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第十八回『当たる不思議「私の秘密」と、
死ぬほど笑った「ジェスチャー」の頃。』


似顔絵  核家族といった流行語も「この辺で僕もドロンするよ」ではないが余り聞かなくなって、家族の形も多様化した現代では考えられないと思うが、僕が子供の頃は家族九人で暮らしていた。勿論、テレビ番組で紹介される子沢山とは違い、祖父母・祖父の姉・父母・叔母・僕兄妹といった九人。
 テレビの値段は大学新卒者の一年分とかの高額時代。当然、現代のように応接間から居間から子供部屋までというように何台ものテレビがある時代ではなく、子供のチャンネル権も限られていて、夕食後のテレビ番組は大人達のみる番組を、側に座って僕も一緒にみていた。
 多分、昭和三十四、五年。例のナショナル製の青灰色をしたテレビが細い四本足付き台に乗せられて我が家の居間に置かれてからも、小学生の僕にチャンネル権があったのは夕食前の五時過ぎから六時過ぎくらい。
 民放が活発に動き始めると、家族で楽しむ番組は勿論、月光仮面等の子供向け連続テレビ映画も制作されテレビ番組は花火のように一気にポーンと弾けたが、その後も、相変わらずテレビは家族揃ってみる日常を過ごしていた小学生の僕である。

 そんなあの頃に、父や祖父たちと一緒になってみていた懐かしい番組に「私の秘密」や「ジェスチャー」がある。

 「私の秘密」は、テレビ初期のクイズ番組で昭和三十年から始まった人気番組。司会は一年中ニコニコ顔でお馴染み、第一回紅白歌合戦の司会者だったらしいあの高橋圭三。毎回三人登場する秘密を持った人の秘密を推理して限られた何分かの短い一定期間内に当てるという、圧倒的な人気があったNHKのテレビ番組である。

 そりゃビックリ、全然ヒントもない所からアレコレ言いながら勘でフンフンと秘密を当てるのだから実に不思議。超能力保持者のようなレギュラー解答者に、僕は毎回、ヒェー当てたヨの目パチクリ状態だった。
 痩せて縁の細い眼鏡をかけギョロ目でチンパンジー顔の杉浦洸や、太い黒縁眼鏡をかけチョビヒゲを鼻の下に生やした貫禄者で上品な紳士風の渡辺紳一郎。きれいなオバサンは好きですか風で参院選に立候補してテレビの知名度からか当選、タレント議員となった藤原あきか、塩月弥栄子の三人が出演していたように記憶している。
 登場する人の秘密と言うのは、例えば、名前が特別変わっていて凄いとか、何か凄い特技を持っていて日本一であるとか、滅多にない珍しい体験をしたとか。コレが話を聞いて、視聴者がエーッと驚く内容なのである。
 また、毎回、野球選手や映画俳優などの有名人ゲストが一人出演。ゲスト解答者として、番組最後に「対面」をする。記憶が薄い位の何らかの関係者、例えば、あることで特別世話になった人や幼なじみ、恩師等を会わせるコーナーがあって、ゲストは質問しながらその人が誰かを当てるものであったが、秘密同様で全部当たっていたように思う。

 さて、「シェスチャー」は、NHK開局の昭和二十八年にスタートしたバラエティ番組らしいが、その時二、三歳の僕が開局当時のジェスチャーをみるわけがなく、昭和三十八年頃まで放映されていたという話であるから、多分、実際にみていたのはもっと後のことだろう。

 外国からの実況放送に歌や芝居、映画や特番と刺激もセックスも笑いも何もかもズラリ揃っている現在のテレビ番組の中にあった場合の人気度については分からないが、僕が子供の時代には、確かにジェスチャーは凄い人気で面白く、家族で楽しみにしていた高視聴率番組だったのである。
 番組タイトルのジェスチャーという言葉も、今では意味も浸透しよく使われる日常語であるが、当時、外国語の持つオシャレ感に痺れていた僕だった。

 番組は、男性チームと女性チームとして女四名男四名くらいに分かれ、男性群キャプテン柳家金語楼、対する女性群キャプテンに水の江滝子とキャプテンを選考。ずっと後になって、モジャ髪にモジャヒゲの漫画家・加藤芳郎などが男性キャプテンをしていた気がするが、ジャンケンで先攻後攻を決め、「では、先攻、男性群」とか言う感じの司会者・小川宏のかけ声で始まる。
 「誰が何処で何をどうした」という具合の課題文章が書かれている紙を敵チームのキャプテンが持っていて、演じる本人だけにチラチラと見せるが、演じる者がついうっかり気を許して単語など一言でもしゃべるとその一回戦は無惨にも負け。無言の指さし動作や頷きはあっても一切話さずパントタイムのように身ぶり手ぶり・形態模写を交えて選ばれた一人が舞台中央で必死に演じるその動きを見ながら、チームの残り三人が次々に思うことアレコレを言ってその文章を勘で当てるゲームである。
 両キャプテンが「こりゃ難しい」とか軽い憎まれ口などたたきながらも和気藹々の大笑いで展開される三十分番組。僕など今でも忘れられないのが、芸達者な柳家金語楼の見せたジェスチャー。思いきり口を尖らせて手足や体を変に大袈裟にクネクネさせながら演じたタコや、顔中グシャグシャにして演じた子供の泣き声の熱演は凄かった。
 「海水浴場で泳いでいたら、タコに絡まれ墨をかけられて泣き顔の子供」といったような文章であったが、これは絶対当たると柳家金語楼のジェスチャーに感心しながら見た覚えがあり、うまくて情けなくて可笑しくて最高に素晴らしい表現力。ジェスチャー史上に残るくらいの満点爆笑演技だった。

「ジェスチャー」

 NHKは昭和二十八年に放送スタートであるが、家族でみる人気番組が続々と放映され子供番組もまた人気抜群だった。僕の記憶もどこか曖昧でゴチャ混感もある昔の番組、私の秘密やジェスチャーを家族揃って一台のテレビで大笑いしながらみていたあの頃を、最近、何だか妙に懐かしく思い出すことがある。


2004年2月2日更新


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