今柊二
「続・マジンガーZの呪い」
前回はガシャポンで終わってしまったので、今回は反省。1967年生まれの私は、小学校入学が1974(昭和49)年なわけだが、この年の9月は「マジンガーZ」が終了した。始まりは1972年12月で、あしかけ3年、全92話という大作であった。巨人ロボットに乗り敵ロボットと闘うマジンガーZは実にカッコよかった。幼稚園時代は「仮面ライダー」が全盛だったが、乱闘や殴りあいが主体の「仮面ライダーごっこ」が大流行りで、ひ弱だった私は、どうにもこうにも苦手だった。大体腕力の強い奴が「仮面ライダー1号・2号」を独占し、私はせいぜい良くて「ライダーマン」(手首がフックになっていて人気なし)、悪ければただのショッカーの戦闘員にされてしまうのだった。……なんかだんだん書いているうちに「おまえ、ショッカーの戦闘員ね」「あっ、今日はハチ女やれよ」と命令したいやな野郎のことを思い出してきたぞ(怒)。
「だらしなく玩具菓子やおもちゃを
買い続ける現在」
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…さてさて、そこに登場したのが、「マジンガーZ」だった。頭部にパイロットが乗り込んで闘う(正式にはホバー・バイルダー後にジェットパイルダー)ということは、自分の脆弱な肉体を代わりの機械身体が補ってくれるという心理的願望が働いていたのだろうと思うが、純粋に超合金というメタル製のロボットがガシガシとエグい形のロボットを倒すのが実にナイスだった。そんなマジンガーZが実在すればいいな、そして操縦したいなあと思うのは子供の常である。そんなところに、操縦はできないものの、自分の自由になるステキな「マジンガーZ」が1974年2月に発売になった。それこそが『超合金マジンガーZ』であった。ミニカーなみの精度、ずっしりとした重量感、ロケットパンチや、ブレストファイヤー部分の開閉などギミックも実に素晴らしかった。ただ問題は値段であった。1300円という値段は、「日頃のママの買い物のついでにデパートのおもちゃ売り場で、寝転がって泣きながらダダをこねる」という究極の作戦をとってしても、なかなか難しい値段であった。そのため、もし欲しい場合は、誕生日なりクリスマスなどイベントデーまで待たねばならなかった。そしてイベントデーが来たとしても親が買ってくれるとは限らない。私の場合も1974年のクリスマスには、待望のマジンガーZを買ってもらうことはできなかった。値段も確かに高かったのだが、実は、当時の我が家は家を買うために節約を徹底的に行なっていたのだ。これは後に判明したことで、そう言えば朝ご飯のおかずが永谷園の『あさげ』だけだったこともあった。ただ、子供はそんな事情はわからないから「くそー、マジンガーZ欲しいのう(今治弁)」とぶつぶつつぶやいては、近所のやや金持ちの友達の家に行って、超合金やら、『ジャンボ・マシンダー』で遊ばしてもらったのである。ちなみに、この『ジャンボ・マシンダー』は、全長70センチのポリエチレン製のロボットで、2600円というすごい値段だったから、私は買ってもらうことすら想像できなかった。いずれにしても、この時代に『ロボット欲しい!』と常に欲望を抱きつづけるロボット欠乏症という重大な疾患に陥ってしまい、後々の人生に多大な影響が生じてしまうのであった。(つづく)
2002年6月10日更新
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