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「食料品店」タイトル

第32回「ジャンクフード、
大好き」の巻

日曜研究家串間努



●自分ながらの食べ方、味付けでいいじゃん!

  最近、テレビや書籍でご当地の食べ物と連動した「B級グルメ」がブームだ。
  「B級グルメ」という概念は、もともと、フリーライターの田沢竜次氏が1985年に発表した『東京グルメ通信 B級グルメの逆襲』(主婦と生活社刊)が最初である。
  後に同氏も企画に参画している「文春文庫ビジュアル版」で写真版多数の「B級グルメ」シリーズが80年代後半にたくさん刊行されたことで、サブカル書籍カテゴリーのなかで一ジャンルを築いた。

  ジャンクフードの定義には広義のものと狭義のものとがあると思う。一般に言われているイメージだと、ポテチやスナック菓子、ハンバーガーやカップ麺、駄菓子など。これらのジャンクフードは栄養価値の面からは“下らない”ものであり、日本人の1日の栄養所要量のために資するものではないと見られている。これが広義だ。

「スーパーでもコンビニでも人気のスナック菓子。食べだしたら止まらん!」

「スーパーでもコンビニでも人気のスナック菓子。食べだしたら止まらん!」

  私はむしろ文化的側面から、ジャンクフードを見つめている。料理屋のメニューに載らないものや、商品として発売されない名もなき食い物や、家での自分ながらの食べ方。誰がいつごろ食べ始めたのか、流行し始めたのか、出自さえ不明なもの──これが私にとっての狭義のジャンクフードであり、私はこれらを愛する。

  先に紹介した文春文庫ビジュアル版の「B級グルメシリーズ」のファンであった私は、同編集部に対して「オートレース場など公営ギャンブル場の食べ物はヘンで面白いよ」と手紙を出したことがあった(これは編集部内で企画化され、ライターによって関東近隣の公営競技場の食堂・売店が取材された)。
  公営ギャンブル場の食べ物には“昭和の匂い”がする。
  すいとん、おしるこ、ブタ汁、モツ煮込み、焼き鳥、みかん、バナナ、焼き芋、手作りおにぎり……。終戦直後の闇市に行ったことはないが、そこで売られていたようなものが売っている。

「腹が減れば、なんでもうまい! 特製(というほどでもないが)小女子メシ」

「腹が減れば、なんでもうまい! 特製(というほどでもないが)小女子メシ」

  名前も変わっているものが多く、多摩川競艇では「ほねく」というさつま揚げのようなもの(和歌山県のかまぼこらしいが、関東ではマイナーだった)が売っていたし、「ハイピー」という名の味付けゆで卵もあった。各場で名物メニューもあり、おいしいタンメンや焼き蕎麦のほか、アンマンの天麩羅や立ち食い寿司など変わったものもある。

●串間の「おすすめジャンクフード」

(1)薄い塩水に漬けたキュウリの串刺し

  川口オートレース場で発見。私が公営ギャンブル場グルメ(名付けて「G級グルメ」)を調べ始めたのはこれを食べたのがきっかけである。単なる塩水のなかに浸ったキュウリ。そこには薄い塩が投入されていて、浸透圧の関係からかキュウリをかじると、一夜漬けにも及ばないかすかな塩味がする。
  中学2年生の修学旅行で磐梯山登山をしたときに、旅館から貰ったお弁当がキュウリ丸ごと一本とラップにくるんだ味噌だった。あまりにもストレートな食材で、同級生とともに驚いたものだった。

(2)紙コップに入った、食パンの耳を揚げたもの

  これもオートレース場で発見。場内くまなく「G級グルメはないか」と探しまわっていたら、はじっこの売店で、食パンの耳を揚げたものに砂糖をまぶしたものを売っていた。子どものころ、母から「ドーナツだよ」とウソをいわれて食べさせられたシロモノである。
  50円の表示があったので、紙コップに差された1本を取ろうとしたら「にいちゃん、カップ全部で50円!」と笑われた。確かに。

「トーストをミロにひたしてもおいしいぞ!」

「トーストをミロにひたしてもおいしいぞ!」

(3)理研の仮面ライダーV3ラーメンの袋ぐちゃぐちゃ喰い

  昭和45年、どこかの食品会社が「仮面ライダースナック」ブームを後追いし、即席ラーメンを出した。カルビーのライダースナックの真似をして、やはり仮面ライダーカードがついていた。そのカードを目当てに毎日、よろずやでラーメンを買った。だが今のようにコンビニにお湯が用意してある時代ではない。
  しかたなく袋の上から手で押し潰して細かくし、一度袋をあけ、中の別添スープをまんべんなく振りかけてから、袋の口を押さえてシャカシャカと振った。その粉々になりながらスープがまぶされたものを手掴みで喰う。ひたすら喰う。実にワイルドだ。
  お腹は別に壊さない。そんなやわな胃袋だったら、後日の科学で判明する発ガン物質が入ったお菓子を食べていられたわけがない。

(4)ビンボーで単純なもの

  土曜のお昼などは、家計の経済状態が良いときだけ菓子パン代をもらうのがせいぜいであった。お腹が減ったら、家の中にあるごはんか食パンなどを探してなんとかするしかない。
  茶碗に少し冷めたごはんを盛って、キッコーマンの卓上瓶の醤油をそーっとかけて、箸でぐるぐるかき回し、親に見つからないように障子の陰で食べる。スリル満点、禁断の「醤油めし」はとても美味しかった。
  食パンの場合は、トーストを珈琲にちょっと漬けて食べるというやり方があった。子どもにとって、焼いた食パンの耳はちょっと固いのだ。珈琲といっても本格的なものではなく、渡辺製菓の「粉末コーヒーの素」だった。最後にはマーガリンやパン粉が浮いてギラギラとした膜が張ったおいしくないコーヒーとなった。生のままの食パンにマヨネーズをかけて、スプーンがないから半分に折りたたんでマヨネーズをまんべんなく塗る方法で食べたりもした。

「食パンは白いキャンバス。どんな味を描くかはあなた次第!」

「食パンは白いキャンバス。どんな味を描くかはあなた次第!」

  ずっと「キューピーマヨネーズ」の丸い口金だったが、ある日「味の素」のマヨネーズが後発で発売され、口金が「★型」だったので、筋がついたマヨネーズが搾り出されて、「ケーキのクリームみたいだ!」と喜んだ。こんな些細なことに喜びを見つけられた昭和40年代は楽しい。

  「ジャンクフード」はアメリカから来たことばである。一本調子の味覚のアメリカ人と一緒にしないでもらいたいなとも思う。日本では「ジャンク」といっても、不味いものではない。そこには工夫があり、繊細なスパイスが効いて、微妙な味のハーモニーを口中で味わっているんだから。

  以下、私が発行する「日曜研究家」の読者アンケートで募集したとき、次のような「自分の食べ方」が寄せられたのでご紹介します。

「ちなみにこの写真の撮影者Mは、マーガリン&ふりかけ飯が大好物!」

「ちなみにこの写真の撮影者Mは、マーガリン&ふりかけ飯が大好物!」

■朝の忙しいときの朝食です。どんぶりに生タマゴを入れ、よくかきまぜ、牛乳を少し入れます。そこによく熱した味噌汁(具も一緒に)をいれ、熱いご飯を入れよくかき混ぜて、「フーフー」言いながら食べる、栄養満点の朝食です。(昭和27年生/愛知県岡崎市)

■食パンに「磯じまん」を塗って食べる。給食のカレーに牛乳をかけて食べる。(昭和29年生/大阪府枚方市)

■ソフトクリームを食べている人をビックリさせて、落としたソフトクリームを拾って食べる。(昭和32年生/埼玉県大宮市)

■豆腐を箱でつぶしてマヨネーズで食う。(昭和34年生/神奈川県横須賀市)

■小学校低学年のころ、土曜のお昼はインスタントラーメンを自分で作っていた。可愛がっていた手乗り文鳥のシロちゃんを部屋に放して、丼のフチにとまったシロちゃんと見つめ合いながらラーメンを食べていた。大人に見つかると「鳥の菌が移る」とウルサイのでナイショにしていた。シロちゃんはラーメンが好きだった。(昭和38年生/新潟県新潟市)

■「サッポロポテト バーベQ味」をひとつつまんで、コタツの中に入れ、ヒーターの下に近づけて1〜2分そのまま持っていて、その後すぐに鼻に近づけると、実に香ばしい香りがして、味もひと味違う気がする。(昭和39年生/東京都北区→神奈川県横浜市→東京都足立区)

■納豆とマヨネーズをあえたものを、食パンにはさんで食べる。メッチャうまい! 名古屋では「にみそ」と言われるおかずがあり、重宝していた。みそをお湯と砂糖で溶いただけ。(昭和40年生/愛知県名古屋市)

■子供のころ、お菓子の袋を開けると、わざとシリカゲル(乾燥剤)を抜き取り、むき出しのまま戸棚の中にしまい、2〜3日待った。「パリパリ」「サクサク」ではなく、湿気た「パキュパキュ」「ペニャペニャ」といった食感と、戸棚の中の複雑な匂いのハーモニーが相まって、何とも言えない味だった。(昭和43年生/茨城県那珂郡)

■親戚の家へ泊まったとき、おじさんがコッペパンにバターとジャムをはさんだうえ、朝ごはんのおかず全て(塩こんぶ、梅干し、おひたしなど)をはさんで食っているのを目撃しました。(昭和44年生/静岡県沼津市)

■おかずのないときは、ごはんと豆腐をぐちゃぐちゃに混ぜて、醤油をかけて食べる。「ご飯の白和え」。(昭和53年生/愛知県名古屋市)


2009年12月16日更新


[ノスタルジー商店「まぼろし食料品店」]
第31回「森永マンナ」の巻
第30回「戦国模様のファーストフードのメニュー」の巻
第29回「永谷園のお茶づけのりカード」の巻
第28回「アトムシールの誕生の謎を探る」の巻
第27回「お茶を商品化した日本文化」の巻
第26回駄菓子屋のあてクジ「コリスガム」の巻
第25回思わず口から出した「ホールズ」の巻
第24回「ヱビスビールはパンの味がしないかい?」の巻
第23回「アイスコーヒーって誰が発明したの?」の巻
第22回「氷イチゴの沿革」の巻
第21回「洋酒のポケット瓶を集めた中学生時代」の巻
第20回ギンビス「アスパラガス」は野菜がモデル?の巻
第19回「食堂で飲んだ記憶の『バヤリースオレンジ』」の巻
第18回子どもには辛かった「ロッテクールミントガム」の巻
第17回「ミスタードーナツの注文は視力検査か」の巻
第16回「マルシンハンバーグはなぜ焼けるのか」の巻
第15回「マボロシのお菓子(2)」の巻
第14回「マボロシのお菓子(1)」の巻
第13回「日本のお菓子に描かれたる外国の子どもたち」の巻
第12回マクドナルドが「ジャンクフード」になるなんての巻
第11回「カタイソフトとヤワラカイソフトとは?」の巻
第10回「桃屋」の巻
第9回「SBカレー」の巻
第8回「クリープ」の巻
第7回「中華まんじゅう」の巻
第6回「回転焼と大判焼と今川焼の間には」の巻
第5回「キャラメルのクーポン」の巻
第4回「チクロは旨かった」の巻
第3回「食品の包装資材の変化から見る食料品店」の巻
第2回「名糖ホームランバー」の巻
第1回「グリーンティ」の巻
[ノスタルジー薬局「元気ハツラツ本舗」
第8回「参天製薬」の巻
第7回「グロンサン」の巻
第6回「レモン仁丹」というものがあったの巻
第5回「かぜ薬」の巻
第4回「メンソレータム」の巻
第3回「マキロン30周年」の巻
第2回「虫下しチョコレート」の巻
第1回「エビオスをポリポリと生食いしたことがありますか」の巻


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