ここに一個の水筒がある。私が小学生時代に使っていたものだ。水筒なんてものは年に何回も使わない。お絵かき遠足か、バスに乗っての修学旅行、そして運動会の時くらいであった。
この水筒の中に「何を入れて行くか」でいつも家庭で一悶着があった。ウチの母親は、国民学校教育を受けたガチガチの「皇国臣民小學生」だったから、かなりスパルタ式な考えで私をしつけた。そして家風とでもいうのだろうか、質素な生活をしていたので、流行に迎合したり、他人と安易に同調したりしない。わが道を行く人であった。これに私は悩まされることとなる。
母は必ず水筒には「湯冷まし」か、「日本茶」を入れた。私が小学生だったのは、昭和四十年代中頃だが、「湯冷まし」を入れてくる子どもなんてただの一人もいなかった。第一、魔法瓶式の保温水筒では無く、単なるプラスチック樹脂の水筒だったから、朝出掛ける時には「湯冷まし」でも、目的地に到着したときには「水」になっていた。いくらなんでも現地には水くらいはある。わざわざ肩に水筒を提げていく必要などないではないか。しかもプラスチックのにおいがうつっている。
多くの同級生は、すでに発売されていた「コカ・コーラ」や炭酸入りジュースを詰めてもって来ていた。流行の先端を取り入れる家庭の子は、タッパーウエアの円筒形のものにコーヒー牛乳を凍らせて持って来ていた。暑い時には現地でちょうど良い具合に冷えたものが飲めるのである。
これが実に羨ましく、私も「ジュースを入れてくれ」と頼んだが無駄であった。
「お握りに甘いジュースが合うわけない」という理由であった。大人になったいまはその考えにうなづけるが、当時の小学校は「おでん・チョコペースト・コッペパン・牛乳」などという、舌の味覚ゼロ、「口中調味」という考え方ゼロの無茶苦茶なメニューで教育されていたから、そんな「おにぎりにあうあわない」はどうでもよかったのである。給食のせいで、マクドナルドでオレンジジュースでハンバーガーを食う時代になっちゃんだよな。
確かに大人の視点からは一理ある。だが、子どもにとっては「湯冷まし」が冷えた単なる「水」を水筒に詰めて持っていくのはとても恥ずかしい。いつもの授業とは違う「遠足」という舞台には普段とは異なった小道具が必要だ。
ある年、「どうしてもジュースを入れて欲しい」と懇願したところ「考えてみる」と言われた。当日、楽しみにフタを開け、口に含んだ。確かに甘かった。しかしそれは麦茶に砂糖を溶かしたものだった(私の家庭内文化では麦茶に砂糖を添加するのだ)。
ショックだった。遠足先ではお菓子やお弁当を友達同士で少しづつ交換する。「一口飲ませて」と寄ってくる同級生から私は逃げ回らなくてはならなかった。「麦茶に砂糖を入れるなんてかっちょ悪ぃー」と冷やかされるのは明らかだったからだ。
これに懲りた私は次の年は「水筒は要らないから缶ジュースを買ってくれ」と強硬に申し入れた。母は渋々という感じでスーパーで缶ジュースを買ってきてくれた。確かディズニーの絵がついた百九十ミリリットルサイズのものだった。ところがこれも同級生の失笑を買うシロモノだった。既に缶ジュース類はプルトップ式で開缶する時代であったが、母が購入してきたのは、小型の金属製オープナーが付いていて、缶上部に二つの孔を開けて飲む方式のものだった。遠足は楽しいもののはずなのに私が見栄を張り過ぎるのだろうか、友達の目を気にして過ごす一日は辛かった。
子どもの世界は大人が考える以上にシビアだ。たった六年間のことなのだから、「同級生と合わせたい」と言う理由の「わがまま」程度なら受け入れてやるべきだと思う。それを頑なに拒否することは、子供の個性を育てるとか伸ばすことには決してつながらず、親のライフスタイルの押し付けで自己満足にしか過ぎないことが多いと思う。
子どものことは子ども自身が良く知っていることを念頭におくべきじゃないかなあ。
●「こどもプラス」創刊号を改稿
2003年7月3日更新
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