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「三面記事」タイトル

第14回
「美談はどこへ消えた」の巻

日曜研究家串間努



新聞の見出し

 「30数年前に小岩駅近くのおもちゃ屋さんからキューピー人形を盗んでしまいました」。警視庁小岩署のJR小岩駅前派出所に、今月14日、500円札1枚を同封した1通の手紙が届いた。子供のころの過ちの罪ほろぼしに、せめてお金を返したい、との内容。さっそく、同署で店の持ち主捜しを始めたが、得意の聞き込み捜査も、人が変わり、町並みも一新され、流れ去った時間の壁の前に難航気味。「下町人情のこもったお金だけに、なんとかしたいのだが……」と、手掛かりを求めている。(中略)
キューピー人形 手紙によると、この女性が盗んだのは、「当時で10円のキューピー(6センチぐらい)」で、店は同駅から南へ100メートルほどのどぶ川沿いに並ぶ「仲店」の中の1軒。「60歳ぐらいのおばあさん」が、セルロイド製のおもちゃ類を売っていたらしい。女性は、「未だに良心の呵責(かしゃく)に悩んでいる」「早く返せばと思いながら、今になってしまった」と心情を告白。「どうか」を3回も繰り返して、返済を強く願っている。
 1番の手掛かりは地図なのだが、肝心の「どぶ川」も「仲店」もとっくに姿を消した。
 江戸川区役所によると、この一画は戦後まもなく、被災者や引き揚げ者が下水に板張りをして建てた露店が並び、「ベニスマーケット」と呼ばれるヤミ市になっていたといい、それが「仲店」らしい。
 ところが、そんなヤミ市は、高度成長の中で、「衛生上好ましくない」と取り壊され、下水も埋められて道路に。今では小さなビルやスナックが並んでいるだけだ。30余年前というと、キューピー人形が女の子に1番人気があったが、反面、欲しくても買ってもらえない子もたくさんいた。つい、あこがれの的に手を出してしまった女の子と、時代を超えて残ることになったほろ苦い後悔の味。「何とかして、この女性の気持ちを親族にでも届けたい」と同署では当分、『捜査』を続けることにしている。

(読売新聞/昭和62年11月24日/朝刊)

新聞の見出し

 「小岩駅近くで30数年前、おもちゃ屋を開いていたのは、私の祖母W・キヨです」。子供のころに、当時10円のキューピー人形を盗んだ『罪』を償いたいという匿名の手紙と500円札1枚が、小岩警察署国鉄小岩駅前派出所に郵送されてきたという本紙24日付朝刊の記事を読んで、埼玉県入間市S、W・Iさん(53)からこんな電話があった。キヨさんはすでに30年前に亡くなり、店も姿を消したが、小岩署では「これで、この女性の気持ちを届けることができます」とほっとした表情。近くお金を渡辺さんに手渡すことにした。
 (中略)キヨさんはその後、心不全で倒れて、30年ごろに70歳ぐらいで死亡。店は長女(Wさんの母親)が数年間引きついだが、まもなく区の行政区画整理のため立ち退かざるをえなくなり、35年ごろ、Wさんらは現在の住所に移ったという。
 Wさんは「送られてきた500円札は仏壇の祖母に見せて報告した後、福祉に役立ててほしい」と、読売光と愛の事業団に寄託する。

(読売新聞/昭和62年11月25日)

美談について

 一般的に日本人が考える「美談」とは、親との絆、仲間との絆など、人と人とのつながりの中で語られることが多い。そしてその絆を前提として、何かの犠牲を伴い、最終的に、道徳的な教えが含まれる。日本人の子どもなら誰でも一度は聞かされたことがある「桃太郎」や「猿かに合戦」などもそういった「和」が重んじられ、「美談」の類に入るだろう。「桃太郎」は家来をつれて共に、力を合わせて人間の敵である「鬼」退治に見事に成功する。また、「猿かに合戦」でも、親の仇である猿を子カニが仲間と共に復讐する。集団意識の強い日本人が好む「成功型美談」である。

 こういった「美談」は『日本昔噺』の中で数多く存在する。『日本昔噺』『日本お伽噺』など、日本の児童文学の基礎を創ったのは巌谷小波である。まだ日本が文学において子どもというマーケットを意識していなかった頃、巌谷小波が1891年(明治24年)に叢書「少年文学」の第1編として出版した『こがね丸』が、児童文学の読者を生み出すきっかけとなった。内容は「こがね丸」という犬が親の仇を討つために武者修行の旅に出て、旅先で知り合った仲間とともに仇うちをする物語だ。マスコミの評価はさまざまであったが反響は大きかった。また、この時代に出版された多くの子ども向けの雑誌は封建主義の名残を残す勧善懲悪に基いた教訓美談だった。突然おしよせた西洋文化の波に馴染めない日本人の、それまで日本社会で美徳とされてきた物事への精神的な回帰がそのまま児童文学に表れたと考えられる。

 こうして日本人は幼い頃から、「和」を乱すことは悪とされ、力を合わせて勝利をつかみとることを「善」として教えられることになる。その価値観や影響は成長しても残ることが多い。『水戸黄門』『忠臣蔵』など「時代劇」という主君と家来がいる中で勧善懲悪なストーリー展開をみせる物語が、時代の変化とともに姿を消すことがなく、根強く放映されているのもこのようなことが要因の1つとして考えられるのではないだろうか。

 「美談」の種類はさまざまである。「誰かの負担を軽減したい、人々のために何かを役立つものを……」などのような発明に付随した「美談」。そして二宮金次郎のように薪を背負いながらも勉学に励んだというような困窮環境と偉人伝とを結びつけたような「美談」。「岸壁の母」など母親の愛情を主体にした「美談」。これらに共通することはわかりやすい単純なストーリーであり、誰かが犠牲を伴っているということである。内容が難しすぎてわけがわからない「美談」というのは聞いたことがない。登場人物にとって全く犠牲や不利益がない物語というのも「美談」になりにくい。「桜の樹を切ったのは自分です」と正直に名乗り出たワシントンも、黙っていることで怖い大人に「叱られない」という子どもなりのメリットがあったのだ。そして話の結びは必ず愛情や誠実さなど人間の心の「美」の部分が全面に押し出され、「醜い」部分で完結することは少ない。

 美談の反対は醜聞である。人間の欲をいかに抑えるかが美談として成立するかの分かれ目にもなる。「自己顕示」「所有」「出世」などの欲から発生する自利を制して「利他」を図っているシーンは禁欲的で感動を与える。
 全ての「美談」に共通することではないが、不幸な身の上の涙や感動を誘う物語、正直や反省など人生上の教訓が含まれるものも「美談」になりやすい。
 
 本記事は、時間を超えた「改心の持続」という点が読者の心を揺さぶった。良心の呵責をずっと忘れずにいたこと。それを三十数年ぶりに告白したことが共感を呼ぶのだ。人は誰でも他人にいえない「黒い行為」をしたことがあるだろう。そのポツンと心にある黒い染みを、墓場まで持っていくのが凡人だ。単なる正直者ではなく、一度は盗みという「黒い行為」をしているというのが人間の弱さが出ていて、その苦しさがこちらの心にも鳴り響く。
 人は涙を思い切り流すと心が浄化されたような気持ちになる。感動や感涙に襲われたときカタルシスを覚え、美談は記憶に残りやすくなる。最近、新聞で美談記事が報じられる機会は少ないが、21世紀にも子どもたちに感銘を与える美談が生まれてもらいたいものだ。

【類似事件】
『朝日新聞』 昭和30年6月12日 修学旅行に拾う心あたたまる話
『朝日新聞』 昭和45年6月12日 今度はぼくの番、八年前おぼれかけた少年 同じ場所で小学生を救う
『読売新聞』 昭和46年12月13日 小6、買い物帰りに川端康成の財布を拾う
『毎日新聞』 昭和50年10月24日 仮面ライダーストロンガー、難病の少年を見舞う

書きおろし


2004年8月26日更新
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