第19回 1971年(昭和46年)
「1971年といえば、参議院選挙で、テレビで顔と名前が知られていた田英夫、安西愛子、望月優子の三人が全国区で1位・2位・3位と独占し、彼ら以外にも一竜斉貞鳳、立川談志も当選し、東京地方区では木島則夫が当選した年だったね。前回の68年の参議院選挙でも青島幸男や横山ノックといったタレント議員が当選したけど、政治能力に期待して投票した人がどれだけあったか疑問だよね」
「テレビの影響って大きいよね。テレビに出ているだけでエライ人に思えてくるもの」
「メディアの中でテレビが大きな位置を占めるようになったね。青年向けのマンガ週刊誌に連載されていて人気があった『ルパン三世』は、テレビでアニメ化されるや年齢層に関係なく人気キャラクターになったし、『仮面ライダー』もマンガよりテレビの実写版を見て子供たちはマネをするようになったからね」
「へんし〜ん!ね」
「変身ベルトやライダー自転車などのキャラクターグッズが大量に生産され、売れていったのもこの頃からだね。10年前の『月光仮面』の頃は、風呂敷なんか家庭にあるものを子供たちは代用していたけど、遊びの世界も金がかかるようになってきた」
「お父さんの子供の頃って、親は子供の遊びのために金を出す余裕なんてなかったんでしょう。高度成長で家庭の経済状況がよくなってきて、子供にも金がかけられるようになったのね」
「スポーツもそうだね。お金を出して楽しむようになってきた。ボウリングなんか、その典型だね。レジャー的要素もあって、手軽に誰でも楽しめた。1966年にテレビでボウリングの番組が放映され、地方にも浸透するや、急激にボウリング場が増え始めたんだ。何しろ1964年には、北海道には一軒もボウリング場がなかったんだからね。ボウリング人気がピークをむかえるのが1971年だった。女子プロ・スター選手の登場がブームの中心で、レギュラー番組だけで10本を越えていたんだよ。中山律子、須田加代子、並木恵美子がビッグスリーだったけど、可愛い顔したサウスポーの野村美枝子もよかったなァ。ブームになれば、当然ボウリング・ドラマも制作され、『美しきチャレンジャー』は高視聴率をあげた。ドラマだから、とんでもない魔球を投げたりしてね」
「ブームになるには、スターが必要よね。スターなんて、作ろうと思っても作れるものじゃなし……」
「ところが、スターを作る番組として登場したのが、アイドル歌手の登竜門となった『スター誕生』だった。この番組から、山口百恵、森昌子、桜田淳子、ピンクレディーなど多くのスターが出てきたんだよ。どんどんテレビが偉くなっていき……」
参考資料:テレビ50年(東京ニュース通信社)、テレビ史ハンドブック(自由国民社)
2006年2月10日更新
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