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「ぶらり歌碑巡り」タイトル

『金太郎』の碑

アカデミア青木

第4回 『金太郎』


 日溜まりの公園で、暮れなずむ街角で、夜のしじまの中で、ひとり「童謡」を口ずさむ時、幼き日々が鮮やかによみがえる…。この番組では、皆様にとって懐かしい童謡の歌碑を巡ってまいります。今回は、『金太郎』です。
 「まさかり担いで金太郎」で始まる童謡『金太郎』は、「桃太郎」や「一寸法師」と同じく昔話に登場するヒーローです。そのモデルは少年の頃の坂田金時(さかたのきんとき、平安時代の武士で「大江山の鬼退治」で活躍した源頼光の家来)といわれています。この歌は、明治33年6月の『幼年唱歌(初編上)』(編者:納所弁次郎、田村虎蔵)に発表されました。作詞者は、群馬県出身の石原和三郎*。作曲者は、鳥取県出身の田村虎蔵**です。
 この頃小学校で歌われていた唱歌の歌詞は、文語体で高尚な内容のものでした。子供達は歌詞の意味が理解できず、鸚鵡のようにただ先生に命じられたまま歌うしかありませんでした。「歌」の授業でありながら、歌詞が理解できない。この教育上の欠陥を解決しようと現場の教師が立ち上がり、児童向けの唱歌集『幼年唱歌』が編纂されました。この本には、「専ら児童の心情に訴え、程度に鑑み、歌詞は平易にして理解し易く、曲節は快活にして流暢、以て美徳感情の養成に資する」歌や、お遊戯向けの「主として活発又は愉悦なる」歌が選ばれました。『金太郎』は、そんな歌の一つなのです。

『金太郎』の碑

『キンタラウ』(『幼年唱歌(初編上)』十字屋 明治33年 に発表)
 作詞 石原和三郎(いしはらわさぶろう、1865−1922)
 作曲 田村虎蔵(たむらとらぞう、1873−1943)

1.マサカリカツイデ、キンタラウ、
  クマニマタガリ、オウマノケイコ、
  ハィシィドゥドゥ、ハィドゥドゥ、
  ハィシィドゥドゥ、ハィドゥドゥ、

2.アシガラヤマノ、ヤマオクデ、
  ケダモノアツメテ、スマウノケイコ、
  ハッケヨィヨィ、ノコッタ、
  ハッケヨィヨィ、ノコッタ。

金太郎



 『金太郎』の碑は、作曲者である田村虎蔵の顕彰碑として、東京の飯田橋にある筑土八幡境内に建てられています。『幼年唱歌』の作詞は、できるだけ難解な文語体を避け、子供が日常使う言葉で行われました。今でこそ当たり前ですが、当時の音楽界にとってそれは衝撃的な出来事だったのです。『幼年唱歌』は、「言文一致唱歌のパイオニア」ということができます。ところで、田村の業績を記念して弟子達が建てたこの碑には、不幸にして作詞者石原の名前がありません。言文を一致させた功績は作詞者によるところが大きいと考えますので、田村の碑の写真と共に、石原のレリーフの写真もここに掲げておきます。

石原和三郎のレリーフ

*石原和三郎 慶応元年、群馬県勢多郡東村生まれ。故郷の花輪小学校の校長、東京の高等師範附属小学校の訓導を経て、明治33年出版社の冨山房に入社。編集業に携わる傍ら、唱歌・童謡・校歌などの作詞を手掛ける。事故のため、大正11年に死去。
石原和三郎のレリーフ(群馬県東村旧花輪小学校内)

**田村虎蔵 明治6年、鳥取県岩美郡岩美町生まれ。28年に東京音楽学校卒業。兵庫県師範学校で音楽を教えた後、東京高等師範学校附属小学校・中学校で25年間にわたり音楽教授を勤める。退官後は東京市視学、帝国音楽学校校長、日本音楽協会常務理事などを歴任し、昭和18年に死去。石原とは東京高等師範学校附属小学校時代に知り合う。

[参考文献

大槻三好『明治唱歌の父 石原和三郎読本』群馬出版センター 平成5年

下中邦彦編『音楽大事典第3巻』平凡社 昭和57年]

場所:東京都新宿区筑土八幡神社内
交通:営団地下鉄飯田橋駅B1出口から徒歩7分


2003年5月30日更新
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