第10回「アメリカのことは
『人生ゲーム』で教わった」の巻 |
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昭和四十四年。夕方五時の「ハリスの旋風」で流れるCMがコワかった。「人生山あり谷あり……億万長者になるか貧乏農場へいくか」と太い男の声でナレーションが流れる。
ドドーン! 稲妻がピカピカと走り、農夫が嵐のなかでクワをもって畑を耕している。小学生の頃に流れていた、タカラの「人生ゲーム」のCMだ。貧乏農場という農場ってなんだかよくわからなかったけど「奴隷労働」のようなイメージは子どもながらにあった。そんな人生は送りたくない。というか、ボクは将来バスの車掌か、汲み取り屋さんになるんだと信じていた。あと今川焼き屋さんと消毒屋さん。
人生ゲームはサイコロではなく、2000ドルを持ってルーレットを回して進むというデラックスな双六だった。しかもルーレットがゲーム盤に貼りついていて取れないのが画期的だ。動かすコマは、プラスチックでできた車で、さすがはアメリカ生まれと感心した。
特に驚いたのが子どもが生まれると、コケシのような子どもピンを車に刺すことだ。
ゴール近くになると決算日があり、火災保険などを換金する。ボクらは「子ども」のピンを一人につき二万ドルで売っていた。一ドル三六〇円時代だから、一人七百二十万円だ。や、安い。
このことを「アメリカは子どもを売ってしまうのかすごいなー」と思っていた。だが、タカラに聞いた話では「それまでかかった養育費として二万ドルを貰うということです。子どもはそのまま車に乗せていきますよ」という。ああそうだったのか。子どもを売っぱらうというのはきっとローカルルールだったのだろう。子どもが生まれ過ぎて車に刺す場所が無くなると、横に倒して運んだこともあるし。
あと「羊がとなりの家のランを食った」というマス目でお金を払うハメになると、食うな!とボヤいたな。
小学生には意味はわからなかったが印象に残るのが「2万ドルの約束手形」。ちなみに「5万ドル札」には人生ゲームの生みの親、ミルトン・ブラッドレイ氏の肖像が描かれている。
「人生ゲーム」はほとんどの友だちの家にあったが、ボクの家にはない。だから人生ゲームを持っている友人のところを渡り歩く。いつも勝つのは人生ゲームの所有者だ。ゲーム盤を持っていない者が勝つということは、ま、あんまり許されないことでしたね。ボクは山ほど約束手形を抱えて、貧乏農場へ行かされていた。
人生ゲームはもはや発売三十五周年を迎える。これまで、ポケット版やカード版、豪華版などバリエーションが豊富に発売された。平成8年には畳一畳サイズの「大人生ゲーム」もあったし、TVゲームにもなっている。
それにしても昭和四十年代でアメリカ人の生活もよくわからないままに小学生があんなゲームをしていたなんてスゴイ時代でしたな。タカラでは人生ゲームの他にも、「アメリカンゲーム」と銘打って、「フライパンゲーム」「手さぐりゲーム」など、アメリカから輸入して翻訳したものを発売していた。ということは、同世代のアメリカ人となら人生ゲームや手さぐりゲームの話で盛り上がれるってこと?
そしてなんと今年の夏、アメリカンゲームが復活!
タカラでは七月に「手さぐりゲーム」と「レーダー作戦ゲーム」、八月に「よこどりゲーム」をそれぞれ発売するという。
それは嬉しいのだが、「フライパンゲーム」はどうしたのだ。手さぐりゲームのコマーシャルソングを歌っちゃうぞぉ。
●報知新聞を改稿
2003年8月12日更新
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