第18回 1970年(昭和45年)
「1970年の話題といえば、何といっても“大阪万博”だよね。日本で始めて開催された万国博覧会で、会期は3月14日から9月13日までの183日間。参加77カ国、期間中の入場者数は6421万人にも及んだ。昨年(2005年)開催された<愛“地球”博>の入場者との大きな違いは、圧倒的に団体客が多かったことだろうね。農協や職場旅行の団体さんが、集団行動でせわしなく会場を歩き回っていたよ。日本人の集団主義が経済大国へ押し上げたのだから、団体さんの集団行動は“大阪万博”を象徴していたのかもしれないね。“大阪万博”は高度成長の集大成だったけど、社会的には高度成長のひずみが表面化しはじめ、人々の価値意識にも変化が出てきた。温かい人間関係に目を向けた『ありがとう』や『時間ですよ』がヒットしたのは、だんだん薄れていく人情を思い起こさせてくれたからだろうね」
「『時間ですよ』は、浅田美代子がデビューした番組だよね?」
「うん、新人公募で選ばれてね。ただ、彼女が出演したのは第3シ−ズンなんだよ。彼女の歌った“赤い風船”は大ヒットして、現在でもモノマネされているね。浅田美代子の歌より少しマシだったのが、第2シーズンが天地真理。彼女もこの番組からスーパーアイドルになった。当時のアイドルは歌がヘタだったねェ。でもって、第1シ−ズンは、堺正章と樹木希林(当時は悠木千帆)のやりとりが抜群に可笑しかった。それと、毎回出てくる女湯ヌードが楽しみでね。何故か、婆さんと子供は入浴していなくて若い女性ばかり……」
「人情の機微なんて言っているけど、それが目的だったんでしょう」
「バレたか。Hシーンといえば『ハレンチ学園』も人気があったね。永井豪のマンガをドラマ化したものだけど、毎回スカートめくりがあってね。小学生がマネするものだから、PTAから強いクレームがあって半年で番組終了になってしまった。タブーだった子供の性教育問題(特に女子の成熟度)に一石を投じたことは価値あると思うよ。学園モノとは少し違う、『おくさまは18歳』とか『おさな妻』といった高校生妻モノが出てきた背景には、戦後25年経って、栄養、社会環境、教育などの諸要因から女子の成熟が早くなったこともあるんじゃないかな。ところで、さっき浅田美代子や天地真理の歌がヘタなことを言ったけど、歌手の価値を見直す番組が出てきたんだ」
「歌手の価値?」
「歌の上手さを競う『全日本歌謡選手権』という番組で、10週勝ち抜いたらチャンピオンになれるという実力本位のオーディション。アマチュアだけでなくプロ歌手も出場していたんだ。下積みの長かった五木ひろしは、この番組からスターの道を歩みはじめた。天童よしみもこの番組からプロになった。彼女の場合、人気が出るまで時間がかかったけどね」
「やっぱり、容貌も必要よね……」
参考資料:テレビ50年(東京ニュース通信社)、テレビ史ハンドブック(自由国民社)
2006年1月18日更新
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