●ジモティーに聞いて大当たりのそば屋
お参りしたあと、さてめしでも食べようかと思いたちました。ところが門前にはそば屋がたくさんあって、どこがどうだかよくわかりません。わからないときは地元のヒトにきくが一番だと思って、駐車場で整理にあたっているオジサンに尋ねてみました。
「どこがうまいですかね」
「後ろの交差点、むにゃむにゃ...」とオジサンが正面をむきながらも目はそっぽを向いて答えます。いってることもよくわからない。たまに右手をチョコチョコと動かします。何の合図なんでしょう?
「あの、おいしいそば屋さんを探しているんですけど、どこがいいでしょうか」はっきりと聞こえるように明瞭に発音しました。
「(前回と同じ)」
うーむ。この押し問答を3回くらい繰り返してわかったのは、このオジサンはこちらになんとかして教えようとしているんだけど、同僚や上司の耳があるのでごまかしているんだといういうことでした。おそらく特定の店を公的立場の人間(観光協会なり)が教えてはいけないという決まりがあるのでしょう。そのため、捕われたスパイが、敵の見張りをかいくぐって、助けにきた味方に情報を教えるような会話になってしまいました。そこでこちらが、助け船をだして「後ろの信号を右折してずっと坂を降りていくと、左側にそば屋があって、その先を行くと駅なんですね」と確認しますと、オジサン、得たりとうなづきます。
その店は参道や仲見世からちょっと離れたところにありました。ホントにうまい店は裏道にあるのですね。名前はK亭としておきます。天皇も食べにきたと壁にかいてありますから有名は有名なのでしょう。創業100年で、サッポロビールの美人画ポスターが店内に張ってあるレトロなお店です。「天もり」と「天ざる」が名物らしいのですが、前者が900円と手頃なのに対して、後者は2200円もします。もりとざるの違いは海苔のありなしだけですから、天ぷらの盛り合わせが違うのでしょうか? 安いほうの天もりを頼みましたが、かぼちゃ、山菜、えびと、満足いくものでした。そばも手打ちぽくなくておいしいです。実は私は手打ちのそばやうどんが大きらいです。コシがあるそばやうどんは「固い」としか思えないのです。それに手打ちの店ではそばは黒っぽくて、太さがまちまち。工業製品のように同じ大きさに切れとはいいませんが、きしめんの2倍くらいある太さってのはどうよ? 何本もくっついてしまって粉がだま状になってそばがきを食っているみたいのもあるし。白い更級系が私には全粒使用の田舎そばは口に合わないのです。みなさん、本当に手打ちそばの硬さ、黒さをおいしいと思って食べているんですか? あー腰がなくて、伸びてしまったそばが食いたいなあ。
●どりこの焼
>そば屋K亭はそんなに腰がなくて、よかったよかった満足じゃ。
店を出てから善光寺の宿坊を何軒か見学しすると、レトロ気分が江戸時代くらいまで戻りすぎてしまったので、どりこの饅頭を見て、昭和に進むことにしました。どりこの焼の店
どりこの焼ののれんがひるがえる店は中央通りを歩いて駅に戻るとすぐにわかりました。昭和通りの手前です。ちなみに昭和通りと中央通りの交差するところは、日本ではじめてのスクランブル交差点です(昭和46年設置)。
さあ、どりこの焼について知ろう。ところが、いきなりトラブルが勃発!
私が入る直前に、のれんをくぐって出てきた男性観光客が一度戻ってくると、店主と口論したあげくにどなって出ていってしまったのです。いったい何があったのかわかりませんが、店主はトラブルに遭遇して平常心ではありません。ちょっと取材したかったのですが、そんな雰囲気ではありません。
店主は店頭でどりこの焼を焼きながら、店内で氷いちごをほおばっている奥さんらしきひとを振りかえって「なんなんだよなー」と立腹しています。
ヒトが怒っているときに話しかけるのは難しい。しかし電車の時間もない。
「すいませんどりこの焼2コください」
「あんにする? 野菜にする?」
あんを二つ買って150円でした。それでもなんとか聞いてみようと、
「これ『どりこの』が入っているんじゃないんですよね?」と問うと、
「どりこの焼の由来? さあ。オヤジが始めたんでわからないんだよ。昭和5、6年からやっているようですよ」
心にさざなみが立っている。それでも誠実に店主は答えてくれた。
取材ができなかったので「どりこの」について説明しよう(インターネットでは初公開の情報だ。たぶん。現在、グーグルでどりこの検索をかけると1130件でてくるが、ほとんどが「おどりこの服」である)。
講談社の創業者である野間清治氏は昭和5年に報知新聞の社長に就任しました。戦前の講談社は薬などの業務多角経営化を進め、昭和4年の「アイリス石鹸」に続き、とうとう飲料まで発売することになったのです。それが軍医だった医学博士高橋孝太郎氏の発明になる高速度滋養飲料どりこのです(特許名を調べると「含糖栄養剤」になっています)。このどりこのを社長の息子の恒君が飲んでいたことが縁になったのです。どりこのはブドウ糖・アミノ酸を主成分としたもので、虚弱体質や腺病質のひとに効果があります。5倍に希釈する濃縮飲料で1びん1円20銭で全国の薬局で発売していました。当時、年に100万本は売れていたそうですが、戦争が厳しくなったため、台湾からの砂糖輸入ルートが途絶されたので、砂糖が経済統制され、原料の供給難のために昭和19年で製造中止になりました。
「どりこの」というユニークなネーミングは開発に関わった人々の名前に由来します。「どり」は共同研究者だったドイツ人のイニシャルから、「こ」は孝太郎、「の」は助手の野口からとられているのです。どりこの焼高橋博士はどりこので大もうけし、「どりこの御殿」があった田園調布(多摩川駅東側)にはいまでも「どりこの坂」が残されています。
どりこの焼は今川焼きの小型版という感じで、なかなかおいしいものでした。
【了】:書きおろし