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第三十二回『レトロブームの中の輝き、
熟したはしだのりひことロッテ歌のアルバム。』似顔絵


 ここ最近、カバーとか言って他人の曲をアレンジしたヤツを歌う歌手が多過ぎる。それもレトロブームの影響か、僕が若い頃に大ヒットした曲を歌うのであるが、ハッキリ言って才能を認めて欲しいプロなら他人の褌歌での勝負はやめて頂きたいし、ビートルズのように世界市場で活躍しているわけでもなく狭い日本でポーポラ歌っているような者がよく口にする、アーティストといった肩書きも外してもらいたい。と、初っ端からいきなり文句タラリ〜とド素人の僕にも微妙に嫌悪感を覚える最近の音楽界のレトロブームであるが、何やらフォークがブームらしいが、その場所だけ輝射手・・・見えるような嬉しいニュースもあって、そんなカバーブームのお陰かどうか、懐かしいロッテ歌のアルバムや老いて熟したはしだのりひこと「風」が突然帰って来た。偶々知った二千二年に吹き込んだ「風」という六曲入りCDを僕は買ったのであるが、コレが、同じ頃を知る中高年の僕など泣いてしまいそうになる程イイCDなのである。

風

 「風」は、昭和四十四年一月発売。グループ結成・解散が.趣味のような彼が、「はしだのりひことシューベルツ」として人間の旅立ちや迷いを歌って大ヒットした曲であるが、あれから三十年以上過ぎて声の張りが程良い加減に減って丸くなり気負いのない自然体で吹き込んでいる歌声は、丁度食べ頃のメロンのようにほんのり甘く滑らかで、僕の知る昭和五十年代のあの葉山の緩やかな下りカーブをキラキラ輝く海に向かってオープンカーでゆっくり流れ下るような心地よさがあって、じんわりと心に染み込んでくる。
 とは言っても、実はこの何十年、僕は彼のファンでも何でもなかった。偶々入ったスーパーで、J'sポップスの巨人たちフォーク/ニュー・ミュージック<黄金時代編>と言う六種頼くらいある懐かしいヒット曲入りCD入り菓子を見つけた僕は、その中からはしだのりひこを選び、クッキー五個に八センチ二曲入りシングルCD一枚付きのお菓子を買ったのが、彼の曲としては初めてのモノなのである。
 あの連続して大ヒットを飛ばしていた昭和四十年代頃は彼のファンでもなくフォークブームの中でのヒット曲としてラジオ等から流れる歌を聴いていた単なる同世代といった所で、当時よく聴いていた深夜放送へ葉書リクエス卜をしたこともなければはしだのりひこが端田憲彦であることも知らず、勿論、あの頃出ていた彼のレコードなど一枚も買ったことはなく持ってもいない僕だったのである。
 それが、いつだったか、少し前に「花嫁」の詩作のモデルであるらしい奥さんと一緒にテレビ出演して「風」を歌った彼を見た。
 黄色と赤の入った少しポップなコスチュームに昔通りの玉葱のような白髪頭でユックリ歩く特養の老人風だった彼が歌った「風」を聴いて、大ショック。ピリピリ神経質な感じで小刻みに震えていた若い頃の声ではなく、火山地帯の清流の川底からポクポクと湧く暖かい温泉のような不思議な心地よさを持っていて、その何十年振りかに耳にした歌声に涙が出そうなくらいジーンとなってしまった僕は、五十七歳の彼が改めて吹き込んだCDが猛烈に欲しくなって買ったのである。
 「風」は、若い頃にも理解できるが、挫折を繰り返しながら人生を歩む中で現実に押し潰されそうになって生きてきた浮き沈みを経験した中高年の思い、老いて穏やかな暮らしを求めて故郷に帰りたくても帰れない気持ちがそのまま詩になったような曲で、「学校の見える丘」「さすらい人の子守歌」も、老いた彼の歌が人生の重みみたいなものを感じさせてストレートに優しく重く心に響く。
 さて、もう一つのレトロブームの中の輝きと言えば、今はもうテレビなどでは名前もほとんど聞かない「銀座九丁目は水の上」の神戸一郎・「川は流れる」の仲宗根美樹・「女心の唄」のバーブ佐竹・「アカシヤの雨が止む時」西田佐知子等そんな一昔前のスター続々の懐かしい昭和歌謡なら、でしょでしょとなる昭和三十三年からテレビ放送されたらしいロッテ歌のアルバムである。
 この所の昭和レトロブームは、当然、昔の歌謡界にも飛び火していて、僕など頭髪の薄い中高年が十代から二十代の頃に大ヒットした曲や根強い人気曲を現在の人気歌手が再びカバーとか言って歌っているのを聴くが、最近、当時人気の高かったそのロッテ歌のアルバムの司会者とあの頃超人絶頂だった歌手が全国公演しているらしい話を聞き、ビックリ。僕はまだ見ても聴いてもいないが、想像するだけで滅茶苦茶懐かしい。
 そう、ロッテ歌のアルバムと言えば三十年以上の前の話。当然、あの頃若かった人気絶頂歌手の年齢も七十歳前後?の計算となり、それで青春歌謡となると凄いモノがあるのだがそれでもナンであって、見たい聴きたい気がする。
 そして、ロッテ歌のアルバムと言うくらいだからスポンサーはズバリあのロッテガムなのである。現在でも僕はその話になると羨ましかった話として思い出すのが、ガムのプレゼント。ロッテ歌のアルバム初出演として紹介された歌手が舞台マイクの前での激励インタビュー後、籠か何かにギフトセット風に詰められたロッテガムセットを、玉置宏からプレゼントされる話。あの頃は、キシリトール入りのようなガムはなく、僕はペンギン絵柄のクールミントガムやグリーンガムを買って
いたがガム人気は凄くあった時代。あのガムセットプレゼントは凄く羨ましかった。
 放送開始が昭和三十三年らしいと言うのは、僕は八歳。まだその頃には我が家にテレビはなかった。何だか眩しい高級電化製品といった感じで初めてテレビが居間に置かれたのは小学校三年の夕方であるから、僕がロッテ歌のアルバムをみ始めたのは、最近はテレビ等で見ることもない歌手が活躍していた頃だと思う。
 三橋美智也・三波春夫・春日八郎・北原謙二・神戸一郎・こまどり姉妹・畠山みどり・バーブ佐竹・仲宗根美樹・ペギ一葉山・水原弘・守屋浩・飯田久彦・松島アキラ・井上ひろし・三沢あけみ・山田太郎・梶光夫・坂本九・森山加代子・園まり・中尾ミエ・伊東ゆかり・久保弘・島倉千代子・橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦・三田明といった辺の名前を並べているとキリがない新・旧人気者がブラウン管を賑わす昭和四十年前後のことである。

ロッテ歌のアルバム

 テレビが白黒放送の僕の青春時代を代表する人気歌謡番組の一つであるロッテ歌のアルバムは、必ず「一週間のご無沙汰でした、司会の玉置宏です」と言う決まり文句で番組が始まるが、あの時代、ダントツの人気を誇っていたテレビ歌謡番組。とにかく司会者玉置宏の丁寧で歯切れの良さを見せる会話と歌手をキッチリ見事にもれなく誉めあげる独特の柔らかいシャベリの魅力は今でも語り継がれている程素晴らしい。
 出演歌手もこれまた紅白出場常連歌手のオンパレードといった具合に魅力的な顔ぶれが毎週勢ぞろい。最近の歌謡番組のようにテレビ局のスタジオではなく、何々市民会館からお送りしますといったような挨拶が入り、いつもギャーギャーといった大歓声が響く地方公演だったように僕は記憶。
 東映の時代劇が黄金期の頃は一本の映画にズラリ人気役者が勢揃いといった感じであったが、同じように新旧取り混ぜて超人気者が勢ぞろいといった番組で超人気。日曜日の昼の四十五分は我が家もテレビに家族釘付け状態だったのである。
 懐かしさで涙腺キュキュキューンのテレビのロッテ歌のアルバム歌手集合・全国公演も素敵であるが、老いて熟したはしだのりひこが実にイイ。
 一面清々しい緑色に広がる麦畑の中、通り過ぎる風に吹かれながら青空を見上げ立つ老人のいる風景を思い浮かべるような穏やかさを感じさせる、老いたはしだのりひこが歌う「風」「丘の上の学校」は、このレトロブームの中で一番の輝き。切なく優しく温かい響きの歌声は、同じように先が少し見えて来た人生の折り返し地点真近の五十五歳の僕の心にもじんわり染み込み、交差点で立ち止まった僕を、もう一度花を咲かそうヨといった強く穏やかなエネルギーで小さくスパークさせる。

※『風』は『まぼろし放送』で楽しめます。
 <あの頃、あなたは?〜1969〜後編>
http://www.maboroshi-ch.com/hoso/item-64.html


2006年5月26日更新


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