理科室は特別教室のなかでも特に印象が残る部屋である。人体模型のガイコツは夜中に一人でに動き出し、子どもたちの授業中はじっとしているという噂があったし、ホルマリン着けのフナやカエルがしんみりと並べられていた。
理科の実験器具は木製の箱に入っているものが多く、顕微鏡は厳かに木製ケースの鎌のような鍵をはずして取り出した。接眼レンズと対物レンズがあり、対物レンズをスライドガラスの上の薄いカバーガラスに近づけすぎるとペリンといういやな音がして壊れた。上皿天秤の重りもニス塗りの木製ケースに整然と重さ別に並べられており、さびがつくので手で直接触るのは厳禁、付属のピンセットで慎重にくびれをつかんで皿に載せるのはまさにちびっ子科学者の雰囲気がでるしぐさであった。軽い重りは角がちょいと折れておりつまみやすいように工夫がしてあった。
アルコールランプの実験ではまず、マッチのつけかたを習い、なかなか火をつけられない男子は笑われたが、もっとすごいのはランプの火をガラスのフタで消すことだった。息をふきかけて消火するのではなく、燃焼もとの酸素を絶つためにフタをするのである。これが皆なかなかできない。絶対にフタをすれば消えると頭ではわかっているが、フタが命中する面積が小さいので失敗して火が消えずに指をヤケドしてしまうのではないかと思ってしまうのである。
アスベスト(石綿)の危険性が叫ばれている今日であるが、石綿付金網を五徳の上に乗せフラスコをアルコールランプで熱していた私たちが肺がんになった場合、どうしてくれるのだろう? 焼却炉でごみを燃やしてダイオキシンを出した私だからおアイコととでも?
ビーカー、メスシリンダー、ピンチコック、試験管、リトマス試験紙と、勉強なのに子どもたちの別の関心を引き出すものがいっぱいの理科室だったが、その実験器具に囲まれて充実していた世代は実はそんなに多くはない。あくまでイメージだ。
学制発布後、明治十年代の理科教育は施設・備品が不充分であったが、島津製作所が理化学器械の輸入や国産化を行う努力を続け、二十年代になると理科教育の重要性に基づき、理科設備基準が公布された。大正七年には中学校の生徒実験要目が制定され、実験設備は普及したが、昭和十年代になると戦争のため理科器械は簡易化され、衰退の一途をたどっている。
戦後は戦災にあった小学校では理科室どころか顕微鏡さえも揃っていなかった。修理すれば使える教具もあったが修理代にも事欠く有りさまだった。昭和二十五年に「実験なき科学教育」が問題視され、設備とともに理科教師の層の薄さが憂慮されていた。なにしろこのころは文部省のなかにも科学教育の担当部署がなかったという。
紙と鉛筆だけでは日本の科学振興は図れないと、昭和二十八年に理科教育振興法が制定、翌年に設備基準が作られた。再び理科器械の充実がはじまったのであったが、一校あたりの予算も少ないなかでなにを購入するかは悩みのたね。僻地の学校では十分な予算もなく別項で記すような教育設備助成運動(ベルマーク)によって実験道具が買いそろえられていく現状があった。たとえば、教師が実験をしてはいそれで終わりになるところもあれば、六名前後の一班に一セットの実験道具を支給できるところもあっただろう。一番最良なのはひとりひとりが顕微鏡を覗き、実験の主体的観察者になることであるが、班に一つではちっとも触れることができない児童も当然でる。理科の授業で疎外感を味わうと学科への興味も関心も失うことになる。カエルの解剖のときにただ友人の肩越しに眺めていただけの少年が医師を目指すことはあるのだろうか。日本人が理数科が弱い人が多いというのは民族的な頭のつくりの違いではなく、国力の違いで十分な理科教育を受けてこなかったのが一因なのではと私は思っている。日本の子どもたちが戦後の戦災復興のなかで不十分な理科教育を受けているころ、アメリカでは街なかに科学博物館があり、全国理科教師協会も結成されていた。
国も、科学技術振興のためには、その基盤となる小学校の理科を充実させるべきだということで、昭和三十五年には理科教育審議会が「すべての小学校に理科室と理科準備室を設けること、理科設備充実のための財政的措置、都道府県への理科教育センターの設置と教員の理科指導力向上・増員」を建議している。なんと昭和三十三年の行政管理庁調査では理科室を持っている学校は全体の四一パーセントに過ぎなかったのである。昭和三十六年には理科機器の進歩や学習指導要領の改正に応じて、二十九年に作られた設備基準が改められ、たとえば「上皿てんびん」がこれまでの三倍用意されるようになるなど理科教育の充実が図られた。
●書き下ろし
2005年12月15日更新
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