“原稿の締め切り”というものを過去何度か経験してきました。毎月、各月などいろんなパターンがあったのですが、昨年はじめて1週間に1本という、私にとっては大変ハードな締切りを経験したのです。もちろん、スタートするまでに1ケ月以上の余裕があって、その間に書き溜めることができればいいのですが、何事もギリギリでないとできない性質の私は、案の定、必死も必死、命がけ?で締め切りと戦うことになったのでした。
タイトルは『ガラクタ共存記』。
共同通信社さんの依頼で、地方の新聞向けに10回連載の記事を書かせていただいたのです。私としては、こんなことは一生に一度しかないと思ったので、後先考えず「なせばなる、なってほしいぞ」って気持ちでスタートしました。結論からいうと、なんとか形にできたものの、ホントに大変でした。あらためて時間の使い方の下手さを大反省させられました。けれど、その反省も含めて、とてもいい経験になったと思います。紹介したのは「大博士歯磨」、「電話口消毒器」、「次亜燐の文箱」、「2599年の暦」など、ヘンテコなガラクタたち10点。
私は最終話で紹介するモノは「柱時計型文鎮」と決めていました。全長8センチほどの小さな文鎮です。文字盤には東西南北と干支が書いてあり、方位磁石にもなっている実に凝った一品なのです。私的には結構珍しいモノだと思いますが、今回紹介するのは、文鎮の撮影で地紋に使用した着物の古布です。この古布を見た瞬間、「柱時計型文鎮」で使おうってひらめきました。古布は子供用で、机の上に電気スタンドと置時計、教科書やノートが置かれ、ランドセルに学生帽、学校と校門、そして時間割が描いてある、なつかしい絵柄です。原稿のテーマを“時間”にしたかったので、置時計と時間割部分がうまく使えたらいいなって思ったのです。
“時間割”。
30代も後半になった今では、とてもなつかしい響きがあります。私は子供の頃にたくさんの時間割を書きました。枠のまわりにイラストをいっぱい書いたカラフルなモノで、学校用の時間割以外にも、毎日の予定(?)を書いたっけ。起床時間からはじまって、祖母と一緒にやる乾布摩擦や畑の水かけなどなど。重要でもなんでもないことを、さもすごい予定のように書き込んでは、ニンマリしていた記憶があります。無理矢理予定をつくらないと、空白がたくさんあった私の小学生時代の時間割。当時の私にとって時間は無限にあるような気がしていました(現在の小学生はこんなことはないのでしょうけれど)。
それが今の私はどうでしょう。10代の頃、「20歳過ぎたら時間が早く過ぎるよ」といわれ、20代の頃、「30歳過ぎたらもっと早いよ」といわれ、「そんなもんかなぁ?」なんて毎回思ってきたけれど、これは本当です。30歳になった時、ものすごくショックだったけれど、三十路の山を越えると早いこと、早いこと! 時間割を書いている暇もないほどに、家事に仕事、そのほかいろんな物事に時間が吸い取られていくみたいです。そういえば先日、「50歳過ぎたら、半端じゃない早さで過ぎるわよ」って、50代後半の女性にいわれました。ますます早くなるってことでしょうか。
しかしながら、近年ではパソコンや携帯電話、全自動洗濯機など“文明の力”の出現で、生活は便利になり、そう、まちがいなく便利になったのですが、だからといって、時間に余裕ができたような気はまったくしません。これは私の時間の使い方の問題ではないかと、最近真剣に考えているところです。こんな風に考えていた矢先、20歳の頃に読んでいた町田貞子さんの『続・暮らし上手の生活ノート』(鎌倉書房)を、ふと読み返したくなりました。実はこの本は、古いモノを集める前に読んでいたもので、コレクションが増えてからは、避けていた本でもありますが、昨年結婚して生活が激変したことから、ひさしぶりにページを開いてみたくなったんです。
『「整理」は人間だけに与えられた能力ではないでしょうか。』ではじまる文面に吸い込まれつつ、『台所道具や衣類などの整理・収納、家中の埃の整理。収入・支出などの経済の整理。日々の生活を営むという時間の整理、そして命の整理、時間と労働と経済、この三つが揃ってこそはじめて日常生活は滑らかに運びます。』という文章に、長年“整理整頓”を目標に掲げてきて、いまだに結果のだせない自分に苦笑しちゃいます。けれど、20歳の頃感じた思いより、ひとつひとつの言葉を深く受け止めている自分にも気がつきました。平成18年の私の目標は、“モノの整理”、“時間の整理”といきたいものです。
ではおしまいに“時間”にちなんで、昔の時間割を紹介したいと思います。時間割というと、万年筆や絵の具、筆箱などの文房具類に付いていることが多いのですが、ひとつだけ「メタボリン錠」という薬に付いていました。これは昭和18年のモノで当時の世相を反映しています。物資が不足していた時代ですから、厚手のボール紙を代用して「忠孝筆入れ」も誕生しました。両方ともよく残っていたと思います。また、大正14年製の「王様のクレイヨン」時間割に書かれた、「学校ヲ愛シマセウ!先生ヲ敬ヒマセウ。熱心ト努力トノ前ニ不可能ナシ!」って言葉には思わず微笑んでしまいます。そういえば、私が小学生の頃には、床の間に校長だった祖父が教え子からもらったという掛け軸が飾ってあり、「師の恩は海よりも深し」って書いてあったのを思い出しました。
2006年1月27日更新
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