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アカデミア青木

怪獣

第28回 団地の公園が子供でいっぱいだった頃


 小生が子供だった頃、近所の団地の公園は、里山の田圃や住宅地の空き地と並んで子供達の格好の遊び場だった。住宅地の公園と比べてユニークなデザインの遊具が多く、友人達とコンクリート製の怪獣像の周りでウルトラマンごっこに興じたものだ。団地の公園には、なぜユニークな遊具が多かったのか?その秘密を探ってみたい。

1.団地の公園の誕生

 第二次大戦後、人口や産業が大都市、とりわけ東京に集中し、恒常的な住宅不足が社会問題となった。そこで、政府は昭和30年7月に日本住宅公団を設立し、団地を大量建設したり、宅地開発を大々的に行うことによって、これを解決しようとした。
 初期の団地は比較的小規模で、大半は既存の市街地の中やその周辺部に建てられた。そのため、団地の敷地内には公園は設けられず、団地の子供達は団地の周りにある町の公園や空き地などで遊んでいた。
 やがて、旺盛な住宅需要を満たすために団地を大規模化しようとする動きが出てきたが、都心では広大な敷地を確保することは難しかったため、公団は郊外に新たな団地を建設することにした。その第1号が千葉県柏市の光ヶ丘団地(昭和32年7月完成。戸数約1000戸)だった。ここは最寄り駅から2.5kmも離れた農地の中にあり、既存の町の公共公益施設は遠すぎて利用できなかった。そこで、敷地内に種々の施設(小学校、保育所、市役所出張所、郵便局、診療所、交番、店舗、銀行、公園等)を整備し、団地に「町」の機能を持たせることにした。この新しいタイプの団地が世間から好評をもって迎えられたため、公団はこれをお手本にして、大規模団地を各地に建設していった。

2.団地の公園の役割と遊具の変遷

 公団にとって公園は、新しいコミュニティを育てるための重要な道具だった。団地内で発生する諸問題を自主的に解決するために、入居者により「団地自治会」が結成されたが、組織を円滑に運営していくためには、住民相互の信頼の醸成や日々の交流は欠かせなかった。その交流の場として公団が目を付けたのが、団地の公園だった。新たな入居者は職業や元居た場所はバラバラだが、家族構成は似たり寄ったりで、大半は乳幼児や児童を抱えていた。子供が公園で遊ぶことにより、まず見知らぬ子供同士の間に友情が芽生え、それが子供を介した親同士の交流、盆踊りやスポーツ大会といった団地ぐるみの行事へと繋がっていく。子供を公園に引き寄せるためには彼らが興味を持ちそうな遊具を設置しなければならず、公団は長きに渡ってユニークな遊具の開発に腐心することになる。

 また、大規模団地が生まれると、その周辺の宅地開発も盛んになり、やがて団地を取り巻くように一般の住宅地も形成された。団地の公園はそこに住む子供達にとっても格好の遊び場となった。昭和40年に行われた団地での子供のグループ遊びの調査(*1)によると、東京都北区の赤羽台団地では団地で遊んでいた子供の19.5%が、千葉県松戸市の常盤平団地では同じく7.7%が、団地周辺に住む家庭の子供だった。団地の公園は公団の意図を超えて、団地住民と周辺住民を繋ぐ場にもなっていたのだ。

お化け公園(赤羽台団地)
お化け公園(赤羽台団地)

3.昭和40年の団地の遊び

 団地が次々に建てられていった昭和40年代、子供達は団地でどんな遊びをしていたのだろうか。上掲の調査によれば、赤羽台団地(22.4ha、53棟、3333戸)、豊四季団地(千葉県柏市、36.9ha、103棟、4666戸)、常盤平団地(169.5ha、168棟、4924戸)の中では、表2のような遊びが行われていた。ちなみに、調査時期は、昭和40年10月23日から11月6日までの晴天の日。時間は、平日は午後、休日は午前中から夕方にかけて。調査対象は、3歳から12歳の子供のグループ遊びである。表中の「イレギュラー遊び」とは、「走ったり、スキップをしたり、芝生へ入って転がったりする年齢の小さい子に見られる流動的な遊び」を指す。

 この表では団地の所在地が郊外になる程、遊びの種類が増える傾向が見られる。団地が郊外に向かうにつれて規模が大きくなり、団地内の公園の面積や数も増える。その結果、子供のグループに様々な遊びをする機会が与えられたのだ。「静的な遊び」の割合に着目すると、23区内の赤羽台団地が38.2%であるのに対し、郊外の豊四季団地で29.2%、常盤平団地では32.7%と低い。赤羽台団地の子供は遊び場不足から、走り回るような「動的な遊び」ができず、「静的な遊び」にシフトせざるを得なかったのかもしれない。表3は、各遊びで利用されるスペースの大きさを団地毎に調べたものだが、動的な遊びのうち、「キャッチボール、他」、「ヒコーキ遊び」、「ふざけっこ、けんかごっこ」、「かくれんぼ、鬼ごっこ」、「かけっこ、とびっこ」の各遊びで、赤羽台団地のスペース不足が目に付く。

常盤平団地
常盤平団地

4.団地の老朽化の中で

 公園で遊んでいた子供達はやがて成人となって巣立って行ってしまったため、昨今の団地では老夫婦の世帯が目立つ。一方、建物が老朽化した団地では、阪神大震災以後の耐震基準を満たせなくなったため、1〜3階建ての低層団地や4、5階建ての中層団地が10数階建てのマンションへと建て替えられ、幼い子供を抱えた若い夫婦が続々入居しているが、こちらも高度成長期のように公園に子供があふれる日々は帰ってきそうにない。「少子化」、「お受験・塾通い」、「ゲーム機の普及」、「不審者問題」など、子供を取り巻く環境は大きく変わったし、団地周辺の一般住宅街では更に高齢化が進んでいて、ここから子供が遊びに来ることは期待できない。小生が高度成長期に見た光景は、様々な条件が重なりあって生まれた一種のパラダイスだったのだろう。

建て替え後の光ヶ丘団地
建て替え後の光ヶ丘団地

*1 千葉大学園芸学部造園研究室 福富久夫『児童施設設計基礎調査資料作成に関する研究(3)−遊びのひろがりと利用単位−』(日本住宅公団建築部調査研究課『調査研究報告集12』昭和42年 に収録)

[参考文献

日本住宅公団『日本住宅公団史』昭和56年

日本住宅公団建築部調査研究課『調査研究報告集12』昭和42年]



2006年7月19日更新


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