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アカデミア青木もやしっ子

第2回 都会っ子は「もやしっ子」?


 高度成長期、長身で運動が苦手な子供を一般に「もやしっ子」と呼んで都会っ子の典型としていた。しかしながらこの言葉、近年お目にかからない。もやしっ子は、いずこより来ていずこに去ったのだろうか?東京のデータを中心に分析してみよう。

1.体型からのアプローチ
 文部科学省では毎年全国の幼稚園、小・中・高等学校を対象に幼児・児童・生徒の発育状況・健康状態をサンプル調査しており、その結果は『学校保健統計調査報告書』という形で公表されている。このうち小学6年に相当する11歳男子の身長、胸囲のデータを元にこちらで作成したのが、表1の「長身細胸」都道府県ランキングである。

これは[身長÷胸囲]の数値を大きい順に並べたもので、昭和25〜35年にかけては東京、大阪、愛知といった大都市とその周辺が上位に来ていることがわかる。この傾向は昭和28年に初めて報告書の中で指摘されたが、残念ながら「もやしっ子」という言葉はそこには使われていなかった。昭和31年の報告書には「都市型の体格」、32年には「長身細胸型」とある。朝日新聞を見ると、昭和42年4月9日の朝刊18面に「もやしっ子対策」として「筋肉を強くする運動 アイソメトリックス」が紹介されている。「もやしっ子」という言葉は、この時期に出てきた造語かもしれない。
 なぜ都市部にこのような体型が現れたのだろうか。昭和36年の報告書には、その原因として栄養状態に注目し、「都市も農村も摂取される熱量にそれほどの違いは無いが、農村での動物性蛋白質の摂取量は都市の3/4以下である」ことを指摘している。事実農村部の食生活が改善されようになると、ランキングの方にも動きが現れた。昭和40年に入り地方が躍進し、大都市部は順位を下げていった。そしてその傾向は今日も続いている。

 東京の順位は、表1−2のように昭和30年にトップに立った後、40年に23位、50年に32位、平成6年に34位へと落ちていった。全国順位はあくまで相対的なものであるが、身長÷胸囲の数値に注目しても昭和32年をピークとして40年代から急速に減っていることがわかる。つまり東京っ子の体型はこの頃を境に「長身細胸型」から脱していったといえるのではないだろうか。

2.体力・運動能力からのアプローチ
 もやしっ子の外見的な特徴は昭和20年代後半から現れているが、もう一つの特徴である体力・運動能力不足はいつ頃から起きたのだろう。文部科学省の『体力・運動能力調査報告書』並びに東京都教育庁の『東京都公立小学校児童・公立中学校生徒体力調査報告書』を元に、表2を作成した。

これを見ると11歳男子の都市部の成績は昭和39年から全国水準を下回り、40年代もその傾向が続いていたことがわかる。同様の傾向は東京都についてもいえ、都会っ子の運動能力が農村部に比べて劣っていたことがわかる。当時の新聞にはその原因として、(1)運動の時間・機会が少ないこと、(2)体力・健康保持への意識が薄い生活様式であること、(3)少ない空き地・光化学スモッグ等運動環境が悪化したことがあげられているが、自家用車の普及で歩く機会が減ったことも関係しているのではないだろうか。そう考えれば、今日自家用車の普及率が高い農村部で50m走の値が全国を下回っていることの説明が付く。

 以上のように体型と体力・運動能力の統計から「もやしっ子」について眺めてみたが、東京都に関しては「昭和30年代後半〜昭和40年代前半」がもやしっ子のピークであったようだ。むしろその後は「肥満児」が問題になっていくのだが、この問題は後日改めて取り上げたいと思っている。「元肥満児」として。


2002年6月3日更新


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