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艪つきモーターボートでゆく 東京の水路!

●航路その3:日本橋川をゆく



   前回に引き続き、橋を中心に艇上からの風景をご紹介しつつ、日本橋川を遡ってみましょう。江戸/東京では最古級の水路であり、長きに渡り、わが国の中心地への物流を支えてきた川だけに、見どころも少なくありません。

江戸橋の裏側

   冒頭から恐縮ですが、ちょっと変わったモノをご覧に入れましょう。これは昭和通りを渡す、江戸橋の裏側です。
   江戸橋は昭和2年竣工の2径間鋼アーチ、関東大震災後の復興事業によって架けられた、いわゆる「復興橋梁」のひとつですが、ご覧のようにリベットがずらりと打ち込まれた構造はなかなか壮観で、最近の橋にはない、重厚な魅力が感じられます。
   このように、普段見られない橋の裏側の造形を楽しめるのも、水路行の醍醐味のひとつと言えるでしょう。

日本橋

日本橋 中央部の橋灯

日本橋 橋詰のテラス

   高架下をさらに進むと、ご存知、日本橋が見えてきました。
   明治44年竣工の石造橋で、わが国のすべての道路の基点となっている、「日本国道路原標」が設けられている橋であるなど、重要な橋であるだけに、他の橋にはないディテールを目にすることができます。
   国の威信を賭けて造られた橋とあって、中央の橋灯には麒麟の像、アーチ中心の要石にも鋳造の獅子面があるなど、装飾が華麗であることはよく知られていますが、他の橋にはない「格の違い」を感じさせるのは、やはり橋詰に設けられたテラスでしょう。水面近くまで低められたこのテラスから橋を眺めると、視線の低さから、いっそう堂々とした威容を感じさせたに違いありません。
   (ちなみにタイトルの写真は、昭和戦前の日本橋を写した絵葉書です。)

西河岸橋の銘板

   水面から橋を眺めていて気づかされるのは、明らかに船からの視線を意識した銘板が掲げられていることでしょう。
   最近の橋は、側面に直接ペンキ書きという例が多くなってしまいましたが、戦前までに竣工した橋は、写真の西河岸橋(大正14年竣工)のように、砲金製の立派な銘板が掲げられていることが少なくありません。
   「西河岸」の名のとおり、このあたりには船から荷物を上げ下ろしする場所である「河岸」があったところでした。もちろんここだけではなく、言うなれば、かつては日本橋川の水辺全体が「河岸」だったと言っても、言い過ぎではなかったのです。

常磐橋 (上流側より)

常磐橋の銘板

   河道が右にぐっと折れる区間を過ぎ、日本銀行の横まで来ると、これまた古風な石造アーチ橋が見えてきました。この常磐橋は、東京に現存する橋ではもっとも古いもので、明治10年の竣工です。
   すでに道路橋としては現役を退いて、隣接する公園への人道橋となっていますが、貴重な産業遺産として、大切にしたいものです。
   ちなみに、常磐橋のひとつ下流には、同音異字の常盤橋、ひとつ上流側には新常盤橋、さらにその上流には、次に紹介する鉄道橋の新常盤橋があり、「トキワ」を名乗る橋が4つも集中しているという、ややこしいことこの上ない(笑)区間でもあります。

新常盤橋(別名・外濠アーチ橋)

   日本橋本石町4丁目付近で、頭上をJR線が横切りますが、3本ある鉄道橋のうち、最上流の新常盤橋は大正7年竣工の、風格のあるコンクリートアーチ。アーチ中央に、蒸気機関車の動輪を模した、立派なエンブレムが掲げられているのが目を引きます。

一ツ橋下流付近の石垣

   数度の屈曲区間を経て、大手町一丁目付近、前回紹介した一ツ橋の下流近くに来ると、南岸に石垣を見ることができます。これは、かつてこの水路が外濠の一部となっていたころの名残りで、もちろん江戸以来のもの。
   ここは頭上の高速道路が、もっとも低く覆いかぶさる区間なので、昼なお暗い場所ではありますが、目を凝らすと、石の表面に記号のようなものを見ることができます。江戸時代に、各大名家で分担して工事をした際に書き込まれたものだそうです。

堀留橋

   西神田三丁目に架かるコンクリートアーチ、堀留橋は大正15年の竣工。「堀留」の名前は、かつてはこのあたりが、水路の終点であったことからつけられたもの。現在の神田川が元和6年(1620年)、いわば放水路として新たに開鑿された際、旧河道である日本橋川の流頭部は、洪水防止のため埋め立てられたのです。新たに水路が掘られ、再び神田川とつながったのは、埋め立てから実に283年後、明治36年(1903年)のことでした。

JR中央線・小石川橋通架道橋

   日本橋川の旅は、JR中央線をくぐった、神田川との丁字流(道路で言えばT字路)で終わりますが、その直前に架かる小石川橋通架道橋も見どころ。明治37年竣工とあって、石材で装飾されたレンガの橋台が美しく、苔むした表面に過ごしてきた星霜を感じさせます。トラス部分はドイツ製だそうです。

千代田区庁舎船着場(九段南1丁目・千代田区役所裏)

三崎橋船着場(飯田橋3丁目・新三崎橋橋詰)

   最後に、船着場をご覧に入れましょう。日本橋川には、都や区によって建設された船着場があります。下流から、常盤橋(常磐橋の写真右端に写っています)、千代田区庁舎、三崎橋の3つです。
   いずれも防災名目のもので、普段は施錠されており、一般の艇が気軽に利用するというわけにはいきませんが、最近はイベントなどで使われることも多くなってきました。桟橋が2段になっているのは、東京湾の潮位に従って川の水位も上下するため、船からの乗降の便を考えてのことです。

   日本橋川を駆け足でご一緒してきましたが、世間一般では負のイメージで語られがちなこの水路も、文系の視点(?)から見ると、歴史的な構造物が少なくなく、興味の尽きない川であることがおわかりいただけたかと思います。外濠の石垣や古い橋たち、そして頭上を走る高速道路…。江戸、明治、大正、昭和初期、そして高度成長期から現代に至るまでの、土木技術の発展の歴史が圧縮された、全国でもまれな空間と言えるかもしれません。

   

次回は「神田川の地下水路探検!」をお届けします


2010年1月13日更新


日本橋川をゆく
川に囲まれた街・神田
道楽船頭の水運趣味