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「昭和のライフ」タイトル

アカデミア青木

メガネ

第35回 「メガネっ子」と呼ばれて


 小生がメガネと出合ったのは、中学1年の頃。小学4年からの塾通いが災いしたのかどうかは知らないが、周りの子達と同様、銀縁のフレームのメガネを掛けるようになり、今日に至っている。小学校の頃、親からは「カラーテレビを見ると眼が悪くなる」とか、「寝そべって本を読むと近眼になる」とか言われたが、本当のところはどうなのか?今回の昭和のライフではこの疑問も含めて、戦後の子供の近視について考察したい。

1.勉強・読書と近視

 意外な感じもするが、日本人は戦前から近視と戦っていた。大正12年の小学生男子の近視率は14%弱、女子は16%強。それが昭和9年には、それぞれ、17%弱、20%強となっている。同年の中学生の近視率は36.35%で、大正2年の近視率15.97%から20.38ポイント増加している。昭和10年8月、文部省はその原因を(1)参考書、副読本、辞書に細字が多い、(2)宿題が多い、(3)硬筆の練習等で眼の疲労が激しくなること、(4)子供の体質の虚弱化、に求め、当面の対策としてクラスを2分して定期的に窓際の席を交代で入れ替える方針を示した。それが奏功したのかはわからないが、日中戦争が始まった昭和12年には、小学生の近視率は男子12%、女子20%、中学生の近視率は男子31%、女子30%となった。
 戦局が悪化するにつれて子供向けの雑誌・書籍は姿を消し、子供達は銃後の家庭で労働にいそしまなければならなくなって、勉強・読書どころではなくなった。また、戦争が終わっても大半の家庭では日々の生活がやっとで、子供は裕福な家の子から本を借りて仲間内でまわし読みするのが関の山だった。23年3月には、本読みたさから子供の万引きが急増したという。翌24年の小学生の近視率は男子5%、女子6%、中学生の近視率は男子10%、女子13%。いずれも昭和12年に比べて大幅に低下した。活字に親しめない環境が、皮肉にも近視の改善につながったようだ。
 そんな活字に飢えた状況も復興が本格化するにつれて解消し、近視率は再び上昇を始めた。表1、2は、昭和26年から53年にかけての男子、女子小学生の近視率を示しているが、昭和28年に小3の近視率が小ピークを迎えている。

28年といえば、白黒テレビの本放送が始まった年だが、この年8月時点でのテレビ普及率は0.02%。当時は街頭テレビが主体で、家庭には入っていなかったので、この年の数字にはテレビの影響はないだろう。

2.テレビと近視

では、白黒テレビが家庭に入るにつれて、子供の近視率はどう変化したのだろう?テレビの受信契約数は33年5月に100万台を突破し、翌年10月には300万台となるが、小学生の近視率は、表1、表2にあるように、33年から36年にかけて急上昇している。表3は近視率とテレビ視聴時間、勉強時間等の推移を示しているが、これによると昭和35年のローティーンの平日における男女合計テレビ視聴時間は55.4分。時間としてはそんなに多いとは思わないが、はっきりと影響が出ている。

 昭和37年以降、小学生の近視率に若干の改善が見られるようになり、表3にあるように、テレビの視聴時間に連動するような形で、近視率は増減する。45年にテレビの視聴時間が減ると近視率は下がり、50年に視聴時間が増加すると近視率は上がった。40年と50年の視聴時間を比べると50年の方が低いのに、50年の近視率(男女計)は13.60%と40年の12.56%を上回っている。これはカラーテレビの普及(普及率:41年0.3%→50年90.3%)によって眼への疲労が強まったこと、テレビを見終わった後に眼をしょぼつかせながら宿題に向かう子供が増えたこと(表4参照)によるのだと思う。        

3.受験と近視

 高度成長期、テレビと並んで近視の原因として名指しされたのが、受験勉強だった。高校進学率は、昭和40年に70%超、43年に76.7%、48年には90%、58年に92.8%、そして平成3年には95%超となった。「進学率が高まるにつれて競争は緩和され、受験勉強も易しくなって眼の負担が減るだろう」と、考えるのは机上の空論。        

 表5にある中3と高1の近視率の差を求めて見ると、
昭和21年生まれ 高1 31.57%−中3 20.10%=11.47ポイント
昭和25年生まれ 高1 35.40%−中3 25.88%=9.52ポイント
昭和30年生まれ 高1 35.8% −中3 28.61%=7.19ポイント
昭和35年生まれ 高1 43.40%−中3 31.96%=11.44ポイント
昭和40年生まれ 高1 54.24%−中3 41.60%=12.64ポイント
昭和45年生まれ 高1 50.76%−中3 41.41%=9.35ポイント
昭和50年生まれ 高1 55.76%−中3 46.28%=9.48ポイント
と、進学率の上昇と「中3と高1の近視率の差」の間には、相関関係は見られない。いつの時代になっても、受験勉強は若者にとって最大の試練なのである。
 表5を見ると、昭和36年から50年にかけて高校1年生の近視率は着実に上がっているが、表3にある通り、この間、ローティーンの勉強時間は大して増えていない。一方、睡眠時間に注目してみると、昭和35年に546.5分だったのが、40年に535.5分、45年に517.8分、そして50年には511.5分と、15年間で35分も減っていることがわかる。眼の疲労を癒すための貴重な時間が削られていったのも、近視率上昇につながったのではないか。

 近年、携帯電話のメールや携帯ゲーム機の普及、中・高一貫校受験の高まりなど、子供の眼を酷使する環境は更に強まりつつある。高校3年生の近視率は表6にあるように、平成14年には男子6割、女子7割を超えた。戦前から続く近視との戦いは、当分終わりそうにない。

めがね之碑
上野不忍池のほとりにある『めがね之碑』(昭和43年建立)

[参考文献

下川耿史編『増補版 昭和・平成家庭史年表』河出書房新社 平成13年

『東京朝日新聞』昭和10年8月10日付11面

『朝日新聞』昭和25年3月10日付朝刊2面

同 昭和39年8月16日付朝刊15面]



2007年8月23日更新


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