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「薬局」タイトル

串間努

第1回「エビオスをポリポリと生食いしたことがありますか」の巻エビオス


 中学生くらいのころ、戦時中の疎開時代をモチーフにした体験記を読んでいたら、「空腹に耐えかねて、お手玉の中にある小豆を食べた」という記述を読んだ。第二次世界大戦中の都市部の小学生たちは、アメリカ軍の空襲爆撃を避けるため、地方に学年ごとまるごと避難したことがあるのだ。お寺などを借りて授業を行ったそうだが、食料不足のため、子どもたちは支給される食事だけでは足りなくて、毎日ひもじい思いをした。さらに読み進めていくともっとすごいことが書いてあった。「エビオスをポリポリと食べた」というのだ。エビオスって私の家の食卓に乗っかっているあの消化薬のことだろうか。胃腸が弱かった私の常備薬だったが、独特の香りがあんまり好きではなかった。お湯を口に含み、のどの奥にパラリと数粒流し込んでいた私にとっては、あの薬をかじって食べるということがどうしても信じられなかった。それにだ。お腹がへっているのに消化薬を飲んだらますます空腹感が強くなるんじゃないかと、素朴なギモンさえ湧いた。

 エビオスの歴史は古い。大日本麦酒(現・アサヒビールとサッポロビールの前身)が十年間研究して、昭和五年五月に発売した。日本ではビールは明治二十年代から醸造されていたが、第一次大戦の好景気に支えられ、大正時代にその消費量が増えた。そのため生産拡大に伴って増加する余剰酵母の処理に各ビール会社は頭を悩ませていた。ビールの副産物である酵母にはたんぱく質やビタミン、ミネラルなど、人体に有用な物質がある。特にビタミンB1は当時問題だった脚気に効く。これを乾燥処理し、製剤化することに大日本麦酒は成功した。
 「当時の薬はナニナニ丸とか散という名前が多かったので、ハイカラな名前をつけようと、恵比寿工場のエとラテン語で生命の基を現すビオスをくっつけてネーミングしたようです」(アサヒビール薬品の話)
 そう、エビオスは日本薬局方にも収載された医薬品なのだ。当初は大学病院などでの処方薬だったが、昭和六年からは大衆向けに広告を開始。新聞の全面広告を利用して、知名度を高め市場を拡大していった。昭和十八年にはビタミンB補充薬として軍用品にも指定された。「疎開児童がエビオスを食べていたという話を聞いたことがあるのですが」とたずねたら、同社は「確かにあります」と、エビオス愛用者のエッセイ集を示された。それを読むと、空腹の我が子になんとかして食べ物を届けたい母親が、薬なら先生の検閲を通ると聞いてエビオスを送った話が書かれていた。食料を送ってはいけないといわれていたので、なんとか先生の眼をかいくぐろうとした親心である。きっと日本のあちこちで同じようなことが行われていたのだろう。切ない歴史だ。
 ところで、エビオスの生食いだが、今でもポリポリと噛んで食べる人がいるようで、消費者から「味が変わったんじゃないか」といわれる時があるとのこと。酵母が原料なので多少、苦い・甘いに振れることはある。現在は「スーパードライ」の酵母だという。
 戦後直後は原材料不足でビールが作れなかったことで、副産物である酵母が手に入らず、生産を休止していた。昭和二十六年にハウザー式健康法がブームになり、ゲイロード・ハウザー博士の著書でビール酵母が紹介されたことで、またエビオスの需要がぐっと増えた。
 エビオスの成分は胃を元気にする。胃の細胞は二〜三カ月で入れ代わるが、その時に必要なたんぱく質が豊富だからだ。ビタミンB6は消化に良いし、食物線維は便通を良くする。
 「対症療法ではなく、おだやかに効きますから、医薬品というよりも健康食品という風に見られていますね」
 同社が憂いているのは核家族化の進展だ。
 「お祖父さんやお父さんが飲んでいたのを見て、自分も買ってみるか……という購買動機がなくなってしまうんです」
 うーん、いまや保健薬として親しまれているロングセラーの秘密は家族制度と結びついていたんだなあ。


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