第13回 1965年(昭和40年)
「オリンピックの影響として、女子バレーボールの大松監督の熱血ぶりが話題になり、テレビドラマにおいて、熱血青春ドラマが誕生したのが1965年だったね。閉鎖的な田舎町の高校に赴任してきた夏木陽介の教師が、まさに『青春とはなんだ!』とばかりに、落ちこぼれのラグビー部員を鍛えて人間的に成長していくドラマだった」
「真っ赤な夕陽に向かって走るんでしょう」
「そうなんだよ。汗と涙と泥にまみれる教師と生徒という“青春学園ドラマ”のイメージを確立したんだよ。以後、竜雷太、浜畑賢吉、中村雅俊、村野武範へと引き継がれていく。夏木陽介は東宝のスターだったけど、映画各社のスターがテレビに進出してきたのもこの頃だったね。時代劇の東映からは殺陣名人の近衛十四郎主演の『月影兵庫』が面白かったねェ。品川隆二のオチョコチョイの渡世人・焼津の半次とのかけ合いが絶妙でね。笑いの中に、豪快なチャンバラがあって、悪い奴らをやっつける。子どもから年寄りまで楽しめる時代劇だった。でもって、大映は『ザ・ガードマン』かな。それまでの守衛さんが、ガードマンと呼ばれてカッコ良くなった。宇津井健をリーダーに、川津祐介、藤巻潤、稲葉義男、中条静雄、倉石功、それに後から警視庁から転職してきた神山繁が加わり、警察以上の活躍をするんだからね。」
「日活と松竹は?」
「日活はなかったけど、松竹となるとメロドラマの『愛染かつら』かな。子持ちの未亡人看護婦・高石かつ枝が長内美那子で、アメリカ帰りの院長の息子・津村浩三が吉田輝雄だった。吉田輝雄は松竹で岡田茉莉子とのコンビで同じ役をしているからね。昼メロの人気ナンバー1で、平均視聴率は30%近くまでいったというから、ゴールデン・タイムのドラマをしのぐお化け番組だったといえるね。ゴールデン・タイムといえば、視聴者参加番組が増えてきたのも65年からだね。林家三平が司会した『踊って歌って大合戦』や、トニー谷が司会した『アベック歌合戦』は白痴番組といわれたけど、視聴率は高かった。あと忘れることのできない番組となると、『11PM』だね。番組そのものより網タイツ姿のカバーガールがお父さんたちのお目当てだった。最初はニュースショーとしてスタートしたんだが、やがて遊び中心の娯楽番組になっていく。麻雀、競馬、釣、ゴルフなどがサラリーマンの娯楽として定着していったのは、この番組の影響が大きいと思うよ」
参考資料:テレビドラマ全史(東京ニュース通信社)、テレビ史ハンドブック(自由国民社)
2005年6月16日更新
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