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「食料品店」タイトル

氷イチゴ
第22回
「氷イチゴの沿革」の巻
日曜研究家串間努


青い「ブルーハワイ」 暑さが苦手な私は、暑くなり始めの頃が、いちばん体にこたえる。冷房は二十八度が最適で、室内と外気温との差が5度以上あると体調を崩しやすいという。そういえば二十八度というのはカキ氷が売れ始める温度ではないか。小さい頃はお祭りや海水浴場で、しょっちゅう、氷イチゴなどを食べたものだ。一番安いのはただの砂糖水の「みぞれ」で、高いのが「あずき」「ミルク」だった。青い「ブルーハワイ」がいつできて廃れたかはわからないが縁日発のものだろう。

 その他「宇治金時」というのもあったけど、あれは昔からあるのだろうか? 調べて見ると、氷あずき自体は明治20年頃からあるようで、それが抹茶と結びついたのが昭和32、33 年頃。関東ではシロップの上に氷を盛るけれど、関西ではカキ氷の上から更にもう一度シロップを掛ける。

 そのためアズキを入れた上に、クリームと氷を重ね、一番上から抹茶の蜜を掛けたものが関西で「宇治しぐれ」という名前で生まれた。関東でも昭和37年頃には「氷あずき」が人気で、宇治金時もその頃登場したようだ。
 昭和40年代は、街の氷屋さんのシンプルな「氷イチゴ」が姿を消して行き、喫茶店のフラッペか、食品販売店店頭のカップ入りの氷菓子かに分かれていった。

 カップ氷といえば「赤城しぐれ」が懐かしい。昭和40年頃に発売された「赤城しぐれ」のネーミングは、戦前に霧島昇が歌ってヒットした同名の流行歌からとった。側面が歯車のようにデコボコした容器であったが、これには意味がある。固い氷にサジを入れた時に、滑ってグルグルと回転しない働きだ。またカップを持つ時、指がでっぱりだけを触るので、冷たくて持てないということを防ぐ。このアイデアは追随メーカーも採用するほどだった。
 だが、冷蔵ケースでキンキンに冷えていたカップ氷は実に固くて、しばらく置いておかないと歯が立たなかった。

 こんなに固かったカップ氷だが、ちかごろは、いろいろななカップ氷が発売された。ロッテの、「ソフト氷」もその一つだ。平成7年以降、カップ氷の売上が毎年減少していることに危機感を覚え、ソフト化に着手した。今までは混ぜるシロップが液体だったからカップ内で全体が固くなる。そこで、凍らせたシロップと削り氷を混ぜ合わせた。固体と固体を混ぜたので氷同士の間に隙間ができ、スプーンがスムースに通るようになるわけだ。
 なるほど、カキ氷界の難問がここに氷解したのであった。

報知新聞を改稿


2006年8月10日更新
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