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日曜研究家串間努

「スワン型オマル」
第14回
「スワン型オマル」の巻



 子どもの頃、便所に入る前は大変だった。私はなぜかズボンからパンツまで全部脱がないと用が足せない。和式だったから便槽に落ちないよう、金隠しを両手でつかむのに、二つ折りした新聞紙も必要だった。長屋の共同便所だから、汚い。親が直につかませないのである。
「スワン型オマル」 昭和四〇年代初頭、千葉市に記録的な大雪が降った日があり、深々と雪が積もる中を、五歳の私は歩いて三分、ダリア園を経営しているおじさんのウチに遊びにいった。その家には三つ下の女の子がいて、縁側に、白鳥の形をしたオマルが置いてあった。オマルは自分より小さな子が使うものだとは知っていた。でも、一度は白鳥にまたがって、取っ手をつかんでみたかった。そんな淡い憧れを抱いたことを、「大雪の中の白鳥」という清楚なイメージとともに覚えている。

 オマルの歴史は日本でも世界でも古い。古いがそれは広義の意味でのオマルである。昔は大人も子どももオマルで用を足していたという。常設便所の出現前は手近に置いてある専用便器に用足しをしていたのである。
 縄文時代は戸外や川で用を足していたが、奈良時代の貴族は家の中で排泄をするようになった。しかし便所というものが設けられたわけではなく、筒や壺や箱に排泄し、その中身を捨てて洗った。これらの壺や箱は「マル」(まり筥(はこ)とも。用便をすることを「放る(まる)と呼んだことから」とか、「虎子(おおつぼ)」という。確かに「便器」という表現だから「器」であったのだろう。マルが置かれる場所は一定ではない。手持ちで移動が簡単な便器であった。
 では、オムツからトイレへの橋渡しをする『トイレトレーニング』の意味を持つ幼児用便器、狭義のオマルはなぜ生まれたか。日本では和式便所は穴に落ちる危険性があった。また、深く臭い穴は子どもにとって恐ろしい空間だ。恐怖感から便所にいかなくなるという心理的弊害がある。そこで、トイレトレーニングをしながら、バランスをとる訓練ができ、便所が決して「憚る」ものではないという習慣をつけるためにオマルが幼児用に転用されたのではないか。

「スワン型オマル」

 純白のスワン型オマルを発売したコンビ株式会社は、もとは三信株式会社(昭和三十二年創業)という医療用具メーカーであった。同社の中尾新六氏は工業学校出身でプラスチック方面に明るく、昭和三十四年頃、暗い色しかできなかったプラスチックに白色ができる技術が開発されたことを知り、これをオマルに応用しようと考えた。当時、三信では子どもが締める「脱腸帯」などを製造していた。この下地があったことで、新しい「子どもに優しい商品」を開発しようというニーズをベビー用品の方向に向かわせたのだ。
 昭和二十年代後半はベビー服も高く、ベビーカーに至ってはサラリーマンの給料が一万円の時代に数万円もした。しかし三十年代に入ると生活も豊かになり、ベビー用品市場も成長のきざしがあった。
 「昭和三十年代の始めは子どものオマルは病人用のを流用していたんです。ブリキの枠の上にクマやウサギの形を装飾するのがせいぜいで、そのあとホーロー引きのオマルがでました」(コンビ株式会社松浦康雄社長・談)。
 そんな中、昭和三十五年に同社はオマル製造に参入、日本初のプラスチック製オマルを発売した。型を作って樹脂を成形するため大量生産できる。スワンの目は女子従業員が手で描いていたという。
 だが、三千個作ったが半年は売れず在庫の山だった。
 「店頭で目立つことが第一だ」と考えた同社は営業マンがオマルを背負って、薬店・デパートを回り陳列に努めた。マーケティングでいう「店頭占拠率」を高める手法のはしりだった。

「スワン型オマル」

 素材が高価なせいもあって他社は追随してこない。奥さん同士のクチコミで売れだした昭和四十年代にはシェアが七割に達した。売れた原因はお母さんの省力化ができたこと。紙オムツが普及する前は浴衣などを裂いてオムツにしていたから、いちいち洗わなくてはならない。「おしっこ」と言われれば抱きかかえて外に出、開脚させて「しー」とさせていた。しかしオマルがあればその手間がいらない。
 また、当時の住環境も影響している。便所が遠くにあることも多かった時代、寒い冬に温かい室内でオマルで用足しできるのは快適だった。ホーロー引きオマルではお尻が冷たいのだ。

「スワン型オマル」 姿勢が保持できるよう、スワンの頭部には取っ手をつけた。このスワン形のイメージは非常に強く、完成度が高いため自社内で作った、子熊や象など他の動物デザインも太刀打ちできない。そこで他社は「打倒スワン!」ということで方向転換を図り、キャラクター物のオマルを開発した。
 「ウチは逆にスワンがあるためにキャラクターに入るのが遅れました」。
 では開発者はなぜ白鳥を選んだのだろう。
 「白鳥は優しいとか清潔という印象を与えますし、デザイン的にもオマルの形に成りやすかったのでしょう。『親子』というイメージも大きかったと思います」
  なるほど水面で親子の白鳥がスイスイ泳ぐ風景は美しいイメージとして多くのひとの頭の中にある。バレエの「白鳥の湖」(白鳥湖と呼ばれていたが戦後はじめて「の」が入った)が日本ではじめて公演されたのが昭和二十一年。NHKラジオの子ども向け番組『新諸国物語』第1部「白鳥の騎士」がスタートしたのが昭和二十七年。長距離特急「白鳥」が誕生したのが昭和三十六年。世の中に「白鳥」の優しくて美しいイメージは浸透していた時代でもあっただろう。
 実はスワン型は数年前に製造中止となったが、オマルは同社の今日を作った起爆剤である。売上に貢献したのはもとより、ベビー用品会社としてのイメージをつけ、プラスチック事業のノウハウを得て、ベビーラックやベビーバスへの展開はもとより食器分野にも進出、総合ベビー用品会社としての基礎を固めたのだ。

「毎日新聞」に加筆改稿


2004年4月30日更新
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