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串間努

第3回「ガチャガチャ」の巻

シーモンの取り扱い説明書


●ガチャガチャ
シーモンのガチャガチャ 近所のスーパーの前を通ったら、店頭にガチャガチャの機械が置いてあった。私が子どものころからあったから、30年以上続く玩具販売機だ。今の中味は何だろうとのぞくと、「シーモン」というのがあった。謎の生物シーモンキーみたいな、生物の粉末卵だ。とうとう、「生きモノ」までガチャガチャになったか……とぼうぜんとした。意味を現す部分は「シーモンキー」から取り、語感を現すところは「シーマン」から採ったダブルミーニングだろうと推測する。
 買うべきかどうか……。当年とって39歳の私は200円というお金は惜しくはないが、対面がある。子どもでも連れていればダシにできるが、ひとりぼっちでガチャガチャを廻すってのはどうよ! ランニングやステテコのまま外を歩くのは抵抗がないけど、こういうものにはちょっと悩んでしまう。だが、私は日本で唯一、シーモンキー博士号を持つ人物。シーモンキー関係にはちょと、ウ、ウルサイヨ。人影がないのを見はからって、ガチャ。うーん、この感触、懐かしかー。

シーモンのタマゴ 地域によっては「ガシャポン」「ガシャガシャ」といわれるそうだが、おおかたはガチャガチャ。米国でも「GATYAGATYA」というそうだから、回転する時の擬音から来ているのだろう。
 もともとアメリカ生まれのガチャガチャが日本に入ってきたのは一体いつか。コピーライターで、ガチャガチャ研究家の杉村典行氏に尋ねたところ、「昭和40年にアメリカの会社が日本の貿易商にガチャガチャのことを話して10円の機械を輸入したそうです。実は昭和22年頃から、日本は何も知らずにアメリカにガチャガチャの中身を輸出していたんですよ」
 発注元に何のために使うのかと聞いても「秘密」と教えてくれなかったらしい。
 日本に入ってきたとき、カプセルの中味は、聖書の豆本、砂時計、人造パール入り宝石箱、アゴを動かすと目玉等が飛び出るガイコツなど。これらは安い、香港製の玩具だった。
 しかし、日本が企画したものを香港へ発注しても、微妙に想像とは違ったものができたりしたので、「オイルショックを契機に、業界はガチャガチャを二〇円に値上げして中身の国産化にのり出しました」
 昭和52年には大手玩具メーカー、バンダイが業界に参入し、ウルトラ怪獣消しゴムもので人気となる。おかげでチープなイメージであったガチャガチャが玩具として市民権が認められるようになったが、これには同年、スーパーカーブームでスーパーカー消しゴムが爆発的ヒットしたこともあずかっている。スーパーカー消しゴムは、子ども世界の流行が、ガチャガチャ玩具に反映したはしりである(もともとは東京の玩具問屋マルカが商品化したものである)。
 他にも、ピースマークバッチ、スーパーボール、ルービックキューブ、モーラー、ミーバなどが、子ども世界でヒットするたびカプセルの中に取り込まれていった。もちろんメーカー品ではないから、スライムなどは「トロリーム」「カオリーム」などと名前を変えた。「たまごっち」が流行ったころは、これも消しゴムになってガチャガチャに登場したというから、恐れ入ったものだ。私が買った「シーモン」もそんな流れのなかにあるんだろう。

シーモンのエサ フルタの玩具菓子「チョコエッグ」が火付け役となった海洋堂製のフィギュアブームで、ガチャガチャにもフィギュアモノが進出している。「チョコエッグ」や「タイムスリップグリコ」のおまけ玩具欲しさに、「オトナ買い」が行われているが、当然、ガチャガチャの世界も、子どもの財布だけでなく、オトナの潤沢(不況とはいえ)なフトコロを狙ってのマーケティング戦略だ。
 ガチャガチャの消費者にオトナの影が見えはじめたのは平成3年くらいからだ。ファンが高齢化してガチャガチャブームが到来した年といってもよいだろう。
 任天堂の「スーパーファミコン」や「ゲームボーイ」を小型にコピーしたものが人気になったのが発端だ。もちろん任天堂の許可を得ていない海賊版商品であったが、ガチャガチャ1台に1〜2個しか含まれていないとあって、二十台を中心に、オトナ買いの投資でケースを空にしてまでゲットするヒトが続出した。

シーモンのシオ 私が小学生だったころ(昭和四十年代)にはガチャガチャは十円で、特殊なものが二十円・一〇〇円であった。そのうち二十円に値上げされ、その時代がずっと続く。零細企業が群雄割拠するガチャガチャ業界に、玩具大手のバンダイが参入したのは昭和五十一年だが、その時、「ガシャポン」の名前で一〇〇円の精巧なキャラクター商品を投入。「筋肉マン消しゴム(キンケシ)」でガチャガチャ一〇〇円時代へ流れを変えた。
 現在の主流である二〇〇円時代は、平成6年からだ。平成元年から二〇〇円の機械は登場していたが、「クレヨンしんちゃん」のキャラクター人形などで、二〇〇円にシフト、購入者の年齢が上がったことを如実に現している。もはや小学校低学年を対象にした、ちゃちな小物玩具の販売機ではないようだ。

●報知新聞の原稿に附加改稿


2002年8月23日更新
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