新学期になると体育館にいく機会が増えた。入学式、始業式、身体検査、予防接種。先生はあるときは「体育館に集合!」と叫び、あるときは「講堂に並べ」と指示をする。どちらも行き着く先は同じ建物である。体育館とはよく考えてみると変な作りである。カマボコのような天井はとても高く、奥には檀がしつらえてある講堂部分がついている。地域の有力会社が寄付してくれた緞帳が、ステージにたれ下がっている裏にはドッヂボールが籠に入っておいてある。放課後になると、壇上では演劇の練習をしていて、床面ではバスケットが行われていた。実に多目的。トリビアだが、学校法人の資格を得るには体育館が必要なので、学校法人の名前がついた各種学校には申し訳程度に体育館があるそうだ。
明治期、最初は特別に体育館というものはなかったという。教室間の間仕切りを工夫して体操場や講堂に利用できるよう設計したものがあったくらいだそうだ。明治三八年には「雨天体操場」「雨中体操場」という名前で屋内体操場が学校建築に取り入れられていた記録がある。
とはいってもこれらの多くは土間の上に単に天井があるだけで、壁がなく吹き抜けだったそうだ。床板を張り、壁で囲まれたものは、雪が積もる地方の生徒控え室と兼用で作られはじめたという。現在のような床板を張って講堂と兼用にした体育館は、大正時代になって普及したものである。だが体育館の建築は戦前、昭和十八年頃でストップした。戦争が激しくなったため国民学校に体育館を新設するのは雪国を除いては禁じられたのである。戦後も学校予算の都合で高価な体育館はなかなか立たなかっただろうし、体育館を知らない世代や地域もあるというのはオドロキだ。
なお、大正12年の資料によれば、天井を張らないのは多数の児童が活動するためには空気の容量が多いほうが良いためと、屋根裏が自然な音響調節器になるためである。また、床を張るのはある程度の弾力が体操に必要なことと、講話を聞くのに暖かい感じを持たせるためだという。そう、体育館と講堂を兼用するための理想的なカタチがあのかまぼこ型体育館の姿であったのである。
●「はるか」を改稿
2005年2月14日更新
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