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アカデミア青木

第18回 『大学おとし』考


 小生が小学生だった昭和40年代後半、休み時間にドッヂボールを使った『大学おとし』という遊びが盛んに行われた。同じクラスの仲間には『げんばくおとし』と呼ぶ者もいたが、先日、子供の遊びについて調べていて、これに関する興味深いデータをいくつか見つけることができた。そこで今回の昭和のライフでは、この『大学おとし』を取り上げることにする。

1.『大学おとし』とはどんな遊びか

 大学おとしは、次のような手順で行われる。

『大学おとし』のコートの形

(1) 図1のような田の字のマス(一辺5m前後)を地面に描き、じゃんけんで勝った順に大学、高校、中学、小学のマスにプレーヤーが入る(5人以上がゲームに参加する場合は、「小学」の枠の外に「幼稚園」を設ける)
(2) はじめに、大学の者がドッヂボールを自陣でワンバウントさせて、卓球の要領で小学のコートに入れる。
(3) 小学の者は、同様に中学のマスへボールを送る。(原則として)
(4) 中学の者は、同様に高校のマスへボールを送る。(原則として)
(5) ここで、高校の者がボールを受け損なったら、中学の者と場所を交代する。
(6) このように、ボールを受け損なった者が1つ下へと落ち、その下位の者が入れ違いに昇格していき、プレーヤーは最終的に大学を目指す。
(7) 普通、小学の者は中学のマスを狙うが、もちろん、高校や大学へボールを送っても構わない。
(8) ボールを送る際は、片手でも、両手でも、スマッシュをかけても構わない。ただし、中心の円の部分(げんばく)にボールが入ると、どのマスにいても一気に幼稚園の最後尾へと移動する。(抜けた後は順次下位の者が昇格する)
 ボールを送る際に回転をかけてコースを変えたり、フェイントをかけて相手の手前に落としたりと、各自様々な工夫をして互いにしのぎを削ったものだ。

2.全国各地での呼称

 菅原道彦編『あそび宝鑑』(るいべ社、昭和54年)を見ると、「田の字をかいて、ボールをワンバウンドさせながらの軟式テニスやピンポン、天下取りの合体した遊びは、東京から四国まで分布していて、北陸、山陰には見当たらない」とある。その遊びは東京近辺では『大高中小』、『王様、一のけらい、二のけらい、こじき』、岐阜では『元大中小』、『してん』、大阪では『天下、大名、武士、町人』(天大士町)と呼ばれていた。

『大高中小』や『元大中小』のコートの形

 『大高中小』や『元大中小』のコートの形は図2の通り。ここでは、田の字の中心に「がんばこ」というマスが作られている。ここにボールが入ると、『大学おとし』同様一気に最後尾に落ちたり、大、高、中、小全員が枠外の子供達と一気に交代したりする。そんな「がんばこ」は、「棺箱」(棺桶)の事ではないだろうか。ここにボールを入れることによって、プレーヤーには「死」が訪れる。『大学おとし』の「げんばく」は、当時のアメリカとソビエトによる核競争を背景に、「がんばこ」が訛ったものであろう。

『天下、大名、武士、町人』のコートの形

 『天下、大名、武士、町人』のコートの形は図3の通り。ここでは、田の十字の部分に50cmの幅を持たせ、ここを「どぼん」と称して、ここにボールを入れると枠外へ一気に落ちる仕組みとなっている。天下が「どぼん」に入れてしまった場合には、「一蓮托生」で4人が一気に枠外の子と入れ替わる。『してん』も同じ身分の呼称を用いるが、その配置は『大高中小』と同じで、時計回りに順位が上がっていく。
 現在、この遊びに全国共通の呼称はなく、各地で『天下町人』、『天下おとし』、『小中高大』、『ガンバコ』、『げんばく』、『大学おとし』、『インサ』、『ドッジピンポン』など様々な名前で遊ばれているようだ。

3.昭和42年の都内調査

 昭和42年に、東京都は(財)東京都公園協会に委託して、都内8ヶ所で子供の遊びと遊び場に関する調査を実施した。
 1.成城地区(世田谷区) 東京都区部の西端にある山手の高級住宅地。
 2.西片地区(文京区) 環状線内の古い住宅地。
 3.天沼地区(杉並区) 中央線沿線の郊外住宅地。
 4.鳥越地区(台東区) 下町の住、商、工混合地区。震災後に区画整理済み。
 5.吾嬬地区(墨田区) 下町の住、商、工混合地区。区画整理は未実施。
 6.駒込地区(豊島区) 木造アパートの密集地区。
 7.赤羽地区(北区) 昭和38年完成の住宅公団の団地。
 8.下石神井地区(練馬区) 東京西郊にある農地、山林、一般住宅混在地区。
8ヶ所のうち、『大学おとし』系の遊びが上位15位以内に入ったのは半分の4地区である。

 各地区での呼称は、成城で『大学おとし』、『ガンバコ』、天沼で『天下おとし』、駒込で『元大中小』、下石神井では『原爆』。都下で様々な名前で遊ばれていたことがわかる。昭和54年の『あそび宝鑑』では、東京近辺の遊びは『大高中小』、『王様、一のけらい、二のけらい、こじき』と紹介されているが、昭和42年の時点ではそういった呼称は見当たらない。
 天沼の『天下おとし』、駒込の『元大中小』は、『あそび宝鑑』の記述を元にすれば、それぞれ大阪方面、岐阜方面から持ち込まれたと推測できる。天沼は郊外住宅地であるから、大阪から引っ越してきた子供から、駒込は調査対象になった小学校の隣に三菱重工の社宅団地があることから、名古屋や小牧の工場から異動してきた社員の子女から、それぞれの地区に伝えられたのではないだろうか。この遊びは「東京で誕生し、全国へ広まったもの」ではなく、「他の地域から都内に持ち込まれ、各地区で定着したもの」といえそうだ。

4.『大学おとし』の時代背景

 この遊びを「ボールを使った立身出世遊び」と位置付けるなら、それぞれの呼称から地域性や時代が透けてくる。大阪の『天下、大名、武士、町人』は、文字通り「天下」様になるための出世ゲーム。太閤秀吉を敬愛する土地柄らしく、大名の上は「将軍」ではない。岐阜の『元大中小』は、「元帥」、「大将」、「中将」、「少将」を指しているのであろう。これは、軍隊内での出世ゲーム。そして、『大学おとし』は学歴社会を背景とした出世ゲーム。成城は山手の高級住宅地で、そこに住む子供の多くは将来大学に入ることを親から期待されている。そういった空気が『大学おとし』を生み出したのではないだろうか。
 ちなみに小生が通っていた小学校は千葉県のニュータウンにあり、昭和42年の創立である。住民は東京近郊の各地から引っ越してきた人達だから、ここで行われていた『大学おとし』や『げんばくおとし』は、ひょっとすると成城や下石神井がそのルーツだったのかもしれない。

5.依然として残る「謎」

 この遊びの原型はいつどこで生まれたのだろうか。今回の調査ではわからなかったが、藤本浩之輔『子どもの遊び空間』の中で、『天下町人』が昭和30年頃の大阪府下の遊びとして、「べったん」(メンコ)、「ばい」(ベーゴマ)、「こままわし」と共に挙げられている。従って、それ以前に生まれたのは確かだ。『元大中小』のことを考えれば、戦前まで遡れるかもしれない。ドッヂボールは戦前から行われていたので、それを使ったボール遊びの1つとして考え出されたのだろうか。
 もし、『まぼろしチャンネル』をご覧の方で、昭和30年以前にこの遊びを経験された方がいらっしゃったら、「遊んだ年」、「場所(都道府県、市町村名)」、「呼称」、「ルール」などを、当チャンネルまでお知らせ下さい。「『大学おとし』考 第二弾」でご紹介させていただきます。

[参考文献

菅原道彦編『あそび宝鑑』るいべ社 昭和54年

東京都総務局青少年対策部『こどもの遊びと遊び場に関する調査報告書』昭和42年

横山験也編『ポプラ社・ゲーム大百科6 にこにこ伝承あそび101』ポプラ社 平成2年

藤本浩之輔『NHKブックス204 子どもの遊び空間』日本放送出版協会 昭和49年]


2004年4月12日更新


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