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日曜研究家串間努

第7回 「会津若松・野口英世青春通り」の巻 前編


会津駄菓子資料館を偶然発見!

 郡山から磐越西線で会津若松に行ってきた。会津若松。なかなかいい響き。あえて同じような地名を探すと、武蔵小杉。安房鴨川。そんなところか。旧国名を冠すると一段と風格が増す感じがします。
 
 会津には仕事で行ってきたのだが、ついでに観光地へも行こうと、地図をみる。私が泊まっている宿屋がある東山温泉からは鶴ケ城も飯盛山も近い。当節、新撰組ブームでもあるしテクテクと白虎隊自刃の地に歩いて行こう。ホテルフロントで「歩いて何分くらいかかりますか」と聞いたら絶句される。歩いて行くひとはあんまりいないらしい。「はつかこもりて、しろおちぬぅ〜」と橋幸夫の「花の白虎隊」を歌いながら(ちなみに天草四郎を歌った「南海の美少年」も好きだヨ)バス通りを下る。会津武家屋敷(NHK「新撰組」でおなじみの佐々木只三郎の墓あり)とネパール博物館の前をとおって「奴郎ケ前」の辻まで出て右折、「いにしえ夢街道」(ハぁ?テレビの観すぎ?)をずーっと歩いていけばいつかは飯盛山につくはずだ。それにしても暑い。「花の白虎隊」の2番に挟まっている「みなみぃつるがじょうをのぞめばー」という詩吟は出だしから高音なのでこの環境で吟じるのはキツイ。これぞまさしく高歌放吟。
 
 途中で「会津駄菓子資料館」というものを発見。まわりには特になにもない単なる幹線道路沿いにこのような建物が建っている偶然に驚いた。バスでは発見できにくい。まさに散策の甲斐、これにあり。

会津駄菓子

 会津駄菓子の老舗和菓子屋さんの2階に常設されているもので、駄菓子大好き人間の私としては見過ごせないスポットだ。駄菓子屋の店頭再現や小さな玩具、しんこ細工の模型、菓子作りの道具などがたくさん展示されている。

会津駄菓子を石膏細工で復元

会津駄菓子しんこ細工みかん
会津駄菓子落雁れんこん

会津小物玩具ニッキ紙
会津資料氷かき器械

会津駄菓子でみつけた大黒中入種
会津資料カルメ糖鍋

会津展示品氷下
会津資料菓子製法書

 ただ、「駄菓子」というものが江戸時代の素朴なそれと現代のそれとは大きく異なっているので、現代の駄菓子屋さんに並ぶ大量生産商品としての「駄菓子」に慣れた目には、なぜこれが「駄菓子」なのかという疑問を、展示物に持つ方もいるかもしれない。そこのところを解消する説明板なりが欲しいところだ。つまり「よっちゃんいか」や「チロルチョコ」が駄菓子だと思っている子どもには黒パンやしんこ細工、金花糖やねじりん棒も駄菓子一派であることが理解できないのではないかということだ。三十歳代以上なら、感覚として手回し式氷削り機や紙芝居の舞台が展示されているのも納得がいくだろうが、それはあくまでも「感覚」。子どもに論理的な説明をするのはなかなか難しい(例えば「大黒煎餅種」なんて展示物には、これは明治時代に流行した「カラカラ煎餅」のことであり現代の「ガチャガチャ」や玩具菓子にあたるなどという説明があったら見学者の興が乗るだろう)。展示物は充実しているがキャプションがないので、なんとなく「駄菓子屋的なるもの」を集めましたという雰囲気も否めない。いやもちろんそれでも良いのだが折角モノが充実しているだけに実に惜しい。

会津駄菓子資料館でみつけた繭飾り

 一階に降りて「滋養パン」というものを買う。「滋養」、昔のことばだ。
 しんこ細工の復元石膏から、「みちのくの駄菓子」などの著作がある、石橋幸作さんを連想し、店員さんに「こちらの展示品は仙台駄菓子研究者の石橋幸作さんとなにか関係ありますでしょうか」と聞くと、
 「はあ?」
 マニアック過ぎた質問であった。

飯盛山の観光地商法

飯盛山途上のステキな会社 恥ずかしいのであわてて店を飛び出て、一路飯盛山へ。かっこいい有限会社の先、突然、左手ドライブインに「正面、自刃の地」という看板が。周りでは「無料駐車場」へなんとか誘導しようとしている中年男2名ががんばっている。ハハァ飯盛山はここですか。もっと歴史史跡のようなものを想像していたのでビックリだ。頂上までは、四国金毘羅宮もビックリの結構な階段がある。

飯盛山山頂を望む

飯盛山これが動く坂道だ
飯盛山途中から載ることはできない

そのため「スロープコンベア」というものが設置されている。これは鎌倉近くにある名勝地江ノ島の「エスカー」のようなものだが、階段状になっておらず、まさにベルトコンベア。「動く坂道」とも書いてある。女性アナウンサーの声が「階段を歩いて登るのは大変ですよー」とスピーカーで何度もささやいているが、「ベルトコンベア」と英語でいおうと、「動く坂道」と日本語でいおうと要はこれは「金をとるエスカレーター」以外のなにものでもない。なお、写真のように途中から割り込んで載れないようになっている。割り込むほうもせこいが目くじらをたてるのも大人気ない。白虎隊を取り巻いて見苦しい一回250円の争いが繰り広げられている。
 
 健康のため私は階段で登り、線香を手向ける。頂上ではお土産屋さんに雇用されたお姉さんが5〜7名ずつの客をガイドしている。あとで自分のお土産屋でいろいろ買ってもらったり、休憩や食事をしてもらうかわりにガイドしているのだろう。長野の善光寺でもやっていた観光地商法だ。白虎隊を観光資源として「食い物にしている」ような印象があるが、山域内でお土産屋開設の許可を長年得ているのは、白虎隊ゆかりのひとへの経済的救済措置の名残かもしれないので安易に批判はできない。そんなことをいったら、観光タクシーはどうなのか、バスガイドだって観光に拠って食べているではないか、お土産のこけしを製作しているひとはどうなのだと際限がなくなってしまうだろう。
 
 だが、一過性の旅人の感想で申し訳ないが、やはり割り切れない気持ちは残る。
 つまり、白虎隊の自刃の地だとこのような観光地商法に疑問が沸いてくるのは、ひとえに素朴で敬虔な(ある意味宗教的な)気持ちが阻害されるからだろう。海の家など、端からレジャー目的の観光地だったら駐車場代金が高くても、とうもろこしが1000円しても「まあそういうところだな」と容認できるが、文化・教養的な史跡での金儲け商法には違和感がある。そこでの生活者の権利が守られるべきことは重々、承知の助であるのだが。
 下ったところのお土産屋さんにはレトロな三角ペナントが並んでおり、下道には懐かしの定番飲料「ビーボ」の自販機を発見。

飯盛山帰りにビーボを発見

飯盛山帰りにビーボを発見
飯盛山でペナントを発見

市街地でレトロ散歩

 新潟福島集中豪雨の影響で翌日は旅館内で停滞。
 翌々日は会津若松の市街地まで散策。東山温泉からバス通りに沿って「御薬園」を通り、野口英世青春通りに出た。会津は鶴ケ城と飯盛山のほか、野口英世博士という偉人をも観光リソースにしている。まちなかの通りには蔵づくりの建物があって趣があるのだ。東山温泉から会津若松駅まで全部歩くわけだが大丈夫なのだろうか。距離はおとといの飯盛山までの比ではないぞ(バスで20分ということは歩いて5倍で100分くらいか)。
 
 東山温泉からずんずんと坂をくだっていくと会津松平家のお庭だった御薬園(国の名勝)に到着。お薬園入り口なかに入りたいが、ここでゆっくりしているとどこかで時間がなくなりそうだ。というかお腹が空いているので早く昼飯を食べたい。写真だけ撮ってそのまま大型自動車進入禁止の道へ進む。農道を舗装したような道を歩いていく。30分くらい歩いているがまだ何も面白いことは起こらない。と、ようやくたこ焼き屋の看板「たこやき蛸ちゃん」がでてきた。面白くなってきたぞ。その交差点を渡ると、歓楽街に入ったようで「ミスロマン風呂」の看板。元ソープランドの廃墟だった。歓楽街はいっときで終わり、現れたのがローマのコリント形式の立派な市役所。昭和12年建築の昭和レトロ物だ。こんな社屋を将来建てたい。その先右手に「ぼたん」という料亭のような名前のパチンコ屋さん。いやあこれは絶対パチンコ屋さんとは思えないな。何かの建築規制にひっかかってこのようなお姿なのだろうか。そういえば会津若松駅前でもパチンコ屋に入れず。水曜日は定休なのか。

パチンコや
たこやきや

ミスロマン風呂
昔のソープ

市役所プレート
立派な市役所

 関東は気温35度くらいあるようだが、会津は涼しい。25度くらいだ。それにしてもものすごく歩いたからノドが乾いた。「アクエリアス」を飲む。こちらのコカ・コーラの自販機は特に関東と変わりはないようで、珍品飲料にはお目にかかれていない。
 蒲生氏郷墳墓の地そばには、民家なのかお寺なのか私には決めかねる「木造建物」。蒲生氏郷は確かキリシタン大名だからお寺じゃ変か……。ものすごく気になる。

お寺なのか民家なのかわかりません

のむらの茶園 「のむらの茶園」を左手にみて歩道を渡ると、忍者が登場。「酒肴才蔵」の看板絵である。面白い。その反対側には会津の伝統工芸品「絵ろうそく 小澤蝋燭店」のお店。「小」しかあってないけどなんとなく小川未明の「赤いろうそくとに人魚」という童話を思い起こす。このあたりは西栄町である。

絵ローソクのお店

酒肴才蔵の看板絵
酒肴才蔵の看板絵

 古い食品店を発見、青いテントに記された「みしらず柿」というのは『身不知』と書くらしい。枝が折れるほど沢山の実をつけるから身の程を知らないという意味で付けられたとも、昔藩主が将軍に献上した際「未だ、斯る美味の柿を知らず」と大いに賞味されたことから、付けられたとも言われているが、そんなウンチクよりうまいかうまくないかが問題だ。

古い食品店

腹が減ったが適当な店がない

 うーむ、それにしても腹が減った。出かけるまえにあらかじめインターネットで調査したところによると会津の郷土料理は「こづゆ」「棒たら煮」「田楽」らしい。棒たらというのは関東でいう「干(ひ)だら」だ。塩辛い干だらは最近あまり売っていないが会津のスーパーでは普通に売っていた。しかも「焼いたら塩を吹く」ほどの塩鮭も当たり前に売っている。こちらのひとは関東より減塩志向ではないのが嬉しい。
 
 さて市街地ではとくに観光地的な郷土料理屋さんが目立たない。あるのかも知れないが私の目には入らない。こづゆや田楽を食べたいよう(帰ってから調べたら自分が泊まっているところのすぐ近くに鶴井筒という有名な料亭があったことが判明。何度もそこは通ったがホントに武家屋敷のところにあったかね?)。
 というか、この辺あまり食事どころそのものがない。ラーメンのチェーン店もない。この日、私は野口英世青春通りと、神明通りから駅前までの中央通りを一通り歩いた。だが牛丼屋は1軒たりともなかった。あったのは「ミスタードーナツ」2軒と「マクドナルド」が1軒。「ドトール」や「てんや」がないのはまだわかる。だが「吉野屋」も「ケンタッキー」もないのはどうしてなのだろう。あまつさえ、コンビニエンスストアも私が歩いた範囲では1軒しかなかったぞ。外食産業やコンビニが軒を連ねる東京周辺の都市のありたかというのは異常事態なのか。人口としては12万人くらい。延岡、米子、三島、松坂、上越市と変わらないのだが。コンビニもないからフリーペーパーの設置ラックも街中では目にしない。人口30万人の高知では結構住宅地にも不動産や求人のフリーペーパーラックが設けられていたから、地方都市のフリーペーパー空白地帯を丹念に掘り起こせばローカルエリアでのビジネスチャンスはあるのではないか。あと、感じたのは女子高校生のスカート丈がとても短いこと。裸電球の傘くらいしかない。埼玉・東京ではこんなに短くないぞ。もしかしたら関東人より脚が長くてスラリとみえるのかしら。

つづく


2004年8月5日更新
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第5回 青梅商店街<その2>の巻
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