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現在復旧作業中です。明日・明後日中には完了させますので、
お見苦しい点ありますが、どうぞご容赦ください。
はっきりと引込線が見て取れた。
この線路の先を目で追うと、奈良川がほぼ直角に折れ曲がっているのだが、こどもの国線の線路が川を跨ぐのに並行して、引込線のガーター橋が架かっていた。
リベットが沢山打ち込まれる様が時代を感じさせる。
レールが2本、さらに並行して川を跨いでいるが、桁に渡していたものなのか、そもそも剥き出しだったのだろうか!?
こどもの国線は軍用線跡を利用してはいるが、これを見る限り、全く上書きしたのではなく、並行して敷設されたのではないか。
これが全区間か一部区間かはわからないが、とにかく、長津田4号踏切の箇所では、並走していた痕跡がはっきりと見て取れた。
再びこどもの国線に沿って歩く。
こどもの国線とほぼ並走するように蛇行した奈良川はまた大きく右手に折れ、川幅を広く、ほぼ直線に流れだす。
この大きく折れるところでこどもの国線は川を跨ぐのだが、先の4号踏切からここまでの区間だけ、川が整備されていないというか、農業用水としての原風景に近い姿をみせている。ここから先は護岸整備されている。
航空写真を見ると、4号踏切の辺りから真っ直ぐ干上がった川のような筋が見える。真っ直ぐながれを変える予定があるのだろうか。多くは農地になっているようだが、氾濫したらと思うと心配でならない。
奈良川を跨ぐ橋梁は一見新しそうに見えるが、支柱をみると補強のアームがみてとれ、古いコンクリートとわかる。
ここまで並走してきたであろうこどもの国線と引込線だが、この先で分岐する。なんでわかるのかというと、この先にその痕跡が残っているからだ。
今回から数回に分けて散策レポートをお届けしたい。前回記事から間があいてしまい、エラいフリが長くなってしまったが、そんなに期待せず、お楽しみあれ。
前連載の第33回「弾薬庫ばかりの"子供のくに"」にて、横浜にあるレクリエーション施設「こどもの国」は、旧日本軍~米軍施設の跡地であり、未だ数多くの弾薬庫跡が現存している様子を紹介させてもらった。
こどもの国への主たる交通手段となる、東急こどもの国線は、弾薬庫へと伸びる貨物の引込線と触れるに留まったが、その廃線跡が一部現存すると知り、前回から1年、再び正月に長津田駅へ向かう。
長津田駅はJR横浜線と東急田園都市線を繋ぐターミナル駅なので、正月でも駅前のめし屋くらいやってるだろうと気軽な気持ちで降り立ったが、JR側は旧街道の宿場町として嘗ては栄えたって感じに、鄙びた雰囲気。ロータリーも狭く、木造の日本家屋も多い。
これなら逆に駅前食堂か喫茶店を期待してしまうが、見事に正月休み。
田園都市線側はすぐに住宅街だし、こどもの国線に沿って少し歩いてみるが、畑が広がるほどなにもない。
踏切から線路脇を望むも、住宅が密集し、遺構らしきものは見当たらない。
3つしか駅がないこどもの国線、仕方なく1駅だけ乗って恩田で降りる。
その間の車窓も田畑が広がり、親子が凧揚げをしているというほのぼのとした風景がただ眺望できるだけだった。
ただ、電車が走るのは小高い丘状の上で、貨物の引込線のために作られたと思われる形状だ。
恩田駅は近代的な、逆に言えば素っ気ない無機質な駅だが、車両基地があり、ホームから東急車輛に保線車も望める。
簡易自動改札機が並ぶだけの味気ない改札を抜け、葱畑脇を歩く。
線路は恩田川の支流にあたる奈良川と時折交わりながら並走する。この、何回か川を跨ぐ橋のひとつに、貨物線跡があるらしい。
500m以上歩いただろうか、長津田4号踏切と記された脇、矢剣橋の袂に、明らかに不自然な柵がある。
そこから先を見やると、なにやら水路を跨ぐこどもの国線に並ぶ橋梁のようなものが見えるぞ。
恐る恐る近づくと、線路脇の枯れ草の隙間から、錆びついた線路が2本、ハッキリと見て取れた!
(続く)
前回予告した、田奈弾薬庫専用線跡を追ったシリーズを始める前に、
東急こどもの国線、こどもの国駅脇で見かけた、生コン工場の写真を。
【神奈川県横浜市青葉区奈良1丁目】2011年1月撮影
正月で休業中だったので、近づいて撮影できた。もう生コン工場好きなんッスよ~ 普段は仕事の休みが平日なので、稼働中の工場しかみえず、こんな近くで鑑賞できて、つい寄り道が長引いてしまった。
生コンをここで練って、ミキサー車でビルなどの建設現場へ運ぶ。生というだけあって、練った後は硬化が始まるので、小さなエリアに生コン工場が点在する必要があるらしい。
新宿駅近く、高島屋タイムズスクエアの脇という、都心のど真ん中に小さな生コン工場があったのだが、昨年夏、知らぬ間に廃業していたらしい【参考記事:日本経済新聞「新宿から消えた生コン工場」】。
信号待ちをしている間、この工場を眺めるのが好きだった。暗雲立ち込めるだだっ広い空の下そびえる八潮なんかにある大規模な生コン工場もいいが、街角で渋く佇む小さな生コン工場が愛おしくてならない。ココ、こどもの国駅脇の工場も小規模でモロにドツボ。グッときた。もっと写真があるが、それは機を改めて。
全て【東京都北区王子本町】2010.12月同日撮影
【前回】に引き続き、王子本町アパート。
というのも、右サイドバーに告知の、会場のみで発行した手作り中綴じ限定本を、今1月のみ再版した、新刊『立喰いの挽歌』との限定セット【詳細】・【ヤフオク】。その限定本のひとつ、『街道をくう01-旧岩槻街道王子~赤羽篇-』【詳細】を、委託先書店であるタコシェ(納品済)と東京堂書店ふくろう店(1/22以降)のみちょっとした事情で扱いがあるので、告知を兼ねて、未掲載フォトをば。
前回UPした給水塔。こっちの方が団地との位置関係が分かりやすいか。
給水塔向いの2号棟にちょっと寄ったところ。
この日は晴れて青空だったので、煽るとやっぱり団地が映えるわ~
上の城壁状の団地の裏手は、比較的規模の小さいのがポツポツと建っている。電線の入り組み具合もまた、昭和の団地との相性がいい、見事な景観となる。電線をどう入れ込むか、この写真はそんな上手くいってないけど、団地撮影、また撮影しなくとも、鑑賞の際は構図どりが楽しい。
この周辺にある母子アパートなどもそのうちまとめてUPした。
次回は久々に(このブログになってからは初か)、数回の連載形式でレポートを書こうと思う。
そうそう、遅くなりましたが、昨年末はコミケありがとうございました。沢山の方に新刊『立喰いの挽歌』を手に取って頂けて、光栄でした。
右サイドバーに告知させていただきましたが、会場のみで発行した手作り中綴じ限定本を、今1月のみ再版します。『立喰いの挽歌』込みの限定セットにして受注受け付けてますので、宜しければどうぞ【詳細ページ】。ヤフオクからも注文できます【ヤフオク】。
その限定本のひとつ、『街道をくう01-旧岩槻街道王子~赤羽篇-』【詳細】の取材で、昨年末に行ったのが、王子本町アパート。
都営王子・王子本町・王子本町母子・中十条第1、という4つの団地で形成された一大団地群だが、それぞれの敷地面積自体はそう広くなく、王子本町アパートは71年完成と昭和40年代の団地ながら、その他は昭和30年代築の典型的にシンプルなシルエットの公団住宅が並んでいる。
伺った際、王子本町団地の一部が建て替えで取り壊しの最中だった。
撮影した給水塔脇に連なる棟は昭和40年代の団地部分だろう、まだ新しく映る。たが、この電線と給水塔と団地のコントラスが違った形となるのはそう遠い話でもなさそうだ。
明けましておめでとうございます。
新年一発目は、正月に久々に所要で通りがかった渋谷で見つけた物件をば。
以前、とある方から写真を見せていただいていたが、あぁ、これのことかと。
【東京都渋谷区道玄坂2丁目】2011.1月撮影
道玄坂の中程に建っている看板建築群。一瞬6軒繋ぎかと思うが、2軒繋ぎが3棟建て。木造2階で擬似3階建てになっているような感じ。3階が屋根裏っぽい。また反った弧の様な坂の勾配に微妙に合わせて屋根が2軒ずつ段々になっているのも面白い。
ネットで検索してみると、2004年にはすべての商店が閉店しているようだが、この立地で、しかも背後からビル群に包囲されているにも関わらず、未だ再開発の手がかからないというのも凄い。
駅前から川口神社まで、迂回するように1kmくらいかな、ずっと屋台が続くのだが、昔からのルートなので、沿道には戦後、もしくは戦前からあるような建物も見受けられる。
かなり立派で石積み調のどっしりとした佇まい。レンガ部分が実に重厚感あるが、和洋折衷の邸宅なので、大正時代のものか。