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「三面記事」タイトル

第16回「思い出を
商売にしはじめた」の巻

日曜研究家串間努



新聞の見出し

 暗くなるまでメンコ遊びをしたっけ。ベーゴマをポケットいっぱいにつっこんで歩いたっけ……。
 大人ならだれでも、こんな子供のころの思い出があるはずだ。Mさん(26)もそうだ。渋谷区富ヶ谷で、彫金アトリエ「トーク」を開いていた。(中略)5年前からオモチャを集め始めた。最初は商売柄、アクセサリーの一種として子供用のビーズやブローチ、白馬童子の仮面などをながめていたが、そのうち、懐かしいやら、面白いやらで、古いオモチャにとりつかれてしまった。アトリエも、いつのまにやらオモチャ屋「トーク」にかわってしまい、近所の子供が10円玉や百円玉を握りしめて「ちょうだいな」とやってくる。
 とはいっても、そんなオモチャを見つけ出すのが一苦労だ。蔵前のオモチャ問屋へ出向いて「ちょっと倉庫を探しますから」。番頭さんが「暑いから、もうよしなよ」と気をつかってくれるのを振り切って、積み荷の下の方からホコリをかぶったオモチャを見つけ出した時の感激。つい先日も、このテで、白馬童子の仮面を手に入れた。
(中略)地方へ、・買い出し・にも行く。先月は長野県天竜市方面を旅した。古い駄(だ)菓子屋さんを見つけては、のぞきこむ。
 原宿の表参道のオモチャ店「キディランド」(渋谷区神宮前6の1)。森さん、ここの1階に収集品を並べ、売りまくっている。ベーゴマ3個100円、伊賀忍者のお面セット300円、竹の機関銃300円……。(中略)キディランドでの商売が、来月2日に終わると、また旅に出る。「行き先は書かないで下さい。書くとマニアがどっと押し寄せるんですよ」。土のにおい、手作りの温かさ。最近、メンコや日光写真の類を求めて、旅に出る若者がふえてきた。
(読売新聞/昭和50年8月20日)

70年代から続くレトロブーム
 この記事がいまから四半世紀も前のものとは思えない。レトロブームレトロブームと何度も聞いていたけど、玩具や子ども商品のデッドストックを探して販売する手法やマニアは70年代からいたのだった。
 およそ「レトロ」という言葉が広告業界に登場しはじめるのは昭和59年頃だといわれている。親世代には懐かしく子ども世代には目新しい物が店頭に並び、その売上げを伸ばす。こういった現象が生まれた要因はいくつか考えられる。
 高度経済成長で物質的に豊かになったため、逆にぬくもり、手作り感覚が感じられる自然なものを求めるようになったこと。
 また、立松和平は都市化の進行で失われた自然破壊への不安からレトロブームがあるという「都市化は人工空間づくりへ走り、その結果、自然を消費しつくすおそれを生み、『レトロ現象』はこれを観念で埋め合わせようとする小さな修正の一つだ。『他界』に入っている古いものを愛好することで、自然回帰の代償行為をしている、ホラーとか怪奇なども同根だ」(『朝日新聞』1986年11月10号)。毎日新聞編集委員だった市倉浩二郎氏は「楽観的な未来をもてないままの時代だからこそ、確かな過去を掘り起こしているのではないか」と指摘する(『「レトロ」からの発想 これが成熟社会のビジネスチャンスだ』倉部行雄著/PHP研究所/1988)。

 国際的な観点からみると「レトロ」による伝統的日本文化の再確認がある。国際化がす進み、文化も食生活もファッションも欧米化した。それは日本をかえりみない姿勢への反省を生んだ。そのため「レトロ」の中に含まれる日本文化が新鮮で素敵に感じられる。ダサくて古臭いモノとして10年、20年捨てて置くとそれはあるとき新しいものに蘇るのだ。
 不況のときも「レトロ」ブームはおこる。それは「レトロ」を使った商品やサービスは、過去のコンテンツを生かすことでハイリスクがなく、ある程度の儲けを期待できるからである。復刻された玩具、名作映画の再上映、ヒット曲のカバー、リバイバルされた雑貨は、かつて流行したものであるから、従来からのファンと、未体験の新規ファン層から二つの売上げを期待できうる。

 「レトロ」ブームは疲れた中高年にとっては、ヒーリング効果をもたらし、若い世代にとっては新しいものに映って格好イイ。昔ブームになったり人気を得たモノやデザインには時代を超えたパワーが内包されている。
 また、いま「レトロブーム」で昭和30年代が懐かしがられているのは、人々の生活レベルがほぼ均質化された平成時代と違って、戦前の暮らしそのままの和風と、アメリカ生活に憧れた洋風、そして「デラックス」な高級品と普及品が混在し、庶民の生活スタイルがバラエティーに富んでいたからかもしれない。あの時代がオモシロかったのもテレビ番組や商品のコンテンツやソフト開発の余地がたくさん残されていたからだ。いまは耕され尽くされてどこにアイデア商品や新キャラクターが埋まっているのかクワを振り下ろす土地もない。
 あのころ、毎日のように事件があって社会は目まぐるしく代わり、昨日より今日は着実に進歩していた。ビンボーと金持ちの差は開くばかり 商売をやっていたひとも面白い時代だっただろう。日本のゴールデンエイジは戦後の昭和であった。

書きおろし


2006年12月14日更新
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