今柊二
「100円ヤマトとビッグワンガムその1」
1977年、小学4年生の頃になると、我がウォーターライン連合艦隊も非常に充実のときを迎えつつあった。戦艦クラスは、「大和」「武蔵」、重巡洋艦は「最上」「鈴谷」「妙高」、軽巡洋艦は「阿賀野」「球磨」、駆逐艦は「島風」「子の日」「春雨」「暁」、航空母艦は「信濃」「ホーネット」(米国艦を鹵獲したということで)を擁していたのだった。これらを大きな菓子箱から取り出し、床一面にならべると実に壮観で、自分が山本五十六長官になったような気がしたものだった。山本長官と同時に、宇宙で闘っていた沖田長官もそのころになると忙しくなりかけていた。というのもなぜか「宇宙戦艦ヤマト」がブームとなって、映画になったらしく、東京の方で大騒ぎになっていたからだ。四国の片田舎にいても、テレビでいい年をした大学生たちが映画館の前で座ったり、ヤマトの歌を大声で唄ったりしている姿が写し出されていた。「なんじゃ、今頃大騒ぎして」と私は思ったが、少しばかりうれしかったのも事実である。そう、やはり自分は正しかったのだと自信を深めたのだ。または、それは自分が苦労して育ててきたアイドルがいつしか自分の知らないうちに大スターに育っていたような感慨に近かったのかも知れない(こういう妄想が「おたく」の得意とするところと気付くのはずいぶん後になってからだ)。
「原稿を書いていたら食べたくなったベビーヨーグルト。ダイエーで3個で50円でした」 |
さて、ヤマトがブームになったおかげで、うれしい事態が生じた。それこそは「宇宙戦艦ヤマト」のプラモデル化であった。実際のところは、テレビでやっていた頃からプラモデルは存在していたのだが(74年末より)、全然売れずに当然四国にも到着していなかったのだった(少なくとも私の周辺には)。それが、1978年の「さらば宇宙戦艦ヤマト」の頃になると、旧来の製品に加えて新製品もバンダイからジャンジャンと発売されるようになった。内部メカを確認できる「1/700メカニックモデル宇宙戦艦ヤマト」(2000円)や巨大感を出すために前方をデフォルメした「イメージモデル」(3000円)など素晴らしいものも多かったが、これらはいかんせん値段が高く、子供にとってはたまにしか買えないものだった。私の場合もメカニックモデルはどうしても欲しかったので、78年、小学5年生のクリスマスだかに買ってもらった覚えがある。しかし、「ヤマト」のプラモデルで最も意義深いのは「100円ヤマト」と呼ばれるメカコレクションシリーズだった。これは全部で30種類あり、「ヤマト」から「コスモタイガーU」「地球防衛軍艦隊旗艦
アンドロメダ」、「白色彗星帝国軍 ナスカ」など敵味方ともバラエティに富んだラインナップだった。それも30種類のうち18種類は敵キャラだったのもスゴかった。それまでのアニメの玩具化のセオリーである「メインキャラとその味方中心」から解き放たれたもので、その意味でも新鮮だったのだ。キット自体は非常に簡単なもので、可動部分も少なかったが、その分ディスプレイモデルとしての出来はよく、我々のコレクション欲を刺激した。また、この「100円ヤマト」のポイントは、模型店だけで売られていたのではなく、近所の駄菓子屋でも売られていたことだった。つまり、「ベビーヨーグルト(当時10円)と100円ヤマト」という買い物ができたのだ。今考えれば、この「100円プラモ」は、「模型屋以外でも本格的なプラモが買える」最初の事態だったのかも知れない。
その意味では、もう一つ意外なところで「プラモデル」が売られるようになっていた。それはカバヤがうち出した「ビッグワンガム」だったのだ。(続く)
2002年8月29日更新
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