■お知らせ■
まぼろしチャンネルニュースでもお伝えしましたが、当ブログの前身となった町歩きラーメン銭湯巡り「ら~めん路漫避行」が本になりました。
【詳細:まぼろしチャンネルニュース|刈部山本B食ブログ】
『路地裏ら~めん漫湯記』 全80頁モノクロ¥800+税 【目次・サンプルページ】
連載全37回の東京23区を扱った回から厳選、大幅に加筆・訂正し書き下ろしを加えた、いわば手前の約10年に渡る活動の総集編です。自費出版のミニコミ誌という体で、ミニコミを扱う一部書店へ順次納品中していきます。納品完了次第、書店を紹介させて頂きますが、通信販売でも対応します。
併せて、08年夏に発行した、大宮の赤線跡や大衆酒場・食堂を巡るレポートをまとめた手製本コピー本『大大宮』の復刊リクエストがありまして、こちらの再版とのセットを、
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以上告知終了。
というわけで、多摩湖巡りの途中だったので、以前vol.63からの続き。今回で一応最後、玉湖神社の行き止まりの道を真反対へと回りこむ。
vol.53 多摩湖自転車道を行く・その1
vol.54 多摩湖の取水塔・その2
vol.55 多摩湖もう一つの取水塔・その3
vol.56 多摩湖おとぎ列車終着駅跡・その4
vol.57 多摩湖、そして狭山湖へ・その5
vol.63 多摩湖トロッコ軌道跡・その6
ここまでの自転車道沿道は公園としても整備された景観で、サイクリングにはもってこいのロケーションだったが、多摩湖西側半分は自転車道こそ整備されているものの、周囲は木々で覆われた雑木林、または藪といった風情で、観光開発として意識されていないようだ。
暗くなるとかなり不安になりそうな光景で、道は完全に移動のために通り抜けるしか目的がなさそうで、通り過ぎる車も心なしか速度が早く感じられる。
ほぼ多摩湖の西端、少し開けたところに出ると、右手に西へと伸びる遊歩道のような整備された道が続いている。正式名称は野山北公園自転車道。ここから真っ直ぐ米軍横田基地まで続いている。
そして反対、多摩湖へ向かってはトロッコ軌道跡の横田トンネルがパックリ口を開いている。
1号隧道(トンネル)横田・2号隧道赤堀・3号隧道御岳・4号隧道赤坂・5号隧道と続く。
最初のトンネルに名づけられた横田という名称だが、一番横田基地側だからではなく(歴史的に考えれば米軍基地が後に出来たとすぐにわかりそうなものだが)、この界隈が村山市横田という町名だったらしい。横田基地は福生に位置するが、フッサというのがどうもアメリカ人には発声しづらく、地図上で近くに大きく書かれていた横田という町名をとった、というのは有名な話だ。
その元祖横田からトンネルに入ると、流石に暗いというか、つくりはしっかりしているものの、歳月を重ねた重みのある質感と空気感でトンネル内は満たされている。
水が滴り落ち非常に涼しいのだが、どこか背筋が寒い。子供が通ったら泣き出しそうな空間だが、近所の方は慣れたもので、何事もないようにまさに涼しい顔で通り過ぎてゆく。犬の散歩とかならわかるが、それ以外の人は何処へ行くのだろう?
余所者にはなんとも治安が悪そうに映るが、トンネルにはシャッターがついており、季節に応じて開閉時間が異なっている。
それぞれのトンネルは一見どれも同じように映るが、だんだんと山深くなるからかそれぞれに何処となく趣を異にしている。
2号隧道赤堀を過ぎたところで赤錆だらけのタンクを発見した。
隣りの小屋もどうも使われていない模様。廃養鶏場だろうか。
トンネルと相まって相当気合の入った廃墟に感じられる。

その後、御岳を過ぎると一気に山深い雰囲気に包まれる。
緑の鬱蒼とした空気が支配している。一応舗装された自転車道なのだが、小さく淀んだ番田池を迂回するように道が折れ、この先は…と心配になるところで4号赤堀が待っている。
ここを越えるともう既に山間の風情。鬱蒼というかジメジメしている。ここで自転車道の舗装が終わり、ぬかるみが始まる。ここまで来たのだからと意を決してぬかるみに足を踏み入れる。
暫くすると封鎖されている5号隧道が現れた。
まさに出現といった面持ちで粗野に打ち付けられた板っ切れが物々しさを演出している。この封鎖はかなり安普請で開けられた形跡がある。
ホームレスが寝泊りしていてもおかしくない雰囲気だ。
トンネル内は暗かったが入口付近に人気がないことを確認し、その安普請な板っ切れの間からトンネルの向こうを覗く。
すると微かな光の円が確認できた。
そこは現在立入が許可されていない多摩湖の土手ッ腹。吸い込まれるように覗いてしまうが、おいッ!なんて今、背中を叩かれたら心臓が飛び出しそうなくらいヤバイな、なんて恐怖心に駆られ、足早に帰路に着いた。
【多摩湖自転車道篇・了】※この周辺の散策は期を改めて…

先の震災で社殿に亀裂が入ったとのことで現在は解体されている模様(
写真上部分が都道で通常車が通る道路。
ゴミが多量に散乱しており、誰かが寝泊まりしたような形跡がある。
立入禁止でフェンスが張り巡らされているが、落ち葉が敷き詰められた廃道が湖へと続いていた。
ならば、この道の対角線上、多摩湖の反対側まで行ってみるとしよう。
案内板によると、第二次大戦中に爆撃から堤体を守るためにコンクリートでブロックした対弾層というものを設けたようだ。
外径約9m高さ約40m昭和9年に完成とある。村山下貯水池の第一取水塔の凡そ10年後の完成となるが、頭頂部がなんだか遊園地に合わせたかのようにメルヘンチックで恐らく後から作り変えたものだと思われる。
そこがチト萎えるが、入口周りの意匠や塔自体の煉瓦の質感は多摩湖と並び一連の取水塔の形式を踏襲しており壮観である。間近で見られないのがつくづく悔やまれる。
(一旦終り:期を改めて多摩湖周辺の別スポットを連載します)
ここは多摩湖を南北に縦断する唯一の道路で車の交通量が異常に多い。その割りに道幅が狭く、そのためか柱に信号がつけられている。
塔自体は大正12年の完成ながら上の操作室は平成3年に改築されている。
だから下部は欄干と同様にいい感じに歴史を重ねた風合いを漂わせている。
横の丸い取水塔は内側が花崗岩でできているそうで、外側はレンガ覆われてている。
これは中堤のたわみを測るためにつくられた基準点で、中堤の両岸に4ヶ所づつあるという。
現在の工事で他は窺い知ることが出来なかったが、この南4番基準点には基準点となる印がハッキリとみることができた。
なんとも間抜けな顔ながら、イキナリ現れるとビビる。
改めて見なくても圧巻のフォルムとディティール、そして経時変化具合。
見とれてばかりもいられないので少々蘊蓄を。
煉瓦のディテール、半円窓のR、ドーム屋根最上部の針金細工のような意匠、入口上部の紋章、そのどれをとっても間近で見たいと、湖岸と繋がるアーチ橋から潜入したくなるが、残念ながら工事中で間近から拝めない。
十二段の滝といって、多摩湖がオーバーフロー、つまり堰堤から溢れないようにここから余り水を放水するのだそうで、水の勢いを抑えるため段々になっているという。
多摩湖と東大和緑地の間は宅地開発され、キレイに区画整理がされていおり、等身大リカちゃんハウスが並ぶ。ここだけ「ウソだろ!?」って程に虚像のおとぎの国のようだ。
今どの辺を走っているのかわからなくなるほど、新緑の落ち着いた風景が延々と続く。次の目的地はまだかよっと思う頃、緑に囲まれた中に真っ赤なラインが覗き見られる。
鹿島橋という結構立派な鉄橋で、二つの丘を橋が繋いでいる。橋の手前が村山下貯水池で向こうが上貯水池になっている。つまり谷間の道が、二つの貯水池を区切る堤体へと繋がっている。
単にビビってきただけだが、この先道はなさそうだと自分に言い訳をして来た道を戻る。
小平駅前の自転車屋さんで時間貸しをしてくれる。幸い、小平から多摩湖までは多摩湖自転車道がほぼ一直線に続いている。全長約10kmとちょっと距離があるが運動と思って割り切るしかない。
実際に走ってみると、武蔵野の草木香るサイクリングロードは実に気持ちよく、あっという間に多摩湖の最寄り駅となる西武多摩湖線の武蔵大和駅まで来た。
芝生の上に余りにおもむろにあるので、正直ビビる。
これと、水門があった跡が残っているのだが、これが鉄道のターンテーブル(方向転換するための転車台)のような形で、嘗てここに東京市軽便鉄道が走っていたので産物と思いたい(ちなみにこの廃線跡の遺構は殆ど残っていない)。
あと1ヶ月ほどで桜吹雪が舞うようになるが、訪問時は丁度そんな季節。
桜を眺めつつ気持ちよく坂を上りきったところで道を離れ南へ下りてみると、急斜面を下った先に露出した水路を発見した。
水流は殆どなく、川底に彫られた幅50cmほどの一筋のみを残しているが、この界隈にはこうした貯水池から流れ出る水路の他、水路の跡かはたまた軽便鉄道の廃線跡かという線形を思わせる箇所が幾つも確認できた。
どれもが忘れ去られたように雑草で茂り、宅地開発された姿とは違った郊外の風景を見せてくれる。
再び自転車道に戻ると、右手に見晴台の案内板が見える。