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「秘密基地」タイトル

串間努

第1回「キミは秘密基地で遊んだか」の巻


 ボクは「戦争を(まったく)知らないこどもたち」であった。しかし、ミリタリー的なものには子どもごころなりに心ひかれたものだ。戦車や軍艦のプラモデルを組立てたり、テレビドラマの「コンバット」の影響で戦争ごっこをしたり。何しろ漫画雑誌の表紙やカラー口絵にも戦争モノが掲載されていた。変身モノやロボットモノのコンテンツがまだ登場していない時代は、メカや超人的なものの憧れは戦記モノがその代替をしていたのではないだろうか。これらの情報の発信者側に戦争体験者がいたということも見逃せない。
 その延長線上、実践にあたるのが、「秘密基地づくり」というものだろう。「基地」ということばは軍事的なものをイメージさせるからだ。
 歴史的に戦後いつから「秘密基地ごっこ」が発生し盛んになったのかは知らないが、おそらく予測するに、当初は防空壕を利用したものではなかったろうか。簡易建築という面からは、あるいは空襲の焼け跡のバラックを参考にしたのかも知れない。また、戦前にまったくなかったとも言い切れない。数人の子ども集団が戸外で食料などを持ちよって成人を排除した建物の拠点を作るという点では、秋田県横手市で行われている「かまくら」にまでルーツが遡れるかもしれない。左翼運動の「アジト」との関連はたぶん薄そう。戦前の子どもたちは「隠れ家遊び」という名前で行っていたのかもしれない……などととりとめもないことを考える。

 とにかく、ボクの体験では「秘密基地ごっご」は家でやるのと外でやるのと二つあった。
 当時の家は、多くが昔ながらの日本家屋だったから、布団を敷いて寝る。だからどこの家にも押し入れがあった。この押し入れが『秘密基地ごっこ』に最適だった。昭和40年代に大人気を博したSF人形劇ドラマ「サンダーバード」の秘密基地に見立て、『タッタララー、ゴードン、出発します!』と劇中のセリフを真似しながら、押し入れの最上段から、座敷へ向かって滑り落ちながら出動し、脳天を打ったりした。
 押し入れは暗やみを利用して夏は蛍を見たり、「夜光おばけ」を中で光らしたり、少年雑誌の付録についてきた幻燈機を回したりする暗室ともなった。今のように一人に一室子供部屋があるような時代ではなかったから、子ども部屋がわりだったのだ。なにしろ「押し入れの中で寝る」ということが「ワクワクする」と思ってしまうセンスの子どもたちであった。台風が来るときに雨戸を締め切ってラジオを聞きながら部屋でじっとしているときのコーフンに通じるような気持ち。暗くて狭いところに閉じこもっているのが安楽だという感覚は、閉所恐怖症の反対で「閉所幸福症」とでもいうべきか。
 外の「基地ごっこ」では、廃材などを利用した。一番簡単なのはタイヤを拾ってきて、重ねてそこに入ったり、土管の中を基地に見立てるものだった。あと、ドアにキーがついていない廃車の中にもぐり込んだりしたが、一度など、バキュームカーの廃車に入ってしまい、ウンコがついたゴム手袋をつかんで大変な思いをしたことがある。
 そしてもうすこし高度になると「家」らしきものを組み立てた。そのころ、あちこちにセイタカアワダチソウという草が生えていた。この枝は乾燥すると適度な強度を持ち、エビカニ釣りのサオにも利用されていた。これをポキポキと折ってきて、ススキの群生している野原の中に立てて「家」もどきを作った。壁はそこらへんに落ちているベニヤ板だった。当時はなぜかいろんな建材が道端に落ちていた。なぜか小型の鉄のノコギリさえ落ちていたほどだ。高度成長時代の建築ブームだったからだろうか。さすがに屋根にトタン板を乗せた時にはセイタカアワダチソウで作った柱は崩れおちてしまったが。これらは秘密基地と称して、ボクらはあるときはスパイだったり、ある時は忍者だったりした。もちろん入るときには「山!」「川!」の合い言葉が必要だ。
 そんな「基地」も台風や大雨がくるといっぺんに吹き飛んでしまい。台風一過のあと、ボーゼンと廃墟にたちつくすボクらだった。
 だいたい同年代の人(昭和30年代後半)に聞くと、「秘密基地づくり? やったやった」と共感されることが多い。テレビの忍者モノや、スパイ映画、ウルトラマンなどの特撮ドラマとともに「秘密基地」ごっこは存在していたのだろう。基地もどきはドラマに近づくためのリアルな仮想空間(形容矛盾失礼)だったのだ。テレビゲームの中からはこんな遊びは生まれることはない気がする。


「次回は落とし穴について」


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