vol.37 新馬場の路地迷宮(夏コミ明け報告付き)

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拙著、B級グルメ町歩きミニコミ誌の新刊を先日無事、初売を遂げた。来て下さった方、多謝!
委託先へは今月末~来月初旬の納品予定。詳しくは右メニューを参照くだされ。

で、毎回コミケ明けは疲れと垢を流すべく、帰りに温泉によるのだが、今年もお台場の有明東京ビッグサイトからアクセスできるエリアにどこか適当なところはないかとアテをつけると、りんかい線で天王洲アイルから京急線沿線に出れるのがわかった。京急沿線は旧東海道沿いに昭和の町並みが残り、真っ黒な温泉が多く湧き出るエリアでもある。
前日からやってそうな温泉銭湯に目星をつけ、地図をプリントアウトしておいた。その地図を持って山手通りから京急新馬場駅周辺の商店街へ入る。

マップ上にマーキングされた場所を目指し路地へ入るも、そこに銭湯はなかった。この銭湯は先ごろリニューアルされたばかりで、HPもツイッターもあり、営業を確認済みだ。廃業したわけない。目の前には煤けた赤茶色の煉瓦で囲まれた寺の壁が続くばかり。異様な光景だ。
37_01.jpg 地図と記した銭湯の住所を改めて照らし合わせると、適切な住所にマーキングされていないことに気づいた。どうも当該住所が番地まで絞りきれず、丁目の中心にマークされていたようだ。アタター。
ということは、ここは北品川2丁目10番地。目指す銭湯は23番地。急ぐ旅ではない、23番地まで順を追って巡るとしよう。

そう頭を切り替えて改めて周囲を見渡すと、ここが異様な空間であることに気づく。住んでいる方には申し訳ないが、表通りの商店街から一本路地を入るだけで複雑に入り組んだ路地裏迷宮が始まる。
37_02.jpg 旅館があるかと思えば、その前の路地の突き当たりに、先の煉瓦塀が延々と続いている。それが寺社のものというのだから驚きだ。
37_03.jpg 37_04.jpg 歩を進めるとなるほど寺が多い。ここは寺町だったのか。それにしても他の寺でも壁の一部が煉瓦造りだったりする。
37_05.jpg 37_06.jpg 帰宅後調べて発覚するのだが、ここら一帯は空襲を免れたそうで、ここからは手前の憶測ながら、関東大震災後、防火対策に煉瓦壁が多く採用されたのが今に残っているのではないだろうか。

路地の住宅と旅館と寺。そしてその隙間に思い出したかのようにポツンとスナックが数件現れる。
寺町が三業地というのは別段珍しい話でもなく、飲食街になるケースも多い。四谷もそうだし、赤線の洲崎パラダイスの前身は根津権現にあった遊廓だった。神社の真向かいに、嘗ては飲食店だったろう看板部分だけ日焼け方が違うモルタル物件や、その棟続きのトタン家。
37_07.jpg そしてその参道と思しき路地の両サイドを固めるのが、丸型ランプや一部タイル貼りのスナックや、今様のカフェバーになっているが淡紅色のモルタルで2Fバルコニーの神殿のような意匠との調和がとれていない往時のカフェーのような物件が軒を連ねる。
37_08.jpg 37_09.jpg さらに路地をクネクネ、嘗ての井戸のポンプのみ残したようなものとすれ違ったりしながら彷徨うと、再び表通りの商店街に出た。
37_10.jpg 続きの住所表記を探していると、この商店街にもモルタル造4連や銅葺きの立派な看板建築が現存していた。
37_11.jpg 37_12.jpg 続きの住所を見つけ先とは反対側の路地に入り、やっと銭湯に行き着くことができた。

銭湯の詳細は上記、私のB級グルメブログの方に掲載しているので参照いただきたいが、まさかこの銭湯に行き着くだけで未知の路地空間を旅行できたとは。なにものかのイタズラに翻弄されたかのような不思議な時間だった。
すっかり北品川の路地に魅せられてしまった。今回はざっと巡っただけだが、これは腰を据えてじっくり歩き、調べていきたい。
ちなみに、この超近代的な銭湯、リニューアル前はどうだったのかと気になってネット上で調べてみたら、かなり渋い町場の看板建築状の物件だったのだが、この外壁というのが、なんと煉瓦造りだったのだ【参照:ぜいりしブログ】。これは実に惜しく、この目で見てみたかった。他にも銭湯が沢山あったようだが、こうした煉瓦壁は探せばまだあるかもしれない。う~ん、この土地とはこの先長い付き合いになりそうだ。

右サイドメニューでも告知を更新させてもらったのだが、拙著、B級グルメ町歩きミニコミ誌の新刊が今年も出来ますってことで、予告がてら泣く泣く未掲載となった写真をチト公開。

今回は商店街の特集ということで、昨今、出没エリアとなっている上野御徒町界隈から、日本で2番目に古い佐竹商店街を真っ先にピックアップしてみた。
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既に取り上げているはずだったのだが、あまりに魅力的でボリューム的に収まらず、今回別項を設けるに至った。
36_02.jpg
御多分に漏れずシャッターが多く、距離も短いし、地域密着の洋品店とか寝具、煎餅屋が並ぶ光景は、それほど特徴的と思われないだろうが、入ると何気に人の多い喫茶店がオーソドックスながら渋い仕事をしていたり、インベーダーゲームが現役で稼働していたりする。商店街自体も古いとあって、裏へ回ると、激狭路地がウネウネと続き、戦前の商店の顔を覗かせる。
36_03.jpg
周囲は関東大震災後に建てられ、空襲を免れた看板建築が多く残っているが、それだけでなく、商店街の商店一つ一つが、歴史の生き証人となっている。

先の東日本大震災以後、取り壊される戦前~戦後にかけての民家を、最近あちこちで目にするが、その動向はここでも見受けられた。
商店街の裏側にあった建築が取り壊されたことで、商店の真裏が露呈してしまった。
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おどろおどろしくサビトタンが迫ってくる様子に戦慄を覚えた。
36_05.jpg
こちらは引きの画だが、この右はじの奥に見覚えがあった。上の商店街の写真だ。
だが、肝心の空き地となった場所にあった建物が思い出せない。撮った写真をひっくり返してみても、どうにも思い当たらない。
見落としていたのだろうが、こうして建物も時代とともに移ろいでいくもの。それでいいのだろう。

vol.35 東京ゲートブリッジ その3

その1 | その2

湾沿いに突如、錆びに錆びまくった物体が転がっているのが目に入ってきた。
35_01.jpg なんだ、なんなんだこりゃ!?
よくみると、錨(いかり)など船舶のパーツのようなものにみえる。
35_02.jpg しかし漂着したというより、何者かの意志が介在したような、恣意的な配置に見えてならない。
どうも、これはアート作品というかオブジェのようなものらしい。
35_03.jpg 散乱する丸太は、空からみるとカニの形をしているようで【航空写真】、他に「海の王座」と題された作品もあるが、これという大々的なアートとしてのアピールはなく、どちらかと言えば放置プレイ的。産業遺産が散乱していると捉えたい格好だ。
35_04.jpg

それが結構かっこ良く、あまりアート的な個人の主張を感じさせないところに好感が持てた。
35_05.jpg 海と空の青さに映える錆びついたドス黒い紅。
35_06.jpg 特にクラブマンハイレッグのようなタカアシガニ型の代物はシルエットも美しく、バカみたいに晴れ渡った青空に頽廃的な影を落としていた。
35_07.jpg 作品とはいえ、なにか日常的なもので組み上げられているのに日常的でないものを見せつけられたような、不思議な気分になってしまった。
そんな折、広い空の下、海を眺めていたら、沖合にクレーン船を発見した。
35_08.jpg ゲートブリッジに近づいてきているのだろう。やはり箱桁の結節工事は進んでいるようだ。
この他にも、海底の堆積物を取り除く浚渫(しゅんせつ)船と覚しきシルエットも見受けられた。
35_09.jpg やはりここは湾岸開発の最前線なのだ。日常目にしないサイズの物に圧倒され、満足の後に帰路に着くことに。

行きとは別に、若洲から木場の貯木場の辺りまで歩いた。
35_10.jpg 運河沿いの工場を眺めながら、結構な距離歩いただろうか。
35_11.jpg 疲れたところで東京ヘリポート前のバス停から東京メトロ東西線の木場駅へ出た。

今回、どこがレトロだという散策になったが、産業遺構や巨大建造物を前にすると、日常当たり前だと思っている人間サイズの光景をあっさりと超えたスケールに、日常の小さな世界の中で生きていることを実感させられる。こうした異化効果や擬似的時間旅行は戦前の民家の並ぶ路地裏に迷い込んだ時に感じる錯覚と通じるものがある。今回も日常を見つめるいい自覚の契機になった。
ゲートブリッジが開通すれば徒歩で渡れる。またその頃に来て、今度は西側の中央防波堤を散策するとしよう。

(完)

vol.34 東京ゲートブリッジ その2

前回の記事

釣り人の多くいる堤防を真っ直ぐに進み、ゲートブリッジの結節点の真下あたりまで行くことができる。
34_01.jpg 橋脚部分を見上げると、まだ建設中といった風情が残っている。
34_02.jpg 釣り人を避けながら歩くこと10分。いよいよ先端まで近づいてきた。
34_03.jpg 灯台越しに結節部を見上げる。
34_04.jpg おおっ、いいねぇ。ここが近々いよいよ繋がるのかぁ。
どん詰まりの鉄柵に掴まりながら、そうこうしていると直ぐに時間が過ぎてしまうが、場所が場所なので、吹きっさらりの海風で、時折身体が持って行かれそうになる。
続々見物人は来るし(平日の真昼間にもかかわらず、自分のような物好きは結構いるものだ)、長居もしていられず、再び堤防を戻ることに。
34_05.jpg 堤防には完成時のプレートが埋め込まれていた。1980年――凡そ30年前か。ちなみにケーソンとは地中や水中に埋めるコンクリートor鋼製の箱。

若洲海浜公園へ戻り、公園を外周する遊歩道沿いに少し歩いてみる。
するとなにやらバージ船(艀はしけ=小型の貨物船)のような貨物船がみえた。
34_06.jpg どうもゲートブリッジを結節する箱桁を海上輸送しているらしい【ゲートブリッジHPのPDF「中央径間箱桁仮設工事の概要」を参照】。パーツを運んでここで組み上げ、起重操船「富士」なるクレーン船で持ち上げるのだろうか(クレーン船そのものを組み上げるのかな)。タモリ倶楽部では、最近港湾部の大型工事でよく見かける第50吉田号【吉田組HP参照】が写っていたが。

こういう作業は遠くからではチットも進捗がないようにしか見えないので、再び遊歩道を歩くことに。
青空の下、妙にバカ明るく脳天気な光景が広がる。
34_07.jpg すると、突如としてこの光景には異物としか映らない、謎の物体が目に飛び込んできた!

(続く)

vol.33 東京ゲートブリッジ その1

先日、HDレコーダに溜まっていたテレビ番組録画をチェックしていたら、タモリ倶楽部の東京ゲートブリッジの回を発見した。
番組では、新木場側(南側埋立地:若洲)とお台場側(埋立地南端:中央防波堤)の橋が結節した後にロケが行われたようだが、自分はこの結節する中央径間箱桁架設工事を狙って訪問する予定だったのだが、工事3日間の最終日(2011.2.27)、一本につながった日には都合が合わず、その瞬間をおさめることができなかった。
初日にいくも、迫力ある映像は撮影できなかったが、とりあえず、ゲートブリッジの恐竜然としたシルエットの迫力は感じられると思うので、ひとまず、レポートさせていただきたい。

そもそもゲートブリッジは・・・詳しいことは国土交通省のHPを見ていただくのが一番。
国土交通省関東地方整備局 東京港湾事務所:東京港恐竜出現!?
まぁ沖へ沖へと増殖する埋立地を結ぶ新たな橋というわけだが、三角形(トラス)の骨組みで構成された造形が、近年稀に見る機能美溢れる橋桁で、構造物オタクの心を鷲掴みにしている(と自分は勝手に解釈している)。
初めてゲートブリッジのイメージを見たとき、久々に一瞬でグッときた。
しかも徒歩で渡ることができると聞き、それ以来、完成を待ちわびているのだ。

新木場からもお台場からもバスで近くまでアプローチできるのだが、新木場側は若洲海浜公園というゴルフ場やキャンプ場を備えたレジャー施設があるため、比較的アクセスしやすい。午後に訪れたので西日を考慮して、本来西側に当たる中央防波堤から撮影するのがいいに決まってるのだが、今回は勘弁頂き、後日、改めるとしよう。
というのも、新木場駅舎下に、ややディープな定食屋があると聞いて、どーしてもそこでお昼を済ませたかったのだ。そんな理由かよ!?
とはいえ、かなりステキな店なので、私のB級グルメブログをぜひ、参照いただきたい。
デウスエクスマキな食卓:丸惣@新木場~その暗い路地を抜けろ!

さば味噌に満足したところで、駅前ロータリーから都バス、木11:若洲キャンプ場前行きに乗り込む。

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倉庫群の間を縫うように走り、橋を渡ると若洲エリア。ここから工事中の風景が目立つようになる。ゲートブリッジの完成にあわせ、整備が進んでいるようだ。臨時のガードレールのウサちゃんが無限増殖する、なんとも壮絶な光景だ。

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風車が近づいてくると、いよいよ若洲海浜公園エリアに入る。

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終点若洲キャンプ場も臨時のバス停で、砂利道を跨ぐように管理事務所を抜けて、ゲートブリッジの橋脚のたもとへ。ここから堤防が橋梁の結節点のほぼ真下まで伸びている。ここで一気に視界が開け、東京港が見渡せる。風が冷たいが、なんとも清々しい気分になる。

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遠くに工場が伺えるのが、なんとも臨港風景らしい。

33_05.jpg

この堤防は釣り人用に解放されているようで、平日の昼までも釣り客が結構糸を垂らしている。
その先に、件の恐竜が2頭、頭をもたげ向かい合っている様がはっきりと見て取れた。

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(続く)

夏コミ当選!新刊出します!!

右メニューにも紹介させてもらってますが、拙著B食町歩きミニコミ誌の新刊を8月に発行します。初売はコミックマーケット80の3日目(8/14)です。 スペースは、 東"R"-11b 「ガキ帝国」 となります。そちらにご興味のある方、ぜひお立ち寄りください。 各委託先へは8月下旬納品予定です。 >サークルページへリンク その新刊の特集は「商店喰い-SHOW TEN GUY-」と題しまして、台東区・板橋区メインに、佐竹・鳥越・仲宿・蕨といった商店街とその路地裏をめぐる予定です。 今回は商店の連なり・繋がりを軸に据えていますが、そこから、これまで取り上げてきた戦前~戦後庶民建築はもちろん、戦争遺跡へも迫ります。そして超久々となる、昭和駄菓子屋ゲーセンもピックアップしています。 既に取材は大詰めを迎えているのですが、写真は板橋にある仲宿商店街の路地裏に眠る旧日本軍の遺構の一部。 itabashi_sample.jpg ちょっと早出しですが、今回もこんな感じで進めてますので、好きな方は期待してくれると嬉しいです。

【お知らせ】模索舎のトークイベントに出ます

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拙ミニコミ誌の委託でお世話になっている、少部数出版物取扱専門店、模索舎より、「一人で町歩きのミニコミ誌を発行すること」について、喋ってくれと依頼がりまして、トークイベントに参加させて頂くこととなりました。 メインイベントは、集英社より刊行されました、開高健ノンフィクション賞次点作品『ミドリさんとカラクリ屋敷』の著者、鈴木遥女史のトークなのですが、鈴木女史は地域ミニコミ誌も手掛けていることから、第2部(19:30)より、手前を交えてのトークセッションと相成りました。
ミドリさんとカラクリ屋敷第八回 開高健ノンフィクション賞次点作品 『ミドリさんとカラクリ屋敷』(集英社)刊行記念イベント 蜜月なお話し:模索舎ブログ詳細ページ 制作エピソードからまち歩き、おいしいもの、カフェ、一箱古本市、ミニコミ制作などなど... 『ミドリさんとカラクリ屋敷』著者にして雑誌『蜜月』【蜜月HP】編集者でもある鈴木遥さんとゲストの方々のトーク。 日時:5月28日 18:00~21:00 ※事前に予約された方には座席をご用意します。 ※ご予約無しでもご入場できますが、立ち見になる場合がございます。できるだけ事前にご予約をお願いいたします。
満足に話せるようなことなどないのですが、これまでの経験から、町と小規模飲食店を文章で扱うことについて...あまり自分出過ぎないように、かといって地蔵にならないように...喋りたいと思います。 僭越ながら、もし興味ある方がいらっしゃいましたら、足を運んでみてください。

田奈弾薬庫専用線跡 その6

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これまでの記事:その1その2その3その4 その5 熱帯植物園の奥は急な坂道...というか崖とも形容したくなるような上り坂となる。 椿の森と名付けられ、無数に伸びる椿の木々の間を進む。急勾配なので、小道はジグザグに設けられ、それも人一人通るのがやっとだから、花が咲く時期はその見事さと引き換えに、危険を覚悟せねばならないだろう。 椿の森を抜けた先が、園内の最高緯度地点となる。椿園を見下ろすベンチが設けられているのか...にしてはコンクリートが朽ちて危険な状態だ。 これこそ、今回イサム・ノグチ作ともう一つのお目当て、高射砲の台座だ。
表面が崩れてはいるが、4つの柱はシッカリとした太さで、イカツイ出っ張りを今日に晒している。
台下は崩れ落ち、まるで空房のようだ。 中はどうなっているのか、カメラだけ突っ込んで撮影してみた。 が、やはりなにもないようで、石片が転がるのみだった。 60年以上前の建材の手触り。当時の人々の想いや場の空気が知り得ようもないが、その頃からここにあるものに触れることで、なにか感じられることは確かだ。 そんな感慨に耽りながら、再び椿の森を抜け帰路に着くと、普通に家族連れが通る通路脇に、枯葉にうもれてはいるが、コンクリート製の細かな段差を発見した。 その上部には、なにやらモノリス状態のコンクリの壁面の一部が露出している。
急な斜面を階段状に登れるように段差を付けているようだ。 恐らくこれも弾薬庫の一部なのだろうが、この脇に、境界石のように四角いコンクリの塊が一部露出しているのを見つけた。 そのすぐ隣には、先程の高射砲の台座のようなコンクリが横たわっていた。 弾薬庫の頭頂部ではないだろうか。急な斜面を削って弾薬庫にしたので、知らぬ間に屋上に登っていたのか。 すると、換気口のような穴が空いていた。
覗いちゃう? 覗いちゃうか!? 怖いけど、カメラだけ突っ込んでフラッシュを炊く。何が写っているか、感想は各自に委ねる。 なにが写っていただろうか。 なにもなかっただろうか。 見えたかもしれないし、ないのだからみえるはずもない。 ただ、当時よりの風が、中から吹いてきたように思えたのは...勘違いだろうけど...そう感じたことだけは確かだ。
【終】

田奈弾薬庫専用線跡 その5

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これまでの記事:その1その2その3その4 住吉神社からいよいよこどもの国へ向かう。
神社脇道路
先述の通り、廃線跡は神社東側からこどもの国の駐車場へ向かうそうだが、西側もなにか痕跡はないかと疑ってみるも、風雲たけし城でお馴染みとなった緑山スタジオへ続く整備された道路が続くばかりだった。
水道架橋
それでもやや荒漠とした田園風景は廃景探索に相応しく、水路の架橋に惹かれ、東急こどもの国線脇へと導かれた。
線路脇生コン工場路地
ここで、今回の連載の冒頭で紹介した【該当記事】、小規模生コン工場に出くわす。
生コン工場景
工場脇電車通過
工場のすぐ脇を電車が通り、目の前のこどもの国駅へ入線する様が間近に伺える。さて、自分もやっとこ、1年ぶりの入場と行こう。 ●一年前の記事:前連載第33回「弾薬庫ばかりの"子供のくに"」 昨年同様、巨大鏡餅がお出迎え。
こどもの国鏡餅
相変わらず正月早々家族連れで賑わっているが、今回は前回見落としてしまった一部の戦跡と、イサム・ノグチのオブジェを目撃するのが目的だ。 プールを冬期だけリンクに変えたスケート場の脇を進む。こどもの国自体はすり鉢状になっており、入口から放射状に広がるように坂が伸びている。つまり、奥へ行けば行くほど、すり鉢のヘリに向かって坂が急勾配となる。 スケート場脇から坂がはじまる。まず第一のキツい坂を登り終えると、石積みのトンネルが突如として現れる。
石積みトンネル
斜面に埋没するように作られた遊具で、打ちっぱなしのコンクリート煤けた風合いといい、知らなければ旧日本軍時代の遺構と見紛う存在感。
コンクリ突出遊具頭頂部
コンクリ遊具広場
この先、石垣の切通しに、格納庫のような青緑の鉄扉がこれまた遺構のようだが、こちらも後付の単なる設備らしい。
石垣切通
切通鉄扉
切通トンネル
しかしこの先のトンネルといい、軍施設内の引込線跡の気がしてならないのだが、勘ぐり過ぎだろうか。 切通の上には、格納庫の換気口のような、半端に切られた阿部定的なコンクリの物体が整列していた。
換気口整列
よくみると昨年みた旧日本軍のそれとは趣が異なり、ややガンダムチックというか、機能美を超えたものを感じる。
換気口イサムノグチ
これがイサム・ノグチの作品で、言われてみれば先程の切通のトンネルも、形状的にはデザインされた風が感じられなくもない。1965年の開園の翌年、イサム・ノグチ61歳の時の作だそうだが【参照サイト:稲城と田奈の弾薬庫跡】、園内にそれを示す案内板のたぐいが存在しないのは残念でならない。 切通しを抜けると少しの間、閑散とした冬の枯れた山林風景が続く。一部崖か崩れたような山肌を覗かせる箇所があったが、下の方に穴を埋めたような、明らかに土の質の異なる半円状の痕跡を発見した。
弾薬庫跡容疑山肌
やはりこの通り道自体が米軍接収以前より存在していたのではないだろうか。 この先、熱帯植物園手前にイサム・ノグチによる遊具があり、こちらは明らかに後付けされた恣意的なデザインとすぐに見て取れる。
イサムノグチ遊具
高度経済成長期に近未来的とされたような幾何学的な形態ながら、コンクリートをなにかでコーティングすることなく、素材感を全面に出すラインの感じは、一般的な児童向け遊具とは一線を隠していると思う。 そしてここからはさらに先、園内のヘリ、最高位地点を目指す。 (続く)