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第三十一回
『十九歳の僕、エルトン・ジョンを聴いていた頃。』似顔絵


 本を背もたれにして淡い鴬色のパルタン星人が入っている僕の本棚を開くと、現在では製造・発売されていないLPレコードが並んでいる。それらの多くは、僕が十九歳の終わり頃から買い求めたもので、中で一番多いのが、何やら結婚したらしいエルトン・ジョンである。
 エルトン・ジョンを聴いていた頃の僕は、人気が高く流行発信的雑誌だったアンアンで見た「枯れ草をアートぽく部屋に飾る」記事に触発され、帰省時などには自転車で田舎の近所を徘徊。野原から背の高い枯れ草を摘み切って持ち帰り、アダム&イブと言う当時の人気ブランドの花瓶にさして部屋に飾り、ステレオを聴きながら一人過ごすような生活をしていた。
 丁度、テレビやラジオから流れるヒット曲がこの時期くらいを境に大きく変化、アイドルと言う表現が似合わない年上歌手の歌謡ポップス路線からグループサウンズヘ。そして、永遠のアイドル・山口百恵等、低年齢に移行してゆく。勿論、僕もそれらのヒット曲をアレコレ賑やかに聴いてはいたが、新曲が出る度に大騒ぎをしてレコードを買い求める程のファンではなかった。
 兄がパイオニアかサンスイの音が良い銀色のデカいステレオを持っていていて、それで何度もかけて聴いていたのは、エルトン・ジョンだったのだ。まだCDと言う言葉さえない頃で、懐かしいLPレコード全盛時代である。
 音大のピアノ専攻でもなく、それも田舎であるから部屋には防音設備など全然で、ステレオの音が外の道まで聞こえていて、畑仕事から帰ってきた祖母に、隣り近所に恥ずかしいと言っては僕は何度も叱られた。

エルトン・ジョン

 エルトン・ジョンのLPレコードは、エルトンジョンの肖像、スペシャル・コレクション、ピアニストを撃つな、グッバイ・イエロー・ブリック・ロード、キャプテン・ファンタスティック・アンド・ザ・ブラウン・ダート・カウボーイ、ロック・オブ・ザ・ウエスティーズ、ヒア・アンド・ゼアといった懐かし所は、思い出のように静かに今も本棚に入っていて、中でもLPレコード一枚として僕が好きなのが、ロック・オブ・ザ・ウエスティーズ。
 それまでバラード色が濃く人生を語るような曲が多かったLPとは違い、真下に落下して行くジェットコースターに乗っているような感覚のシンプルで切れの良いロックがアルバムには詰まっており、ピチバシキュキューンの強烈な高低サウンドを聴きながら、例の調子で僕は首を振っていた。
 好きな曲は沢山あるが、僕の歌は君の歌、ロケット・マン、ビッチ・イズ・バック、恋のデュエット、グッバイ・イエロー・ブリック・ロード、エンプティ・ガーデン等、言えば切りがない。
 あれから三十年以上過ぎた現在でもあの頃ヒットした彼の曲がテレビCMで流されていて、丁度僕の青春。飲んでいたコーヒーの手が口元で止まるくらい物凄く懐かしい思いで胸がギュッと熱くなり、実に適当で曖昧なルビを拾うような滅茶苦茶英語でついその続きを歌ってしまう僕であるが、さて、エルトン・ジョンがどう素晴らしいかとなると、チョット説得力がといった所。
 と言うのが、ギターひとつ上手に引けない上に、英語が得意でも何でもない。勿論、耳に聴きダコができる程曲を繰り返し聴いても、悲しいことに一曲も英語らしく歌えない僕なのだ。
 家内の姉が僕と同じ歳のフランス人と結婚。ミッシェルは世界中を歩き回りながら橋をつくる仕事をしていて、十年ほど前にその仕事の関係で日本に来たことがあった。彼とは初対面で、初めて英会話をする外国人。ドッシリと大柄でもの静かで優しい。フランス語が全く駄目な上、英語にしてもジス・イズ・ペンレベルの僕に合わせてくれたおかげで変な緊張の中にもジェスチャーと単語連発英会話で楽しい時間を過ごせたが、アレを電撃結婚した宇多田ヒカルのようにペラペラペラとやられた夜には大騒動。僕などお手上げ状態のグリコポーズだったに違いなく コーヒー連続おかわりだけで短い時間は過ぎていたと思う。それくらい英語に弱い僕なのだが、これが、エルトン・ジョンの曲は大好きなのである。
 彼の魅力は、静かで寂しいバラードからテンポが速いキレの素晴らしいロックまで創る曲色の幅広さと、沈み浮かび流されぶつけるように自由自在に広がる声とその優しく強い響きであろうか。何、ソレ、と言われそうな言い方をすれば、僕の感性にピッタリと言った感じ、である。「あっ、いるいるそういうヤツ」と言われると恥ずかしいが、僕は、外国曲の多くは、意味アバウト・曲調でコロリと好きになる。
 例えば、大好きなロケット・マンやグッバイ・イエロー・ブリック・ロード、エンプティー・ガーデンは日本語訳を読んで理解できるが、英語で書かれた詩の意味など簡単には分からない曲も多く、また、日本語訳をみると訳す人によりけっこう違う表現になっているし案外滅茶苦茶下品な言葉をぶつけた内容もあり驚かされ、結局、曲を自分勝手にフィーリングで選び聴くタイプの人間なのである。
 いつだったか、ポール・サイモンがテレビか何かのインタビューに答えて「日本人は、その詩の中身を理解してというより、メロディーで好きな曲が決まっている」と言うような話をしていたのを聞いたことがあり、ズバリ、僕のことだと自分で思ったくらい。
 だが一度好きになると、なかなか嫌いにはならない僕でもある。
 ある時偶々読んだ、タレント作家のような人が書いた本の中に、エルトン・ジョンについて書かれた文章があった。ロックにも精通しているらしい彼は、エルトン・ジョンが大好きだったらしいが、同性愛者と知り一気に熱が冷め全く彼の曲を聴かなくなったと書いていた。
 コレ、ちょっとガッカリである。僕など、言葉も生活習慣も全然連う外国人歌手、特にロックは、私生活は私生活・音楽は音楽であると最初から思っていて、エルトン・ジョンが同性愛者であってもそれは曲・歌には関係ないこと。だから最近のCMでエルトン・ジョンの歌が流れてくると凄く懐かしく思うし、あの頃の曲が入ったCDを買って、現在でも彼の曲は聴いている。
 十九歳の頃に熱中した音楽を、五十歳を過ぎても聴くのは、その時に余程人生で意味のある出来事があったためとか言われるが、あの頃の僕は、喜びや充実感もそれ程ない大学生生活を繰り返していた。緩やかな流れにユラユラと揺れる木の葉の様に軽く実のない単純な日常で、何かが大きく変わるような意味のある出来事もなかったが、迷いや不安とはどこか違うあの年頃によくある曖昧な気分を埋めるには一番良かった曲だから、いつまでも聴く度に懐かしく体に染み込んで来るのかも知れない。三十年という時間が過ぎても、その魅力は損なわれていない僕のエルトン・ジョンなのである。
 流行歌手ではないが、昼夜間係ない生活時間にルーズな仕事をしている僕など、思いついた時に車で短い旅に出る。昔からそうだったが、見知らぬ土地の風景の中にボンヤリ立ち止まることが僕は嫌いじゃない。
 海が広がる山手から坂を下り、車は連続している緩やかなカーブに乗る。見上げる空には僅かな星が広がり、三日月は街の上、南東の空に眠っている。車を止めてそっと開けた窓から忍び込む薄闇からの静かな風に、カーステレオから流れる音楽と記憶がハンドルに絡みながら舞い上がる。
 僕の歌は君の歌、ロケット・マン、グッバイ・イエロー・プリック・ロード、エンプティ・ガーデン・・・・そんな曲に独りなら、六十歳の僕は泣いてしまうかも、知れない。


2006年4月7日更新


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