオバロック様式と呼ばれる柱・窓、そこにドーム屋根が被さるという姿は、その後の取水塔の雛形になった。
54_03.jpg 煉瓦のディテール、半円窓のR、ドーム屋根最上部の針金細工のような意匠、入口上部の紋章、そのどれをとっても間近で見たいと、湖岸と繋がるアーチ橋から潜入したくなるが、残念ながら工事中で間近から拝めない。
水位によって煉瓦部分の経年変化の度合いが違うから独特の退色グラデーションができており、近づきがたいオーラを発している。それにしても昼間からしてこの迫力なのだから、夜中、天体観測なんぞで暗闇の中、傍に取水塔が現れた日にゃ、卒倒してしまうだろう。
カメラを構えながらも、ズームするとどこか後退るような絵になってしまう。ビビリな自分はここで退散。

自転車道へ戻ろうと鉄橋を歩いていたら、石を積んだ段々畑状態の斜面が窺えた。
54_04.jpg 十二段の滝といって、多摩湖がオーバーフロー、つまり堰堤から溢れないようにここから余り水を放水するのだそうで、水の勢いを抑えるため段々になっているという。

自転車道を西へと進む。
左手に瀟洒な住宅が続くここは湖畔という住所地になっている。
54_05.jpg 多摩湖と東大和緑地の間は宅地開発され、キレイに区画整理がされていおり、等身大リカちゃんハウスが並ぶ。ここだけ「ウソだろ!?」って程に虚像のおとぎの国のようだ。
54_06.jpg 今どの辺を走っているのかわからなくなるほど、新緑の落ち着いた風景が延々と続く。次の目的地はまだかよっと思う頃、緑に囲まれた中に真っ赤なラインが覗き見られる。
54_07.jpg 鹿島橋という結構立派な鉄橋で、二つの丘を橋が繋いでいる。橋の手前が村山下貯水池で向こうが上貯水池になっている。つまり谷間の道が、二つの貯水池を区切る堤体へと繋がっている。

ここでその谷間を南へ下ってみることにする。
橋の脇にはまるで獣道のような緑溢れる旧道が続いている。緑のフィルターを通して直射日光は和らぎ、雨露にぬかるんだ足元からは土のにおいがする。
最初はその涼しさに気持ちをよくしていたが、段々と道幅が狭くなるにつれぬかるみも増し、なんだか普段見かけなさそうな両生類がヒョッコリ顔を出しそうな不穏な空気が満ち満ちる空間になっていた。
54_08.jpg 単にビビってきただけだが、この先道はなさそうだと自分に言い訳をして来た道を戻る。
途中の分岐点を入ると、そこは舗装された道路になっていた。ホッと胸をなでおろし、改めて湖の向こう岸へと渡ろう。
(続く)

vol.53 多摩湖自転車道を行く・その1

多摩湖といえば、
♪東村山ぁ~庭先ゃ多摩湖ぉ~

の志村けん「東村山音頭」で有名だが、正式名称は村山貯水池。多摩川の水を東京都心へと引くための中継点、つまり貯水池として戦前の昭和初期、1916~27年の間に作られたのだが、現在首都圏の水の殆どは荒川と利根川の水を利用しているため、防災用というかサブ的なポジションに甘んじている。
多摩湖の詳細や魅力は専門の素晴らしいサイトがあるのでそちらに譲るとして【多摩湖のページ】、当ブログ的には多摩湖周辺の近代化遺産を筆頭とするステキ建造物の数々を巡って行きたい。なにせ歴史がありつつも半ば置き去りにされた感も漂うスポット、つぶさにみていけば幾らでも周辺文化に見どころが落ちていよう。
というわけで、2007年と古くなってしまったが、多摩湖を巡った記録を残しておこう。

巡るといっても1周約22km、とてもじゃないが徒歩での走破は厳しいということで、レンタサイクルという手を使うことに【こだいらネット|和田輪業】(当時100円/1hだったか…要確認)。
53_01.jpg 小平駅前の自転車屋さんで時間貸しをしてくれる。幸い、小平から多摩湖までは多摩湖自転車道がほぼ一直線に続いている。全長約10kmとちょっと距離があるが運動と思って割り切るしかない。
53_02.jpg 実際に走ってみると、武蔵野の草木香るサイクリングロードは実に気持ちよく、あっという間に多摩湖の最寄り駅となる西武多摩湖線の武蔵大和駅まで来た。
この手前に、今で言えばご当地B級グルメとなるだろうか、武蔵野うどんの老舗「きくや」があるので、少し腹ごしらえ【きくやの詳細訪問記はコチラ】

さあここから村山下貯水池へと突入。
53_map.jpg 武蔵大和駅交差点から自転車道を多摩湖へと登ったすぐ右手に広場がある。
自転車道の下を流れる水道道路の導水路や余水吐(よすいばき)など貯水池の施設を記念した公園で一端に水門跡の1/2スケールの復元模型が口をあんぐりと開けて佇んでいる。
53_03.jpg 芝生の上に余りにおもむろにあるので、正直ビビる。
53_04.jpg これと、水門があった跡が残っているのだが、これが鉄道のターンテーブル(方向転換するための転車台)のような形で、嘗てここに東京市軽便鉄道が走っていたので産物と思いたい(ちなみにこの廃線跡の遺構は殆ど残っていない)。
緩やかにクネる上り坂を登ると、桜の時期になると花見客もチラホラ出てくるスポット。
53_05.jpg あと1ヶ月ほどで桜吹雪が舞うようになるが、訪問時は丁度そんな季節。
53_06.jpg 桜を眺めつつ気持ちよく坂を上りきったところで道を離れ南へ下りてみると、急斜面を下った先に露出した水路を発見した。
53_07.jpg 水流は殆どなく、川底に彫られた幅50cmほどの一筋のみを残しているが、この界隈にはこうした貯水池から流れ出る水路の他、水路の跡かはたまた軽便鉄道の廃線跡かという線形を思わせる箇所が幾つも確認できた。
53_11.jpg どれもが忘れ去られたように雑草で茂り、宅地開発された姿とは違った郊外の風景を見せてくれる。
53_1.jpg 再び自転車道に戻ると、右手に見晴台の案内板が見える。
53_08.jpg 以前は狭山自然公園と村山下貯水池の間の堤体に入れたのだが、今この補強工事を行っているため、辺りはフェンスで覆われ、ノンビリ散策できる雰囲気にない。
自転車を止め見晴台へ上ると、以前堤体から望めた、あの取水塔がそのままの姿で現れた。
53_09.jpg 【続く】