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「昭和のライフ」タイトル

「印度りんご」
アカデミア青木
第16回
 印度りんごはどこに?

 昨年秋、当番組で「長十郎梨」を取り上げた際、「そういえば、印度りんごはどこにいったの?」との声が寄せられた。小生が子供の頃お馴染みだったりんごといえば、「国光」や「紅玉」、「スターキング」あたりで、「印度」なるりんごにはついぞお目にかからなかった。ただ、当時の科学漫画の一行知識のコーナーに「印度りんごはインドから伝わったのではなく、アメリカのインディアナ州に由来するりんご」と書いてあったので、名前だけはおさな心に残っていた。そんな小生にとって文字通り「まぼろし」の印度りんごを、今回の昭和のライフでは取り上げる。

1.「印度りんご」とは

 今日、日本で流通しているりんごは「西洋りんご」を起源とするもので、鎌倉時代以前に中国からやってきて「林檎」という名で普及していた品種は、現在「ワリンゴ」と呼ばれている。明治政府によって西洋りんごが公式に導入されたのは、明治4年6月のこと。北海道開拓使次官であった黒田清隆がアメリカからりんごの苗木75品種を持ち帰り、これを開拓使が東京・青山で育てた。翌5年から北海道への苗木の送付が始まり、その数は10年間の累計で約12万5千本に達したという。明治7年以降は内務省勧業寮が苗木の全国配布を行い、7年に長野県、8年に青森県へ苗木が配布された。この75品種の中には、後に日本の市場を二分した「国光」(原名:ラルス・ジャネット)、「紅玉」(原名:ジョナサン)が含まれている。

「紅玉」

紅玉

 ところで、「印度」はどこからやってきたのだろうか。今のところ、アメリカから来た「白竜」という品種が日本で突然変異という説(平凡社『世界大百科事典』)、北米・インディアナ州の品種をもとに我が国で育種したという説(『広辞苑』)、明治初年に弘前市東奥義塾の外人教師が北米から苗木を導入したという説(『原色果実図鑑』)など諸説あってはっきりしないが、少なくとも南アジアのインドからきたものではないと断言できる。明治26年から27年にかけて青森県の津軽果樹研究会が行った3回の試食会の成績を見てみると、「印度」は、7位、9位、2位と上位に位置しており、当時から味の良い品種として注目されていたことがわかる。この品種の特徴として、収穫時期が最も遅い(最晩生)、芳香があって貯蔵力に富む、甘味が強いが酸味はない、果肉が硬くて皮も厚い点などを挙げることができる。

「印度」

印度

2.消えていく印度りんご

 印度りんごが市場に出回るようになるのは意外にも戦後になってからで、贈答用の高級りんごとして販売されていた。当時、入院見舞いに持っていく果物の詰め合わせの籠には、「印度」が鎮座ましましていた。終戦直後は砂糖の入手が困難だったため、糖度が高くて酸味がなく長距離輸送に耐える硬い果肉を持ち、10月下旬から収穫できて翌年6月まで貯蔵がきく「印度」は、他の品種より有利だったのだろう。しかし、りんご本来の酸味がないことから、大衆向きではなかった。ゆえに用途は限られ、表1にあるように、「印度」の生産の伸びは「国光」を下回っていた。

 高度成長期に入ると、りんごに「おいしさ」が要求されるようになる。昭和38年にバナナの輸入が自由化されると、甘味に乏しい「紅玉」の価格が暴落した。43年にミカンが大豊作になると、「国光」が暴落、出荷できずに腐っていくりんごが山や川に捨てられた。一方、30年代半ばから栽培面積を増やしていた「ゴールデンデリシャス」や「スターキング」といった品種は、その味が評価されて価格の低下はそれほど見られなかった。産地では「国光」や「紅玉」の栽培を減らし、味の良い品種へ切り替える動きが進んだ。「印度」の栽培面積が最大となるのは40年代前半。その後面積は微減するが、りんご全体の面積が減る中、逆にシェアは拡大して、46年にピークを迎える。しかし、「ふじ」が登場すると「印度」の地位は一転する。「国光」と「デリシャス」を交配して生まれた「ふじ」は、44年から「国光」に代わる品種として青森県で導入が始まり、40年代後半になると急速にその栽培面積を拡大した。果汁が多く、蜜が入り、甘味が強く、貯蔵性もあることから、発売当初は高級りんごとして扱われ、「印度」の強力なライバルとなった。食味で劣る「印度」は競争に敗れ、栽培面積も急速に減少、53年を最後に農林省の統計からその名前を消した。これ以降、「印度」はまぼろしの存在となった。今日、市場に出ることはまれで、農家が自家消費用にわずかながら栽培しているのが実態のようだ。確実に入手しようと思ったら、今のところネット通販を使うしか方法がない。

「スターキング」

スターキング

 その後「ふじ」は、「ゴールデンデリシャス」、「スターキング」など並み居る品種を押しのけて、全国一の座を手にする。平成13年現在、そのシェアは50%を越えている。

「ふじ」

ふじ

3.印度りんごの子供達

 「印度」は「ふじ」との競争に敗れたが、その子供にあたる「むつ」や「王林」(共に、「ゴールデンデリシャス」と「印度」を掛け合わせたもの)は、現在そこそこ生産されている。「むつ」は10月下旬に収穫される本来黄色の品種だが、袋を掛けることにより赤い色になる。果汁が多く、香りも良く、甘味・酸味のバランスが取れている。一方、「王林」の収穫時期は10月下旬から11月上旬。皮の色は黄緑色で袋を掛ける必要がないため、省力化ができる品種として近年急激に生産を伸ばしている。果汁が多く、香りがあり、酸味はわずか。貯蔵性は片親の「ゴールデンデリシャス」を上回り、2月頃までは品質を保持できるという。「ふじ」に一矢を報いるのはなかなか難しいけれど、両者には「印度」の流れを組む品種としてこれからも頑張っていて欲しい。

「むつ」

むつ

「玉林」

王林

[参考文献

農文協編『果樹園芸大百科2リンゴ』(社)農山漁村文化協会 平成12年

久保利夫『原色果実図鑑』保育社 昭和37年

下中邦彦編『世界大百科事典32』平凡社 昭和47年

新村出編『広辞苑第三版』岩波書店 昭和58年]


2004年2月17日更新


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