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「課外授業」タイトル

第7回 羽田から芝公園まで
〜城南工業地域と
武蔵野台地を訪ねて〜


−バスは羽田へ向かって第一京浜国道を進みます−

・目黒川

目黒川河口

目黒川河口

 バスは間もなく目黒川にかかる橋を渡ります。目黒川は、隅田川同様水運の盛んな川です。江戸時代の品川宿は「品川浦」ともいって、諸国の回船はここで錨を下ろし、物資を陸揚げしましたが、その一部は目黒川を経由して内陸まで運ばれました。現在目黒川の上流には、日本ペイント、三共製薬、光村印刷などをはじめ数多くの工場がありますが、目黒川の水運はこれらの生産活動を影から支えているのです。一方河口には昔ながらの漁師町があり、人々は漁や海苔の養殖などで生計を立てています。

・大森貝塚
 ここから約600m位右を東海道線が走っております。その東海道線の大森駅の近くに「大森貝塚」の碑が立っております。明治11年にアメリカ人のエドワード・モース博士が発掘し、これをきっかけに日本の考古学が誕生したといわれています。考古学といいますのは、大昔の人の生活や文化を調べる学問で、貝塚から見つかる土器や石器などをもとにして研究をいたします。貝塚とは大昔の人がとって食べた貝の殻を捨てた所で、「大昔のゴミ捨て場」と考えられます。

・鈴ガ森
 もうすぐ鈴ガ森刑場跡に差し掛かります。江戸時代、この鈴ガ森で罪人の死刑が執行されました。有名な受刑者には、丸橋忠弥、八百屋お七、日本駄右衛門などがいます。刑場は明治になって廃止され、もとの場所には「南無妙法蓮華経」の碑が建っております。

・京浜工業地帯

第一京浜

第一京浜

 バスは大田区へとやってまいりました。ここから横浜にかけましては「京浜工業地帯」と呼ばれ、阪神、名古屋、北九州と並んで日本の四大工業地帯の1つに数えられています。主要な業種は、電気機械、金属、自動車、食料品、化学工業です。京浜地方に工業が発達した原因としては、海陸の交通の便が良く原料や製品の輸送に好都合、住民が多く労働力が確保しやすい、人々の往来が盛ん、などが考えられます。注意してごらんになるとわかりますように、工場といっても、大工場は少なく、小工場がたくさんあるのです。ついでに東京全体の工業について申し上げますと、最近の調査では、工場の数が約4万7千で全国の10%を占め、生産高ベースで全国の15%と、日本一に位置しております。

東京国際空港 S34

東京国際空港 S34



・羽田空港

羽田の鳥居(移転後)

羽田の鳥居(移転後)

 第一京浜から産業道路へと入り、バスは羽田空港へと向かいます。日本の陸の表玄関を東京駅、海の表玄関を横浜港としたら、空の表玄関は羽田の東京国際空港でありましょう。空港ができましたのは昭和6年ですが、その後次第に広げられまして、現在の広さは約249万平方メートル、2130mと1680mの滑走路がごさいます。しかし、飛行機が大型となり、しかもジェット機が発達してきていますので、今の広さでも狭くなり、もっと広くする計画ができております。

 現在我が国に乗り入れている航空会社の数は13社でございます。昭和31年の太平洋路線の旅客は客船の旅客の2倍となっておりますが、これは船で10日かかる旅程が航空機だと1日で済むからでありましょう。ちなみに料金は1人約18万円となっております。
 前方に大きな建物が見えてまいりましたが、あれは「ターミナル・ビル」といって鉄道の駅のような働きをします。税関もここに入っています。[昭和30年5月完成。総工費10億円]その上にあるのは「航空管制塔」で飛行機の発着を指図するところでございます。飛行機の離陸する割合は30分につき1機という割合で、これからみても国際空港の重要性がわかります。
 では、空港に到着しましたのでバスをお降り下さい。昼食、見学の後、バスは都心へと戻ります。

・五反田

ソニー現本社

ソニー現本社

 羽田からの帰り道、バスは「第二京浜国道」を通って、五反田へとやってまいりました。
五反田にはトランジスタ・ラジオで有名なソニーの本社があります。昭和21年暮れに越してきた時、社屋はバラックの工場でしたが、30年に日本で初めてトランジスターを発売し、今では立派な建物が建っています。[設立時の社名は東京通信工業梶B社名をソニー鰍ヨ変更したのは昭和33年]

・慶応義塾大学

慶應義塾大学

慶應義塾大学

 白金に来たところでバスは右折して桜田通りに入ります。ほどなく左手に慶応義塾大学の校舎が見えてまいります。『学問ノススメ』で有名な福沢諭吉先生が設立した大学で、大隈重信侯が設立した早稲田大学と並んで日本を代表する私立大学です。丘の上に見える赤煉瓦の建物は図書館です。構内の建物の大半は戦災で失われましたが、明治8年に造られた演説館は当時の面影をとどめています。

・芝公園

東京タワー S36

東京タワー S36

 右前方に見えてまいりました緑の一帯は、芝公園でございます。この公園はもともと増上寺の境内でありましたが、明治6年に上野や浅草公園と共に公園となりました。この公園のはずれには長さが112mにも及ぶ都内有数の大型古墳「丸山古墳」があります。

・東京タワー
 さて本日最大の目玉「東京タワー」へとまいりましょう。東京タワーは、芝公園の隣に昭和33年12月に建てられました。高さは333mで、パリのエッフェル塔の315mを抜いて世界一高い鉄塔です。塔からはテレビをはじめ無線電話電信などの電波が発信されています。では、エレベーターで展望台まで上がって東京の武蔵野台地を眺めることにいたしましょう。それで本日の見学は終わりです。

(第7回 終)
調査協力:財団法人 日本修学旅行協会


 この番組は、昭和30年代から40年代にかけての東京を修学旅行形式で皆さんと振り返る視聴者参加番組です。当時実際に東京見学に行かれた方も多いと思います。その時の旅 のしおりや写真、学校で書かされた感想文などがお手元にありましたらご投稿下さい。


2002年12月19日更新
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