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アカデミア青木

ほうれん草

第39回 ホウレンソウは好きですか?


  好きな野菜、嫌いな野菜、人それぞれだが、小生は小さい頃からどうもホウレンソウが苦手である。子供の頃、食膳のホウレンソウのバター炒めになかなか箸をつけられず、母に「ホウレンソウを食べないとポパイみたいに強くなれませんよ」とたしなめたものだ。ただ、胡麻あえだけは不思議と食べられたので小生にとってホウレンソウ料理といえば、胡麻あえが全てである。そういえば母が妹に、離乳食として茹でたホウレンソウを裏ごしして与えていたが、小生の時もそうだったのだろうか?もしそうなら、全てということにはならなくなるが…。
  昔から栄養価の高い野菜として宣伝されてきたホウレンソウ。今回の昭和のライフでは、この緑黄色野菜について取り上げようと思う。

1.ホウレンソウの伝来と普及
 ホウレンソウは「菠薐草」と漢字で書くが、この「菠薐」とはペルシア(現、イラン)のこと。ここが原産地で、東は中国を経て、16世紀頃日本に入ってきた。葉にギザギサの切れ込みがあり、根元の赤みが濃く、種にトゲがあるのが特徴で、「東洋種」と呼ばれている。一方、西はアラビア、アフリカ北部を経て、スペインからヨーロッパに入り、18世紀にアメリカへと渡った。こちらは葉が丸く、葉柄が短く、根元の赤みが薄く、種にトゲがないことが特徴で、「西洋種」と呼ばれている。西洋種のホウレンソウは、江戸時代の文久年間(1861〜3年)にフランスから初めて日本に伝来し、明治以降、様々な品種がもたらされたが、当時は日本人の口には合わず、普及しなかった。
  ホウレンソウは輸送が難しい野菜なため、消費地に隣接する畑で栽培され、東京では現在の江東区砂町や江戸川区辺りが産地だった。しかし、大正後期になるとこの地域での工業化が進み、江戸川の対岸、千葉県側に産地が移っていった。砂町辺りでは市中から出る人尿を肥料としていたが、千葉県の船橋では東京から出る生ゴミを船で運び、石や貝を取り除いて堆肥にして使っていた。
  ところで、ホウレンソウといえば、セーラー服姿のポパイが、缶入りホウレンソウを食べて超人的なパワーを得、恋のブルートをやっつけるというアニメのシーンを思い出す方も多いと思う。ポパイはアメリカの漫画家シーガー(1894−1938)の『シンブル・シアター』にまず脇役として登場し、やがて主人公になった。ホウレンソウを食べて強くなるシーンは、昭和8年(1933)にフライシャー兄弟が製作した短編アニメ映画シリーズで強調された。その後、何度かテレビアニメ化され、日本でも放映されている。アメリカでは1915年頃に缶詰加工の発達に伴って、ホウレンソウが大規模に栽培されるようになり、10年間で栽培面積が6倍になっていた。ポパイが登場したのはそんな時期だったのだ。1937年にはホウレンソウ産地であるテキサス州クリスタル・シティにポパイの像が建てられたという。
  一方日本でも、昭和に入ってホウレンソウが栄養の高い野菜として注目されるようになり、大都市を中心に需要が増加した。それに伴い、大都市周辺でのホウレンソウの栽培も盛んになっていった。

ほうれん草畑



2.高まる人気と広がる産地
 ホウレンソウの人気は、戦後、一層増した。表1は、昭和22年〜平成15年にかけてのホウレンソウの価格並びに1世帯当たりの年間購入量、購入額の推移を示しているが、昭和22〜29年にかけて、価格、年間購入量は共に右肩上がり、キャベツを上回るペースで増加していったことがわかる。

 昭和30年代前半、ホウレンソウの購入量は年間15〜16Kg、価格は100g当たり3.3〜3.7円の水準で推移したが、35年頃に転機を迎える。ホウレンソウにはシュウ酸が含まれるが、これを食べ過ぎると腎臓や膀胱に結石が出来るという騒ぎが持ち上がったのだ。確かに、シュウ酸はホウレンソウの中に8%位あって、野菜としては多い方だが、絶対量としては心配するほどではない。しかも、茹でて水にさらしてしまえばほとんどがアクの中に流れ出してしまうのだ。やがて騒ぎは収束したが、30年代後半、1世帯当たりの年間消費量は減少傾向となる。しかしながら、世帯を合計した全国の消費量は増加したことから、価格は順調に上昇していったようだ。キャベツと比べてみると、キャベツの価格の指数が昭和35年に257から44年には452と1.8倍になったのに対して、ホウレンソウは298から773と2.6倍になっている。

 昭和45年以降ホウレンソウの価格は急上昇しているが、これは健康志向の消費者の間で緑黄色野菜が人気になったためだ。このように、「ホウレンソウ=健康」のイメージが強くなっていくと、それを一年中食べたくなるのが人情である。元々、ホウレンソウの生育適温は15〜20℃。それまで生産は夏以外の時期に行われていた。
しかし、ここまで価格が高くなれば、夏季に冷涼な地域で栽培し、保冷車を使って市場に送り出しても採算は取れる。昭和40年、科学技術庁長官の諮問機関・資源調査会が、肉・魚・野菜などの生鮮食料品を産地から消費者まで低温で流通させる「コールド・チェーン」を勧告、41、42年に大がかりな実験が行われた。長野県塩尻市に我が国初の真空予冷※装置が作られ、レタスやホウレンソウでその効果が確かめられた。
  これを受けて、各地で夏どりホウレンソウへの取り組みが活発化する。例えば、標高400〜1100mにある岐阜県飛騨地方では、ビニールハウスを利用した雨よけ栽培でホウレンソウを作り、関西方面の市場に出荷している。昭和45年頃までは、ホウレンソウを新聞に包んだ氷と共に箱詰めし、トラックで運んでいたが、大阪市場に着くまでに葉が腐ったり変色したりで1割がダメになったという。48年に冷風でダンボールごと冷やす強制通風予冷庫を、56年にダンボールに穴を開けて使う差圧通風予冷庫を、そして59年に真空予冷装置を導入した。予冷技術の進歩によって、鮮度の高いホウレンソウが出荷できるようになり、平成9年には6〜8月の期間、大阪、京都、神戸の市場の5〜6割を占めるようになった。
  同様な試みは東北地方や北海道でも行われ、表2にある通り、昭和60年以降生産上位ベスト5のうちに、夏どりホウレンソウの産地が加わるようになっている。

3.より健康により安全に
 ホウレンソウの購入量は昭和45年以降、62年頃まで、年間7Kg台半ば〜8Kgの水準で安定していたが、その一方で、肝心のホウレンソウの栄養成分は年を追って減っていった。昭和25年の日本食品成分表で100g中150mgあったビタミンCの量は、29年、38年には100mg、57年には65mgとされた。また、鉄も25年には13.0mgあったのが、29年、38年には3.3mg、57年には3.7mgと訂正された。どうして、こんなになってしまったのだろうか?その原因の一つとして、昔冬場中心に行われていた収穫が、一年中行われるようになったことが挙げられている。ホウレンソウは、生育適温(15〜20℃)下では、種をまいた後、30日前後で収穫期に達する。しかし、冬どりの場合は気温が低いため、収穫に50〜60日を要し、その間ホウレンソウは耐寒のために養分濃度を高めて自身を凍りにくくしている。平成12年の5訂の日本食品成分表によれば、夏どりのビタミンCの量は20mgであるのに対し、冬どりは60mgとされている。また、夏場のホウレンソウの中には、栄養分で劣るものの、とう立ちのしにくい西洋種と東洋種を掛け合わせた品種があり、これがデータに影響している可能性もある。

  ところで、ホウレンソウを茹でてアク抜きをすると有害なシュウ酸を除くことができるが、同時に有用なビタミンB1、B2、Cが熱で壊れるというデメリットがある。この問題を解決するために開発されたのが、「サラダホウレンソウ」である。昭和50年代半ばに登場したこのホウレンソウは、シュウ酸の含有量が低く、生で食べても安全である。そのため、近年外食産業を中心に売り上げを伸ばしている。
  また、アク抜きをしなくていいホウレンソウといえば、冷凍ホウレンソウもある。 あらかじめアク抜きしたホウレンソウを小分けに冷凍したもので、レンジなどで解凍すればすぐ使える。更に、酷暑や長雨で生鮮野菜が急騰するような時でも、価格が安定しているという利点もある。価格の水準自体も、海外でホウレンソウを調達し、人件費の安い国で加工できれば、国産の生ホウレンソウに十分対抗することができる。そこで、冷凍食品会社や商社は相次いで中国に生産拠点を設けて、製品を輸入した。ところが、平成14年5月に中国産の冷凍ホウレンソウから使用禁止農薬や基準値を 超える残留農薬が検出され、現在、日本企業の専用農場で栽培されたもの以外輸入が禁じられている。なかなか当事者の思惑通りには事は進まないようだ。  平成に入ってからのホウレンソウの購入量は、冷凍ホウレンソウの影響もあって長期低落傾向にある。(冷凍ホウレンソウは加工食品に分類される)価格水準は横ばいだから、農家の手取りは全体的には減り気味だ。売り上げが減る中で利益を出すためには、コストを削減する他に道はない。通常、農家がホウレンソウの生産に費やす労働時間は10a(1000平方メートル)当たり、300時間。その6割の時間が、 収穫したホウレンソウの根を切り、余分な葉を取り除き、計量し、テープで束にしたり、袋詰めしたりする作業に費やされているという。この工程を効率よく機械化できれば農家の労働時間は画期的に短縮され、生産コストも下げられる。そこで農水省のお声かがりでホウレンソウの調製機が開発され、現在110台がハウス栽培の現場で活躍しているという。 国内の産地間競争、海外からの輸入品、高齢化、収穫後の調製・出荷作業の効率化 等々、ホウレンソウを取り巻く課題は多い。そんな中、不断の努力を続けておられる 農家に感謝の気持ちを込めて、今夜は胡麻あえを食べることにしよう。


※真空予冷 市場へ運ぶ前にホウレンソウの品温を下げると呼吸量が減少し、放出される熱も1/10程度に減る。呼吸で消費される糖も少なくなり輸送中も鮮度が維持できる。そのため耐熱性の真空槽に荷を入れ、大型のポンプで中の空気を抜いて減圧して、ホウレンソウの水分を急速に気化すると、1%の水分が気化する毎に品温が5度C下がる。これを真空予冷という。荷は保冷車に積まれて市場へと運ばれ、店頭に並べる前に水をかけると元の新鮮なホウレンソウに蘇る。




2007年12月27日更新


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