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右メニューにも紹介させてもらってますが、拙著B食町歩きミニコミ誌の新刊を8月に発行します。初売はコミックマーケット80の3日目(8/14)です。
スペースは、
東"R"-11b 「ガキ帝国」
となります。そちらにご興味のある方、ぜひお立ち寄りください。
各委託先へは8月下旬納品予定です。
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その新刊の特集は「商店喰い-SHOW TEN GUY-」と題しまして、台東区・板橋区メインに、佐竹・鳥越・仲宿・蕨といった商店街とその路地裏をめぐる予定です。
今回は商店の連なり・繋がりを軸に据えていますが、そこから、これまで取り上げてきた戦前~戦後庶民建築はもちろん、戦争遺跡へも迫ります。そして超久々となる、昭和駄菓子屋ゲーセンもピックアップしています。
既に取材は大詰めを迎えているのですが、写真は板橋にある仲宿商店街の路地裏に眠る旧日本軍の遺構の一部。
ちょっと早出しですが、今回もこんな感じで進めてますので、好きな方は期待してくれると嬉しいです。
これまでの記事:
その1|
その2|
その3|
その4 |
その5
熱帯植物園の奥は急な坂道...というか崖とも形容したくなるような上り坂となる。
椿の森と名付けられ、無数に伸びる椿の木々の間を進む。急勾配なので、小道はジグザグに設けられ、それも人一人通るのがやっとだから、花が咲く時期はその見事さと引き換えに、危険を覚悟せねばならないだろう。
椿の森を抜けた先が、園内の最高緯度地点となる。椿園を見下ろすベンチが設けられているのか...にしてはコンクリートが朽ちて危険な状態だ。
これこそ、今回イサム・ノグチ作ともう一つのお目当て、高射砲の台座だ。
表面が崩れてはいるが、4つの柱はシッカリとした太さで、イカツイ出っ張りを今日に晒している。
台下は崩れ落ち、まるで空房のようだ。
中はどうなっているのか、カメラだけ突っ込んで撮影してみた。
が、やはりなにもないようで、石片が転がるのみだった。
60年以上前の建材の手触り。当時の人々の想いや場の空気が知り得ようもないが、その頃からここにあるものに触れることで、なにか感じられることは確かだ。
そんな感慨に耽りながら、再び椿の森を抜け帰路に着くと、普通に家族連れが通る通路脇に、枯葉にうもれてはいるが、コンクリート製の細かな段差を発見した。
その上部には、なにやらモノリス状態のコンクリの壁面の一部が露出している。
急な斜面を階段状に登れるように段差を付けているようだ。
恐らくこれも弾薬庫の一部なのだろうが、この脇に、境界石のように四角いコンクリの塊が一部露出しているのを見つけた。
そのすぐ隣には、先程の高射砲の台座のようなコンクリが横たわっていた。
弾薬庫の頭頂部ではないだろうか。急な斜面を削って弾薬庫にしたので、知らぬ間に屋上に登っていたのか。
すると、換気口のような穴が空いていた。
覗いちゃう? 覗いちゃうか!?
怖いけど、カメラだけ突っ込んでフラッシュを炊く。何が写っているか、感想は各自に委ねる。
なにが写っていただろうか。
なにもなかっただろうか。
見えたかもしれないし、ないのだからみえるはずもない。
ただ、当時よりの風が、中から吹いてきたように思えたのは...勘違いだろうけど...そう感じたことだけは確かだ。
【終】
これまでの記事:
その1|
その2|
その3|
その4
住吉神社からいよいよ
こどもの国へ向かう。
先述の通り、廃線跡は神社東側からこどもの国の駐車場へ向かうそうだが、西側もなにか痕跡はないかと疑ってみるも、風雲たけし城でお馴染みとなった緑山スタジオへ続く整備された道路が続くばかりだった。
それでもやや荒漠とした田園風景は廃景探索に相応しく、水路の架橋に惹かれ、東急こどもの国線脇へと導かれた。
ここで、今回の連載の冒頭で紹介した
【該当記事】、小規模生コン工場に出くわす。
工場のすぐ脇を電車が通り、目の前のこどもの国駅へ入線する様が間近に伺える。さて、自分もやっとこ、1年ぶりの入場と行こう。
●一年前の記事:
前連載第33回「弾薬庫ばかりの"子供のくに"」
昨年同様、巨大鏡餅がお出迎え。
相変わらず正月早々家族連れで賑わっているが、今回は前回見落としてしまった一部の戦跡と、イサム・ノグチのオブジェを目撃するのが目的だ。
プールを冬期だけリンクに変えたスケート場の脇を進む。こどもの国自体はすり鉢状になっており、入口から放射状に広がるように坂が伸びている。つまり、奥へ行けば行くほど、すり鉢のヘリに向かって坂が急勾配となる。
スケート場脇から坂がはじまる。まず第一のキツい坂を登り終えると、石積みのトンネルが突如として現れる。
斜面に埋没するように作られた遊具で、打ちっぱなしのコンクリート煤けた風合いといい、知らなければ旧日本軍時代の遺構と見紛う存在感。
この先、石垣の切通しに、格納庫のような青緑の鉄扉がこれまた遺構のようだが、こちらも後付の単なる設備らしい。
しかしこの先のトンネルといい、軍施設内の引込線跡の気がしてならないのだが、勘ぐり過ぎだろうか。
切通の上には、格納庫の換気口のような、半端に切られた阿部定的なコンクリの物体が整列していた。
よくみると昨年みた旧日本軍のそれとは趣が異なり、ややガンダムチックというか、機能美を超えたものを感じる。
これがイサム・ノグチの作品で、言われてみれば先程の切通のトンネルも、形状的にはデザインされた風が感じられなくもない。1965年の開園の翌年、イサム・ノグチ61歳の時の作だそうだが【参照サイト:
稲城と田奈の弾薬庫跡】、園内にそれを示す案内板のたぐいが存在しないのは残念でならない。
切通しを抜けると少しの間、閑散とした冬の枯れた山林風景が続く。一部崖か崩れたような山肌を覗かせる箇所があったが、下の方に穴を埋めたような、明らかに土の質の異なる半円状の痕跡を発見した。
やはりこの通り道自体が米軍接収以前より存在していたのではないだろうか。
この先、熱帯植物園手前にイサム・ノグチによる遊具があり、こちらは明らかに後付けされた恣意的なデザインとすぐに見て取れる。
高度経済成長期に近未来的とされたような幾何学的な形態ながら、コンクリートをなにかでコーティングすることなく、素材感を全面に出すラインの感じは、一般的な児童向け遊具とは一線を隠していると思う。
そしてここからはさらに先、園内のヘリ、最高位地点を目指す。
(続く)
前回記事で、府中トロポサイトのパラボラアンテナのUPを載せたが、
いきなりでビックリされたかもしれないので、周囲がどんな感じか、
写真はちょっと引いたところ。