グルメの最近のブログ記事

(前回の続き)

あんこうの店●泉町にあるう元祖あんこう鍋というこのお店は全国区になったあんこう料理の先がけの店らしいです。茨城があんこうの名産地とは知らなかったが、あんまりあんこう料理やなまず料理はたべなれてないので、元祖といわれてもどこがどう違うんでしょうか。およそ元祖・老舗・本家・本舗などと言い張るのは店にとってのプライドの問題であって、元祖の心意気を持って調理にあたる気構えとして使っている分にはいいですが、こちらにまでアナウンスされるのは......。
思わず「元祖ならうまいだろう」と思ってお店に入っちゃうじゃないかよ!

東京三菱銀行

東京三菱銀行

とにかくこの建物のカーブがいいですね。向かいに建っている東京三菱銀行のシンメトリーがかもし出す荘厳さもいいのですが、会館は角地に建てている関係上、カーブを出すことで微妙な高級洋風感覚が出ています。三菱銀行は確かにいまはレトロですが、味わい、風合いという意味では建築費が安くても、泉町会館に軍配を挙げたくなるのです。このような建物に事務所を開設したいものです。

だんご伊勢屋●この商店街をめぐって気がつくのは、千葉でいうところの「三好野(みよしの)」が多いということ。みよしのとは、甘味喫茶のことで、赤飯、団子や稲荷ずし、氷いちごを出す店のことです。昔は食券制で手ごろな価格、フランクな雰囲気であることから中高年女性が愛用していたサテンですな。京都以西だと「力餅食堂」をイメージしてくれれば近いと思います(力餅食堂を研究したhpあり。検索エンジンででます)。
店頭にある氷いちごのサンプルは「脱脂綿」。そうそう、脱脂綿で昔は氷の雰囲気を現していたんだよな。テーブルの上には星座占いつきの銀の灰皿があったりして。
もうひとつ、関東では「福福まんぢう」という店も昭和50年代まではあちこちにあって、店頭のせいろが湯気をあげていましたが、平成の世の中になってからこっち、福福まんじうの店をみたことがありません(巣鴨にあるけどあれはテイクアウト専門)。
おそらくこの手の甘味どころというのは、和菓子の製造販売から、もちごめ→赤飯→いなり寿司→その他軽食 という感じで取り扱い品目を増やしていったのではないでしょうか。
三好野っては風流な名前です。銀座の立田野という甘味喫茶をもじったのでしょうか。和菓子屋業界では有名な商標なのでしょうか。そういえばこの写真の伊勢屋というのも、結構あちらこちらで見る餅菓子屋です。
 よーし、これからは「日本餅菓子屋の研究」をするぞ~。(ネットで検索したら苫小牧のツルマル百貨店前にふくふくまんじゅう屋さんがあることが判明。包装紙がアヤシイそうだ。誰か情報求む~)

松尾小児科●先日、東京原宿の竹下通りに2002年のファッションを観察に行ったんです。まあワタクシの知らない風俗や一生関りがないと思われる世界が展開されていたわけですが、竹下通りのまん中あたりに古くていい感じの歯医者があるんです。ここまで4色フルカラーてんこもりに発展している商店街で唯一モノクロの建物というたたずまい。その日は「本日休診」だったのですが、貼り紙にここにたむろするなとか、ものを置くなとか、常識的な注意書があることから、一本芯の通ったまっすぐな歯科医さんであることがわかります。
地方にいくと、この写真のような、木造やモルタルや石造りの医院・診療所を見かけます。千葉の県庁の近くにも木製の格子に白ペンキを塗った、「風立ちぬ」の世界のような医院がありました。
儲かると思われがちな開業医なのに、昭和戦前からの建物を改築しないというのは何か美学があるようで、腕前のほうも信用できそうな感じがします。
誰も信じてくれないのですが、ワタクシが住むさいたま市には、民家のような医院があります。構えはどこからみても医院なのですが、中身が家なのです。点滴するときは、台所や応接間を通って、6畳の部屋に入ります。押し入れの中で点滴を受けます。点滴ボトル(薬剤)をぶら下げるのは、クリーニング屋さんの針金ハンガーの廃物利用です。6畳間に5人くらいが並んで寝て点滴を受けています。ナースコールなんてものはありません。点滴が終わったらどうやって看護婦に教えるのでしょう。「これを鳴らしてください」看護婦さんがお盆をささげて持ってきたのは、小さな鈴。ジングルベルでした。不思議な空間でした。
そのうち、「木造医院写真集」なんてのを作りたいなと思っています。

偕楽園東門売店●公園の売店というのは、どういった権利関係なんでしょうか。なかなか簡単に店を出すことはできないんでしょうね。大きな寺社などでも江戸時代から境内に権利を持ったようなお土産屋さんが軒を並べていたりしますが、井之頭公園などでも住宅兼売店が建っております。それがまた、いい味なんですな~。ここ水戸偕楽園にも数軒の売店やお土産屋さんがレトロな感じで点在しています。公園売店建築なんてテーマが思わず浮かび上がってくるようなたたずまいでした。

ランチセット●さあ、これがこの水戸漫歩のメインエベントだ。ランチタイムの11時から14時まではランチタイムサービスという名前のメニューが頼めるのだ。その内容が、いままでに見たことがない組み合わせ。卵サンド、生パイン1/4、のり巻き餅(磯辺焼きのこと)、季節の果物(今回は梨1/4)。これに飲み物がついて600円。
店内に入ると、ハワイアンがBGMで流れ、観葉植物がそこここに。フルーツをつかったシルバー皿のメニューやパフェ類、ホットケーキもあるが、ここはどうしてもランチタイムメニューを頼みたい。でてきたものがこの写真。パインは切れ目がきちんと入っていて、デートの時でもさくっと食べられそう。サンドイッチは卵と野菜とポテトサラダ。卵サンドがこれまた手作り、家庭の味という感じで、業務用のフィリングなんかでは出せない味わいです。食パン2枚分を三角に4等分しているので、1つ1つが小さい。そのため、具を目一杯詰め込まないと、貧弱になってしまうので、たっぷりこんと、ハジのハジまで具が入っているというお得さ。チンという音がしたから磯辺巻きの餅はオーブンで焼いているようですが、もち米100パーセントのもちもち感。とうもろこし粉なんか入っていない。梨もシャリシャリしていてヘナチョコな食感ではありません。一つ一つの食材、調理法に目配りが整った、見て楽しい、食べておいしい逸品でした。偕楽園にお越しの際は適当なサテンに入るよりも、このランチタイムサービスという名前のメニューをオーダーしたい。わざわざ途中下車してもいいくらい。一押しです。

【了】:書きおろし

   

奥久慈の男体山にハイキングに行った。帰りに水戸で途中下車して、ふと偕楽園に行くことを思い立った。これまで日本三景は制覇しているので、今度は日本三大名園でも見てみようと思ったのだ。
偕楽園には梅の季節には臨時停車駅ができるようだが、ワタクシが訪ねたお盆には観光客も期待できないのか、歩くかバスしかない。駅前の案内板をみると、ちょうど、駅前のメインストリート銀杏坂を登って、大工町で左に折れれば偕楽園に行けることがわかったので、「レトロ散歩」と決め込むことにした。
水戸駅前は大宮駅前と似ていて非常に広い。しかしお盆休みの続きだったのか、人通りは少なく、善光寺を置く長野駅前よりさびれている感じだ。シャッターがしまったままの店もあり、商店街自体も力が感じられない。しかし、国道50号線に沿ったメインストリートの距離が長いので、それなりに繁華ではあるようだ。
津田沼や船橋など、駅が先にあって、あとからベッドタウン化して人口が増えたところは駅ビルを中心に駅前すぐに大規模店舗があることが多いのだが、水戸は千葉のように、駅から離れたところに大規模店舗のダイエーや田原屋、京成百貨店、伊勢甚がある。銀杏坂が左にカーブしているせいもあるが、とにかく駅からの視界にはデパートは入らない。千葉の場合はもともとの千葉駅や京成千葉駅が現在あるところと違うところにあったので、そこを中心に繁華街が形成された。水戸はどうだろう。泉町から大工町にかけてが商業の中心のように見える。すでにそこに呉服屋などによって形成されていた繁華街があり、そこと駅建設地が微妙にずれたのではなかろうか。

マルショウパーラー●実は、白状すると水戸駅前商店街をレトロ散歩できると決め打ちしてやってきたのではないのであった。このマルショウパーラーを見つけてから、動機がでてきたのである。フルーツパーラーはいまは少なくなってきているレトロ物件だが、純喫茶とともに、スタバやドドールの攻勢に負けずに頑張って欲しいのである。
新宿のタカノや渋谷の西村、銀座千疋屋は有名だがチト高くていかん。メニューは洒落ているけど値段は庶民的。客層もマダムというより主婦が気軽に行けるような雰囲気がいい。マルショウパーラーは値段も安く、喫茶店ではたべられないようなフルーツのバラエティーメニューがあるので気に入った。なによりも「ランチ・サービス・メニュー」という品がとても面白いのだ。ココを通りかかったときはまだ時間も早く、お腹がすいていなかったので、偕楽園の帰りにまた立ち寄ることにした。

異常に安い花屋●パーラーの隣にあるこの花屋さんは、異常に価格が安いのである。鉢植えの胡蝶蘭500円、ハイビスカス300円。他に、長靴のような小ポットに入った苗は38円とか48円である。名前を出すと差し支えがあるかも知れないので伏せておくが、とにかく生まれて初めてこんなに安い花屋さんを見ました。

納豆厚生年金●企業年金制度が崩壊しつつある昨今ですな。企業年金がどういうものかよくわからんのですが、政府管掌健保に対する出版健保のような関係ですかね。
全国の納豆業者は納豆厚生年金というものに入れるんですね。納豆で有名な水戸で見つけたのでカンゲキもひとしお。それが琴線に触れたので写真をパチリ。
ンー昔は納豆売りの少年が、朝早くから藁苞入りのを売りに来たものでした。カラシもつけていましたが、「タレ」なんつーものは付いていなかったころでした。嘘だよ、いくらワタクシでも納豆売りの少年は知りません。入院しているとき、おかゆなのに納豆が出てきたときは困りました。

マルセキ●レトロな商店街を散歩していると、だいたい、洋品屋や毛糸屋の時間が止まっている。同じ時期に商売を始めて、これまでの間に改装したり、ビルを建てたりする業種があるのだけれど、洋品屋はあまり儲からないのか、そのようなパターンがあんまり見受けられない。
おかげで昭和30年代の、おモダンなデザインの看板や、デラックスであか抜けないコピーをみることができる。
スーパーや大型衣料品屋の台頭で、町の洋品屋で買うこともなくなった。洗剤や薬の類いであれば例え定価であろうとも必要であれば購入してしまうだろうが、ことファッションとなると、流行遅れのセンスにはお金がだせない。店主のセンスが時代についていけなくなったとき、在庫が増え、売り上げが下がり、悪循環に陥ってしまう。12年くらい一回転してから誰かがデッドストックを「新鮮だ。カワイイ」と救ってくれない限り店の淀みは払拭されない。そしてなにより、セルフサービスになれた消費者は、一歩店内に入るや、ストーカーのようにつきまとう店員がいる店は敬遠してしまうのだ。
知ったかぶりのストーカー店員と、指にツバ付けてお札を数えるレジ係の存在が、個人商店が停滞している原因なのである。たぶん。

(続く)

   

(前回の続き)

●ジモティーに聞いて大当たりのそば屋

玄証院お参りしたあと、さてめしでも食べようかと思いたちました。ところが門前にはそば屋がたくさんあって、どこがどうだかよくわかりません。わからないときは地元のヒトにきくが一番だと思って、駐車場で整理にあたっているオジサンに尋ねてみました。
「どこがうまいですかね」
「後ろの交差点、むにゃむにゃ...」とオジサンが正面をむきながらも目はそっぽを向いて答えます。いってることもよくわからない。たまに右手をチョコチョコと動かします。何の合図なんでしょう?
「あの、おいしいそば屋さんを探しているんですけど、どこがいいでしょうか」はっきりと聞こえるように明瞭に発音しました。
「(前回と同じ)」
うーむ。この押し問答を3回くらい繰り返してわかったのは、このオジサンはこちらになんとかして教えようとしているんだけど、同僚や上司の耳があるのでごまかしているんだといういうことでした。おそらく特定の店を公的立場の人間(観光協会なり)が教えてはいけないという決まりがあるのでしょう。そのため、捕われたスパイが、敵の見張りをかいくぐって、助けにきた味方に情報を教えるような会話になってしまいました。そこでこちらが、助け船をだして「後ろの信号を右折してずっと坂を降りていくと、左側にそば屋があって、その先を行くと駅なんですね」と確認しますと、オジサン、得たりとうなづきます。
その店は参道や仲見世からちょっと離れたところにありました。ホントにうまい店は裏道にあるのですね。名前はK亭としておきます。天皇も食べにきたと壁にかいてありますから有名は有名なのでしょう。創業100年で、サッポロビールの美人画ポスターが店内に張ってあるレトロなお店です。「天もり」と「天ざる」が名物らしいのですが、前者が900円と手頃なのに対して、後者は2200円もします。もりとざるの違いは海苔のありなしだけですから、天ぷらの盛り合わせが違うのでしょうか? 安いほうの天もりを頼みましたが、かぼちゃ、山菜、えびと、満足いくものでした。そばも手打ちぽくなくておいしいです。実は私は手打ちのそばやうどんが大きらいです。コシがあるそばやうどんは「固い」としか思えないのです。それに手打ちの店ではそばは黒っぽくて、太さがまちまち。工業製品のように同じ大きさに切れとはいいませんが、きしめんの2倍くらいある太さってのはどうよ? 何本もくっついてしまって粉がだま状になってそばがきを食っているみたいのもあるし。白い更級系が私には全粒使用の田舎そばは口に合わないのです。みなさん、本当に手打ちそばの硬さ、黒さをおいしいと思って食べているんですか? あー腰がなくて、伸びてしまったそばが食いたいなあ。

●どりこの焼

>どりこの焼の店そば屋K亭はそんなに腰がなくて、よかったよかった満足じゃ。
店を出てから善光寺の宿坊を何軒か見学しすると、レトロ気分が江戸時代くらいまで戻りすぎてしまったので、どりこの饅頭を見て、昭和に進むことにしました。どりこの焼の店
どりこの焼ののれんがひるがえる店は中央通りを歩いて駅に戻るとすぐにわかりました。昭和通りの手前です。ちなみに昭和通りと中央通りの交差するところは、日本ではじめてのスクランブル交差点です(昭和46年設置)。
さあ、どりこの焼について知ろう。ところが、いきなりトラブルが勃発!
私が入る直前に、のれんをくぐって出てきた男性観光客が一度戻ってくると、店主と口論したあげくにどなって出ていってしまったのです。いったい何があったのかわかりませんが、店主はトラブルに遭遇して平常心ではありません。ちょっと取材したかったのですが、そんな雰囲気ではありません。
店主は店頭でどりこの焼を焼きながら、店内で氷いちごをほおばっている奥さんらしきひとを振りかえって「なんなんだよなー」と立腹しています。
ヒトが怒っているときに話しかけるのは難しい。しかし電車の時間もない。
「すいませんどりこの焼2コください」
「あんにする? 野菜にする?」
あんを二つ買って150円でした。それでもなんとか聞いてみようと、
「これ『どりこの』が入っているんじゃないんですよね?」と問うと、
「どりこの焼の由来? さあ。オヤジが始めたんでわからないんだよ。昭和5、6年からやっているようですよ」
心にさざなみが立っている。それでも誠実に店主は答えてくれた。
取材ができなかったので「どりこの」について説明しよう(インターネットでは初公開の情報だ。たぶん。現在、グーグルでどりこの検索をかけると1130件でてくるが、ほとんどが「おどりこの服」である)。
講談社の創業者である野間清治氏は昭和5年に報知新聞の社長に就任しました。戦前の講談社は薬などの業務多角経営化を進め、昭和4年の「アイリス石鹸」に続き、とうとう飲料まで発売することになったのです。それが軍医だった医学博士高橋孝太郎氏の発明になる高速度滋養飲料どりこのです(特許名を調べると「含糖栄養剤」になっています)。このどりこのを社長の息子の恒君が飲んでいたことが縁になったのです。どりこのはブドウ糖・アミノ酸を主成分としたもので、虚弱体質や腺病質のひとに効果があります。5倍に希釈する濃縮飲料で1びん1円20銭で全国の薬局で発売していました。当時、年に100万本は売れていたそうですが、戦争が厳しくなったため、台湾からの砂糖輸入ルートが途絶されたので、砂糖が経済統制され、原料の供給難のために昭和19年で製造中止になりました。
「どりこの」というユニークなネーミングは開発に関わった人々の名前に由来します。「どり」は共同研究者だったドイツ人のイニシャルから、「こ」は孝太郎、「の」は助手の野口からとられているのです。どりこの焼高橋博士はどりこので大もうけし、「どりこの御殿」があった田園調布(多摩川駅東側)にはいまでも「どりこの坂」が残されています。
どりこの焼は今川焼きの小型版という感じで、なかなかおいしいものでした。

【了】:書きおろし

   
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Author


    串間 努 -Tsutomu Kushima-
    昭和B級文化を記録したミニコミ雑誌『日曜研究家』が話題となり、執筆活動等マルチに活躍する昭和レトロ文化研究の第一人者。 現在もミニコミ誌『旅と趣味』『昭和レトロ学研究』を発行、精力的な大衆文化の記録・収集を続けている。

    旧サイト連載:
    日曜研究家チャンネル
    レトロおじ散歩
    涙と怒りの「まぼろし通販百科」
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