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第8回「学級委員選挙のアメとムチ」の巻 串間努


 新聞に寄りますと!

新聞見出し

 【岡山】岡山県K郡B町、H小学校=E校長=の『学級委員』選挙にからみ、人権侵害だという訴えがあり、岡山地方法務局T支局は25日調査をはじめたが、同学級委員選挙で大人の世界そっくりの不正が行われていたことがわかり関係者をあわてさせている。
 事の起こりはさる1月11日、同小学校3年生36人の学級=Y教諭=で3学期の委員を選挙した際、先生にとって思わしくない男の子2人が当選した。そのうち1人は乱暴な性格で、学業も思わしくなく、もう1人も同じような理由から学級委員にはむずかしいと判断、学校側は1月17日、別の2人を学級委員に任命した。選挙されたA少年の父親がこれを不当だと学校申し入れ、今月中旬岡山法務局T支局へ人権侵害だと訴えたもの。
 ところが調べによると、2人のうちA少年(9つ)は選挙の前日ごろ同級生の男の子に対し鉛筆を渡し、投票しないとなぐるぞとおどしたこと、担任教諭の立ち合いで行われた選挙の直前にも投票を頼んでいたことなどがわかった。事情を聞いた教育関係者や補導係の警官たちは、人権侵害の訴えも訴えだが、わずか9歳の2少年が買収じみた行為やおどしを行っているのにびっくりして、その解決に苦慮している。同町は一昨年春の県議選挙で郡ぐるみ違反といわれるほど激しい違反の行われた地域で、大人への不正が子どもに影響したものと考えられている。
(朝日新聞/1961年2月26日/朝刊)

◆いつから子どもは大人になるのか

 子どもにとって、大人は脅威の存在であり、それを越えていくために大人の真似をすることがある。それは一見、カワイイ背伸びに見えるが、心理学的には、モデルとなる人物を設定し、その人の行動を観察、模倣することを通じて自分なりの行動を確立する社会的学習のうちの、「観察学習」である。
 この事件には問題点が2つある。先生が昔の「級長選抜」式にクラス委員を学校側が管理しやすい優等生を望み、選挙といいながら子どもたちの自由意思の無視、もっと大上段に振りかぶれば、一度選ばれた者を無効にするという「民主主義に対する挑戦」をしていることである。これだけなら、体面を慮り、保身に汲々とする教師を責めれば済むのだが、さらに問題を複雑にしているのが、選抜された児童の起こした行動である。わずか9歳の少年が暴力と懐柔によって選挙の票を集めて学級委員になろうとしたのだ。

 この事件、当初は、よくある学級委員を優等生ではなく、クラスのお調子者を洒落で選んだ事件かと思っていたが、買収があろうとは。そんなにもこのクラスで委員長になることはなにか利権があったのだろうか。岡山のジャイアンよ教えてくれ。
 そもそもクラス委員になることなんて、ボクたちの時代にはステータスでも、お得な地位でもなんでもなかった。頭脳が優れたものが教師の推薦で委員長になり、頭の悪い児童どもの崇敬を集めるなんてことはなかったし、ボクの学校では、逆に委員長はいじめられていたくらいであった。騒がしい級内を鎮めようと「静かにしてください」と甲高い声で注意すると「マジメ〜」と揶揄したり、「委員長なんだから掃除をしろよ」と仕事を押しつけられたり。悪いことをみても他人に注意できない、あるいは注意されても効かないという性格を持つ世代はこのあたりがルーツかもしれない。教師による教室内の統制がとれないなんてことが起こってきたのは、昭和30年代後半ころからなのだろう。

 大人がやっている「買収」という複雑な選挙違反を真似すれば、当選できると考えた彼ら2少年の精神面ははたして「大人」に脱皮していたのだろうか。しかし、精神面から子どもから大人への変身をとらえるのはかなり困難だ。
 大人になることの位置づけを、現代の複雑な社会構造の中で、考えてみよう。例えば、生理的な側面から考えれば、生殖機能を果たせるようになった時、法的な側面から考えれば、民法で定められている自分の責任を負えるようになる20歳になった時が大人になったといえる。しかし二つの条件をクリアーしていたとしても、精神的な面から見た大人とはほど遠い場合がある。宗教や政治的な関心が薄い日本では、絶対的な悪と善が明確ではなく、また現在の多様化される価値観の中では、未成熟の成人(特に)男子という存在が許される社会になってきており、「オヤジ狩り」という伝統的社会秩序である「長幼の序」が崩壊した逆転現象も見られ、「大人」という存在も曖昧である。近年では、社会的に自立をするといったような個人の「大人像」だけを満たし、「人を傷つけることは悪いことである」、「自分の行動に責任をもつ」といった大人として当然の認識をもてない若者が増加している。
 子どもはいつから大人になるのかは、『大人になることのむずかしさ』(河合隼雄/岩波書店/1996)ではこう示している。「既成のモデルに頼らずに、自分なりの世界観を築こうと決定し、その過程を進みつづけることによって、大人になるべきだ」と。

 大人の真似をし続けているあいだは子どもであり、大人にはオリジナリティーが要求されるという意味では、この事件はまだまだ子どもが起こしたいたずらの範疇である。しかしこの2少年の、鉛筆とげんこつという「飴と鞭」政策をふるうバイタリティーとパワーをみると、もはや君たちは十分大人になりましたね、といいたい気持ちである。

●オリジナル書きおろし


2003年6月5日更新
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