体育の時間は体操着を着なくてはならないので、体操袋を忘れないようにするのが大変だった。忘れた日には、下着姿でやらなくてはいけないときもあった。もちろんズボンは脱がないが、上着が肌着というのは結構なさけない姿だ。となりのクラスの友達に借りるという方法もあったけど、よほど仲良くないと貸してくれないだろう(だんだん神経質な子どもが増えていた時代だった)。忘れたくないばかりに、体操袋を机のフックに引っかけてずっと置いておくという方法もあったが、一週間も置くととてもじゃないけど汗クサイ。女子は紺色のブルマーだった。中学のとき、ブルマーを忘れた女の子がスカート姿で体操をやっているシーンをみたことがある。あれは、一種の罰だったのだろうか、大抵は見学をしていたはずなのに。そういえば、私の学校では女子は夏も冬もブルマー着用だったが、寒くはなかったのだろうか。
ブルマーは一八五一年、アメリカの女性解放運動家、アメーリア・ジェンクス・ブルーマーが考案したものだ。窮屈な衣装から女性を解放し「のびのびと運動できるように」と、短いスカートとその下にはく足首丈のズボン「ブルーマーズ・スタイル」をつくった。だから最初のブルマーはかなり丈が長い。
その後、運動着として改良され、明治末期に日本に上陸、大正から昭和にかけて児童・女学生の運動着として取り入れられた。そして動きやすさの面から徐々に丈が短くなり、「ちょうちんブルマー」となった。一九六四年、東京オリンピックで外国人のバレーボール選手が履いていたショーツ型のブルマーが発端となり、全国に急速に普及した。素材の面でも綿から化学繊維に切り替えられ、大量生産化され、女子小中学生の体操着の主流となった。最初はすそゴム入り短パン型で、現在のようなピッタリ型が登場したのは一九七〇年の万博以降らしい。
だが、近年は「体の線がみえて恥ずかしい」ということで女子に敬遠され始める。小学四年生ころから抵抗を感じる子どもが増えているのだ。また、大人の視線としてもブルマー姿を盗み撮りしたり、更衣室から盗んだりと、「性の商品」としてブルマーをとらえる人がいることが顕在化している。
一九九四年に、愛知県の中学校が、児童や保護者の強い要望を受け、ブルマーを廃止し、ハーフパンツに転換したのをきっかけにブルマー中止が全国に波及。メーカーの話では、スパッツやハーフパンツ、ショートパンツへの切り替えが進み、ブルマーはもうすぐ受注生産になるのではということだ。いま、体操服としてのブルマーは絶滅の危機に瀕している。
●「はるか」を改稿
2003年8月8日更新
ご意見・ご感想は webmaster@maboroshi-ch.com
まで
第9回「遠足の水もの」の巻
第8回「小さな小さな遊び」の巻
第7回「高級模様入お化粧紙ってナンすか」の巻
第6回「コビトのチューブチョコはパチンコ景品のリサイクル」
第5回「給食のカレーシチューの謎」の巻
第4回「牛乳のフタとポン」の巻
第3回「何のためにあったか「腰洗い槽」」の巻
第2回「幻灯機」の巻
第1回「ランドセルランランラン」の巻
→ |