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「プラモ線の旅」タイトル

今柊二

「スーパーカーブームがやってきた・その1」


 ブームというのは、いきなりくる。特に、1960年代以降、全国にテレビが行き届き、新幹線ができ、人々や情報や商品の流れが早くなるごとに、流行が全国をかけめぐる速度が速くなった。1970年代半ばのスーパーカーブームもそうであったと思う。ほとんど首都圏と、私の住んでいた四国の片田舎のブームの時差は存在しなかった。

 さて、スーパーカーブーム以前から、車のプラモデルなり、ミニカーなりが好きな連中というのは少なからず存在していた。ミニカー好きというのも結構コレクター色が強く、大きいお菓子の金属の缶(首都圏でいうと鎌倉の豊島屋のハトサブレの缶などがいいですね)にミニカーをぎっしり入れていたり、はたまたミニカーの箱からちゃんと保管している連中までいた。

私自身は実家の商売が自転車とバイクの販売店という状況にもかかわらず、あまりミニカーには興味がわかなかった。理由は簡単でギミックというか仕掛けに乏しかったからである。

ミニカーは、仕掛けよりも形の流麗さ、リアルさにこだわって作製される場合が多いと思う。しかし、私は今も昔も、形の美しさの大事だけど、それが、変形したりミサイルが飛び出したり、レーダーが回転したり、3つに分割してまた合体したりということも大事だと考えていた。

その意味では、消防車のミニカーなどは、はしごが伸びたりするので、好きだったし、ミニカーのなかでもボンネットをあけて中のメカを確認できるタイプのものは比較的好きだった。

ニチモのプラモのパンフ

珍しい昔のニチモのプラモのパンフ

 また自動車の模型なりミニカーは、他のミリタリーもの、アニメものとは決定的に違う要素をもっていた。それは現実との距離感であった。戦後から高度経済成長時代、国民生活においての「モノ」は非常に豊かになった。かつては金持ちしか乗ることができなかった自動車も、一般の人にも手が届くようになってきたのだった。

それと同時に自動車模型、ミニカーも人気となったが、その理由のひとつは「いつかは本物を手に入れる」という夢をミニカーで見ることができたからだ。そしてその夢は実現する可能性がおおいにあった。つまり、ミニカーで遊んだり車の模型をつくるのは、「いつかは絶対訪れる将来のなりたい自分、ステキな車を所有する自分」の予行演習的側面が強く、現実に直結しているのだった。

だから、ミニカーや車模型のファン達は実に現実的であったし、現実世界には登場しないロボットや戦艦や怪獣にのめりこんでいる連中とはどだいタイプがまるで異なるのだった。まあ、戦艦や戦車は現実には存在しているが戦後日本では、現実感がとぼしかったのは事実である。だって、普通道路を戦車が走ったりしていないでしょうが。

いずれにせよ、この両者は違いすぎるので、子供の時からあまり話をしたり、情報交換をすることは少なかった。私自身もミニカーをもって友人の家に遊びにいった記憶はないなあ、超合金もって遊びにいったことはあるけど。

 しかし、スーパーカーブームのときは、現実模型派の自動車ファンと、空想派模型ファンという、合わない両者が接点をもった極めて希有な時代であったのだ。

(続く)


2003年1月21日更新
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